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噓日記 1/18 山男の死

山男、なんて言葉が一般化してどれだけの年月が経ったのだろう。
日本語の変化の中で山を愛する男たちが自らを山男と名乗ったのか、それともそんな彼らを見た人々がその狂いを揶揄して放ったのか。
俺には窺い知ることもできない。
俺はそんな山男から一番遠い存在なのだ。
俺は山が怖い。
大自然が俺の視界を満たすこと、その荘厳な雄大さに飲まれること、そしてそれらと向き合うこと。
その全てが俺にとって恐怖というか畏怖の対象なのだ。
今回の日記では俺が山を嫌いになった理由を記しておく。
あれは今から四十年ほど前。
俺が小学校二年生だった頃の話だ。
俺が通っていた学校の近くには標高三百メートル程度の小さな山があった。
その山に一年生から六年生までが各学年二人ずつ、十二人一班になって登るという年一回のイベントがあった。
一年生の頃は上級生におんぶに抱っこ、俺が足が痛いと言えば班みんなが止まるし、俺が疲れたと言えばみんなが俺を気遣ってくれた。
しかし二年生になれば俺も気遣う側に回るのだ。
自分より小さな一年生がうまく登れるのか、子どもなりに気遣いながら登ることとなった。
三百メートルといっても子どもの足ではなかなか大変な道のりだ。
途中で一年生の女の子が疲れて座り込んでしまい、班の全員が歩を止めて休憩に入る。
俺は何故かその時、その子をどうにか慰めてやらねばならないと思ったのだ。
女の子のリュックサックに絵本のキャラクターのキーホルダーが付いていることに気付いた俺は、その絵本の話を女の子に振ってみた。
女の子の食いつきはよく、次第に疲れを忘れたのか立ち上がって走り回りながらその絵本の話をし始めた。
班の全員が女の子に置いていかれないように休憩を切り上げて、そのままのテンションで山頂へと急いだ。
とうとう山頂に辿り着き、開けた景色から見えるのは俺たちが生まれ育った町。
小さな町が俺の視界の下で広がっている。
女の子はまだ絵本の話をしている。
俺はその子の話を制止して、眼下に広がる町を指差した。
あんなところに俺たちの学校があるよ、そんな話を彼女とした。
そして無事下山して、数日後。
一年生から同じ班のメンバーに向けて感謝の手紙が送られてくる。
気になったのは件の彼女。
彼女からの手紙はこうだ。
「ワンチャン狙ってる感じが透けててキツかったです。正直絵本の話をしながら走ったのはあなたから逃げるためです」
なんじゃこのガキ。
こんな思いをするくらいなら山なんて登らなければよかった。
山なんて嫌いだ。
ちなみにワンチャンは狙ってた。

どりゃあ!