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噓日記 12/22 プチ忘年会

仕事終わりにプチ忘年会に参加して来た。
職場の中でまあまあ仲のいい数人と近所の飯屋へ。
後の予定もあるので皆ノンアル、食べたのも定食。
忘年会と呼称するには色気が足りないが、たまにはこんな会も悪くないだろう。
席について口を開けば出てくるのは仕事場の愚痴。
上司が気に食わない、部下が反抗的、そんな少しだけ職場でするのに憚られる話題がそこなら気軽に溢せる。
適当なメニューを注文して、そんな愚痴をこぼし続ける。
しかし皆、言葉とは裏腹にその顔は晴れやかだった。
そんな遺恨を今年に置いていくように。
来年を軽やかに迎えられるように。
嫌な思いだけここに置いていこうという、そんな気持ちが会の中では自然に共有されていた。
そんな愚痴を慰め合い、互いを労いながら同じ机で食事をする、そんな時間はなかなか取れない。
だからこそ忘年会はあっていいのだ。
若者の忘年会離れがよく叫ばれるが、私は若者と呼ばれていた昔からそういう会に出席することが好きだった。
酒の有無に限らず場の空気も含めてシラフじゃ聞けない話、シラフじゃできない話を互いに開陳し合う信頼が大人というもののコミュニケーションとして心地よいのだ。
私が歳の割には飲み慣れていた、というのもあったのだろうが酒席での立ち回りはその人の人間性が出るということを若いうちから感じていた。
寂しい人間は自らを語り、自らを知る人間は誰かの話を聞く。
それは間違いない事実だと思う。
周囲の人間性を知り、自らを見つめるのに酒席は必ず役に立つ。
私はそんな時間に自己というものを確立してきた。
若者こそそういった場にいる意味があるとさえ思っている。
しかし、だからといって今の若者に忘年会に出ろと強要するほどでもない。
参加するのもしないのも自由だよ。
今は昔より娯楽も多いし、やりたいことも多いだろう。
自らの時間を大切にするのはいい。
その中で自分で自分を見つめられるのなら酒の力になんて頼らなくてもいいのだ。
ジジイはジジイで勝手に楽しくやってるので、たまに気が向いたらでいいから遊びにおいでよ。
奢ってやるからさ。
こんな時しか若者に格好もつけられないし。
芸をやれとも言わないし、酒を飲めとも言わないから。
ただ、君の気持ちを少しだけ教えてほしい。
共に働く仲間として、ちょっと胸襟を開く体験はどこかで誰かを仲間にできる。
そんなふうに思うんだ。
そんでさ、女子社員はさ。
私の膝の上に座ったらいい。
座って欲しい。
座りなよ。

どりゃあ!