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噓日記 10/25 うろ覚えのうろ覚え

うろ覚えという言葉がある。
はっきりと覚えていないがぼんやりとは覚えている、そんな曖昧な状態のことを指す言葉だ。
余談だが俺はそんな無と有の隙間、形而上の話をするのが好きだ。
さて、このうろ覚えという感覚、丁度ウロボロスが突然会話に出てきた時になんだっけとなる感覚に近い。
うろ覚えの語源も確かそんな感じだった。
ウロボロス覚えられずの略だとか、そうじゃないとか。
そんなことを国土地理院か国土交通省か金田一秀穂先生が言っていた。
違ったかもしれない。
だが、そこはうろ覚えなので許してほしいものだ。
そんなうろ覚えだがもう10年は前だろうか、突然現れたある勢力に駆逐されかけたことがある。
その勢力とは、うる覚え一派だ。
言葉の違和感にも気付けないエテガキども(ここでは猿のような稚児のことを指す)が、悪いインターネットを中身がスカスカの頭で馬鹿みたいに吸収し、さも存在する言葉かのようにうる覚えという言葉の棒を振り回し始めた時期があった。
エテガキどもは自らが誤った言葉を使っているかもしれないという恥じらいが存在しないため声高にうる覚え一派を名乗り、荒廃したインターネットをその棒で突き回したのだ。
うる覚え派? うろ覚え派? という常識以前のチンパンジーのIQテストが如き、気味の悪い質問が繰り返されていたことを思い返すと吐き気さえ催してくる。
しかし、そんなエテガキが生まれたのも彼らの育ち方による弊害であると同情してしまう部分もある。
エテガキどもは大抵の場合家に篭ってぴゅう太(ここではゲームとパソコンの両者を指す)ばかりしている。
もしくは教室の端の方では石の裏をひっくり返したらいるようなジメジメした友人たちとインターネットで得た定型文によるスキットを繰り返している。
育つわけがないのだ、語彙が。
まず人と会話しないから自身が放つ言葉の違和感、対人で言葉を発した時の微妙な間や変化に気付かない。
そらそうよ。
アイツらインターネットやら他のエテガキとのコミュニケーションを会話だと思ってるんだもの。
会話じゃねーよ。
エテ式壁打ち所作の一つでしかねーよ。
波動球エテ式。
うる覚えって言葉聞くとおじさんあれなんだよ。
◯したくなるんだよ。
でも最近、インターネットでうる覚えって言ってるやつ減ってきただろ?
あれなんでか分かるか?
うる覚えって言葉がでぇきれぇ(大嫌い? LOVE 2000? 要出典)なおじさんが一人一人アレしてるかららしいよ。
アレだよ、アレ。
なんだっけ。
うろ覚えだわ。

どりゃあ!