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噓日記 11/27 キレ方の作法

今日もいつものように世の中の小さな不条理に不条理をぶつけてキレ散らかして生きている。
六道輪廻、落ちるならきっと畜生道だろう。
冬の俺は獣のように本能で生きている。
冬に落ちるなら畜生道、覚えておこう。
さて、品行方正に生きようという気はさらさらなく我が身に降りかかる火の粉には積極果敢に敵対しようという気概で生きている俺なのだが、今日もまた小さな不条理に小さくキレてきた。
今日の昼過ぎ頃、自販機でお茶を買おうとしたのが我が怒りの始まり。
小銭入れにお茶の代金160円が丁度なかったので、500円玉で支払った。
500円玉を入れて、ボタンを押すとガタンと大きな音を鳴らしてペットボトルが落ちてくる。
さて、もういい。
この自販機に用はない。
しかし、数瞬待っても釣り銭が落ちてこないのだ。
釣り銭のレバーを自らで倒すまで、ついに自販機は釣り銭を吐き出さなかった。
俺は、キレた。
この程度で、と思う他人もいるだろうが私にはどうしても許せない理由があるのだ。
それは自販機ごとの釣り銭の返し方の統一性の無さだ。
あるところの自販機では連続で何本か買おうとしてもその度に釣り銭を吐き出すものだから、何度も何度もスクワットのように足腰を曲げて買わなきゃならなかったという経験がある。
今回の自販機と比較すると奥ゆかしいが、こちらが複数本買いたい時には不便なシステム。
連続でボタンを押すと取り出し口が詰まるから一本ずつ取り出して、また返却された釣り銭を取り、硬貨の投入口に入れる。
その動線を繰り返す度、腹立たしさが増していく。
一気に買わせてくれよ、と。
その時もちゃんとキレた。
このように自販機ごとに釣り銭の返し方に特性があるのが気に食わない。
どちらかに統一してくれさえすれば、こちらから擦り合わせる。
それくらいの優しさは持ち合わせている。
俺がまだ畜生道に落ちていない理由もここにある。
件の自販機はまるで、500円玉で支払ってるから釣り銭分でまだ買えますよ、と偉そうに説かれているような気さえする。
やかましい。
こちとら人間、計算くらいできるのだ。
そんで一番キレたいのはお茶の価格。
160円って。
狂うだろうがよ!
俺の老後の計画が狂うだろうが!
高すぎるんじゃ、バカタレが。
駄菓子だったら16個くらい買えるじゃん。
駄菓子16個分の幸福をくれるわけでもねぇのにすごい強気じゃん。
まぁ、そういうところ、嫌いじゃねーけど。
ここまで書いて感じるのは俺の購入数に合わせて反応を変えろという悪質クレーマーの手記みたいでヘコんだ。
俺は畜生道に落ちる。

どりゃあ!