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嘘日記 3/27 ギター

ギターを買った。
会社帰りの繁華街、ひっそりと喧騒に紛れていた小さな楽器屋のショーケースの赤いギターと目があった。
テレキャスタータイプの真っ赤なギターに私は一目で恋に落ちた。
普段なら楽器屋なんて異世界だと思っているのだが、今日はまるで常連のような軽い足取りで入店。
ツイストパーマに無精髭を蓄えた如何にも拘りがありそうな店員が暇を持て余したのか、一見の私に声をかけてくれた。
ありがたい。
こういう人種に声を掛けるのはなかなか勇気がいるものだ。
何かお探しで? という店員に、ショーケースの赤いギターが気になっている伝えると、彼は件のギターを丁寧に取り出し、慣れた手つきでチューニングして試奏してみろと手渡してきた。
困った。
ギターなんて弾いたことがない。
その旨を伝えると、店員はじゃあ自分が弾いてみるから音だけでも聞いていってくれと言ってくれた。
ギターをアンプに繋いで、1ストローク。
ジャラーンというクリアな音が店内に響く。
店員が指を動かすたびに伸びやかな音が店内にこだまする。
「お兄さん、これがCです」
最後に、Cコードというらしいコードの押さえ方を私に教えるように丁寧に押さえて、ギターを私に寄越してきた。
促されるままに椅子に座って、彼の言った通りに押さえてみる。
2弦の1フレット……
3弦の2フレット……
5弦の3フレット……
6弦は鳴らないように親指でミュート……
一本ずつ指の所在を確かめるように、彼が教えてくれた場所に指を置いていく。
これがCコード。
押さえた後、彼の顔を仰ぎ見ると、にこやかな表情でピックを手渡してきた。
右手の人差し指と親指でピックを摘む。
ギターを見て、店員を見る。
店員は深く頷いた。
そっと確かめるように、しかし確かに弦に引っかけながらストロークする。
音が始まる。
音楽が始まる。
確かに今、Cの音を私は鳴らした。
急いで顔を上げて店員の顔を覗き込む。
店員は何も言わなかったが、どこか満足そうな顔をしていた。
これ、このギター、ください。
いつ間にか口から出ていた言葉に私自信驚いた。
店員は言う。
「普段は初心者の方にはあまり高くないギターを薦めるんです。いつ辞めても自分を責めないように。でもお兄さんには薦めないでおきます。さっき、初めて音楽に出会った顔をしてたから」
クレジット、一括で。
爽やかな空気が店内を通り過ぎた。
ギターケースに入れてもらったその赤いギターを私は今日担いで帰った。
アンプやその他、必要な物はまた週末にでも手ぶらの時に買いにきてくれればいいと。
最後まで店員は親切だった。
帰り道、the pillowsの曲を思い出した。
白い夏と緑の自転車 赤い髪と黒いギター。
今の私は、青い春と茶色の革靴 黒い髪と赤いギターだな、なんて考えながらほくそ笑んだ。
帰宅して、ケースからギターを取り出し、弦を押さえる。
2弦の1フレット、3弦の2フレット、5弦の3フレット、そして6弦をミュートに。
鳴らすのは、そうCコード。
小さな部屋に音色が響いた。
来月、私の口座から43万円の引き落としが行われる。

どりゃあ!