嘘日記 3/26 WBC

今日、初めてWBCの決勝戦を見た。
休みを利用して平日の昼間からビールを啜りながら、噛み締めるように見た。
最終回、大谷がトラウトを三振に打ち取ったシーンは自然と涙が出るような、そんな神々しさを感じた。
試合観戦後、私はもう一度冷やしたビールをあおった。
これは私から夢を見せてくれた侍ジャパンへの感謝のビールかけ、私なりのシャンパンファイトだ。
さて、では何故3/22に決勝戦があったWBCの決勝を私は今日初めて見たのか。
それは私という人間の弱さに由来する。
私は物事の勝敗がつくタイミングというものを直視できないのだ。
誰かが勝り誰かが敗れる、その瞬間に立ち会いたくない。
だからネットニュースで勝敗を知った後、こうして録画しておいた試合を流し、皆が感動した最終回、ファンの心情を模倣して彼らの仕草を真似る。
勝敗は既についていて、祈ろうが怒ろうが何をしようが日本チームの勝利が決定しているからこそ私はこの試合を見ることができる。
私は直視できないモノから、何重にも保険をかけて皆と同じモノを掠め取ろうとする卑怯者だ。
勝つか負けるか、そんなリターンとリスクの間で成立するスポーツという美しきモノの外側から、その勝利の美酒を盗み舐める寄生虫が私だ。
いつからだろうか。
戦う事を辞めたのは。
受験で失敗し、大学も留年し、出世のレースからも外れてきた人生だ。
自分が物語の主人公になり得ないと気付いたのいつからなんだろうか。
私は戦えない。
誰かの勝利の一報に言い知れない高揚感を抱くだけのただのモブキャラクターに過ぎないのだ。
嗚呼、大谷。
私はそこに居たかったよ。
マウンドの上で両手を広げて、チームメイトが駆け寄るその中心に。
昔、甲子園でその姿を見て、私は君に憧れた。
メジャーリーグを目指す力強いその瞳に私は憧れたんだ。
戦い続ける男の顔はこんなにも勇ましいのかと。
嗚呼、大谷。
君の人生の主人公は君なんだね。
私の人生の主人公も君が肩代わりしてくれないか。
どうか、どうか。
私の代わりに戦ってくれないか。
人が当然のように持って生まれてくる小さな勇気さえ、私は人生の道程で落としてしまったみたいなんだ。
戦うってどんな感覚なんだ?
勝つってどんな感覚なんだ?
負けるってどんな感覚なんだ?
私はなにも持っていない。
皆が立つ同じ地平を見ることも叶わない。
なあ、大谷。
もし過去に戻れたら。
君と野球ができたら。
その時は私に、あの時の僕に、戦い方を見せてやってくれないか。
そうしたらきっと、僕は自分の人生を取り戻せるから。

どりゃあ!