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噓日記 7/11 インプリンティング

今日、息子からいじめというかその芽のようなものに悩んでいると告白された。
なんでも学校での授業中、ちょっとした誤答がありそのことを一日中いじられたらしい。
私の世代の感覚でいうとなんてことない日常の一コマかとも思ったのだが、今の子はそういった悪意と悪戯心の見分けが付きにくいのかとも思うし、そこに対する対処法なんてものもまだ身についていないのだろう。
自身に向けられる感情への機微が、敏感がゆえにその真意を見分けづらくなっているのかもしれない。
人との向き合い方について、私は彼に示してやらねばならないのかもしれない。
少し大人になった彼を誇りに思うと同時に、えも言われぬ愛おしさが私の体を駆け巡った。
まず向き合い方を説く前にその誤答というのはどんな間違いだったのかと息子に問いただす。
息子が言うことには、理科の授業中に太陽のことを空亡(そらなき/くうぼう)だと答えてしまってそれを馬鹿にされたとのこと。
お、それは風向きが変わってきたな。
息子には昔から太陽のことを空亡だと教えてきた。
なんとなく、めちゃくちゃな語彙で育ったら面白いという親のエゴで、空を見ては空亡が出てきた、とか空亡の位置がなんて言葉を息子にかけ続けてきたらついのそのトラップを踏んだようだ。
正直、めっちゃ面白い。
空亡とは、百鬼夜行の最後に現れる太陽を妖怪に見立てた創作上の妖怪であり、陽が登ると妖怪が帰っていくという設定に人格が与えられたものを本来指す言葉である。
息子が理科の授業で発した空亡のおかげで、息子は異常に変な奴となってしまった。
家庭の思想の強さが滲み出た回答を行なってしまったのだ。
まず、今日まで息子の語彙には太陽というものがなかった。
それは私が彼を徹底的に太陽から遠ざけていたからである。
手のひらを太陽に〜なんて童謡も我が家では手のひらを空亡に〜と変更して聞かせてきた。
私自身が歌いカセットテープに吹き込み、幼少期から刷り込むように聞かせ続けてきた。
昔バンドマンだったからその程度はお手のものだ。
また、テレビで太陽という言葉が聞こえるたびに、父である私が大きな声で泣き、息子の集中をテレビから無理やり引き剥がし私へと移したこともあった。
あと息子は私のことを、リトル父ちゃまと呼ぶ。
これもなんとなくめちゃくちゃな呼び方させたら面白いと思って刷り込んできた。
我が家は刷り込みが一番のブームだ。
母親のことはさいかち虫と呼ばせている。
あと台所のことを墓地と呼ばせている。
ついでに枝豆のことをリトルグリーン豆と呼ばせている。
ペットボトルのことを尿瓶、TシャツのことをPシャツ、お盆のことチャネリングウィークと教え込んでいる。
この先の息子の人生、その刷り込みにどう対処していくのか親として向き合っていきたい。
面白いし。

どりゃあ!