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噓日記 7/15 アイスクリームシンドローム

暑いったら暑い。
別にエアコンの効いた室内にいるので今日は暑さを感じるような時はついぞ無かったが、夏なので言っておく。
暑いったら暑い。
こんな日にはアイスクリームでも齧りながら、興味もないテレビを視聴するのが一番丁度いいのだ。
買い溜めていたアイスクリームを冷凍庫から取り出して、ガリガリと齧りながら日常を貪る。
夏だなぁという認識が生活を少し華やかに、そして生活に少しだけ季節感を与える。
夏といえばひまわり畑、少女、麦わら帽子、白ワンピース、なんてクソオタクのきっしょいきっしょい妄想のような非現実的な季節感や空気感ではなく、実感と実態を帯びた夏特有の気だるさのようなものが生活を生活たらしめてくれる。
好きでもないテレビ番組は生活の中に自然に溶け込んで程よいホワイトノイズとして存在してくれる。
画面に映る芸能人の顔も認識している状態と認識していない状態が重なり合ったような感覚でふわふわと心地が良く、脳が疲れない程度の刺激がもらえる。
ただ、適当に過ごしている中でも何かでこの均衡が崩れてしまうと同様に気だるさと心地よさのバランスも崩れてしまうだろうな、と思うほどには危ういバランスの均衡を制御して過ごす。
惰性で生きるって実は結構難しい。
私がその惰性の上手い乗りこなし方を知らないだけかもしれないが。
何か行動を起こしたら、何かが起こらないといけないという強迫観念があると思う。
人間はそういう欲と行動のバランスによって発展を遂げてきたのだ。
しかし、こうして夏の気だるさを謳歌する私はどこか動物的に日常の時間の流れに身を任せるような、その流れのままの生き方を許容できるような寛容さが身についたと錯覚できる気がする。
人間は一度動物的な寛容さを取り戻さねばならないのかもしれない。
私たちは日々という膨大な情報量に溺れ、日々という時間の流れを見過ごし続けている。
その日、その時間、その一瞬の持つ魅力から目を遠け続けている。
だから、こうして自分から意識して時間というものをうまく直視できるようにバランスを保つ作業をせねばならないのかもしれない。
詰まるところ、外出せずにアイスを貪ることは人生の転換点になるのだ。
アイスがもう止まらない。
今日だけで3つ、4つ食べている。
これ、やばくね?
胸、痛くね?
狭心症の症状もちゃんと出てくる。
死にたくねぇ、けどやめられねんだけど!
ガツン、とみかん! は私を天国へと誘う。
アイス、うめ〜!

どりゃあ!