【ウマ娘】Fの疾走/キミに勝ちたい【風都探偵】

※本作は『ウマ娘 プリティーダービー』と『仮面ライダーW』『風都探偵』のクロスオーバー小説になります。オリジナルウマ娘等々、二次創作が苦手な方はご注意下さいませ。

《SIDE:橋立はしだて 翔マしょうま

 ここでは何が起きてもおかしくはない。ほんのひと瞬きの間に人が老い、姿を消し、代わりに異形の化け物が現れる。巨大な怪物が闊歩し、空を滑空する。ビルが溶け、罪なき人々が凍る超常現象の坩堝。厄災を運び続ける不快な風はそれこそ『どこ吹く風』とのんきに風車を回し続ける、なんて忌むべき街。

 私が『風都ふうと』を出たのは、そういう後ろ向きな理由からだ。それからはどこに行っても馴染めなかった。世間のはみ出し者というのは得てしてそういうものだ、まして故郷を憎んで飛び出た若造に世間は厳しく、気がつけばバイトで食いつなぐ毎日。

 なんとなく生きて、なんとなく死んでいく。それをこそ望んだ私の人生はけれど理性に反して、刺激を求めてもいた。せっかく手に入れた怠惰な日々をぶち壊してくれる、そんな衝撃。いっそあの街に戻ればそれが味わえる、でもそんな理由で帰郷するのは癪だった。

 ……中京レースに足を運んだのは、本当にただの気まぐれだった。こういうレース場の屋台は美味いと聞いたから、唐揚げだの土手煮だのを目当てにレースを見学することにした。

 『それ』は風都に出没する怪人とは程遠い、限りなく私達人間に近い存在。ひょこんと頭部から飛び出た耳と、ふんわり伸びる尾。コスプレした人間とそう大差ない……その驚異的な脚力を除いて。

「――――!」

 コースを走る彼女達を見た途端、私は震えた。正直言って怖かった。何が『コスプレした人間と大差ない』だ。

 折りたたまれた膝からぐんと伸びる足は蹄鉄でもって大地を抉る。その跡はまさしく『怪物の足跡』と呼ぶに相応しい。押し出された身体はジェット機とも見紛うような風切り音を立て、それでもなお加速を続ける。出鼻から最高速度を保つ者、中盤からぐんぐんと追い上げる者、終盤になって自分以外の全員を置き去りにしゴールする者。

 ウマ娘。彼女らはそう呼ばれる。

 私は戻ってきてしまった。ほんのちょっぴり力を込めるだけで私のどてっ腹に穴でも空けられるような、怪物達の巣窟に。

 そして……認めよう。私はとっくの昔に魅入られていたのだ。それこそ子供の頃、風都に暮らしていた頃からずっと、魅了されていた。

 この愛おしい逸脱者達に。


 街全体に昔ながらの面影を残しつつ、一方で都市部には若者好みのブランド店が立ち並ぶ。あちらこちらに風都のシンボルとも言える風車が回り、風の行方を知らせる。一つの生き物が成長するように、風都もまた成長を遂げていた。一度破砕したという風都タワーもすっかり元通り、ふうとくんは街の外でも人気者でよく見かけていた……私が意識せず追いかけていただけかもしれないが。

 気がつけば私はうどん・そば屋の前に立っていた。目的地はここではない、その真後ろに位置する建築物、風都風花町一丁目二番地二号『かもめビリヤード場』の二階。そこに事務所を構える、探偵に話がある。

 階段を上り、呼び出しのブザーに指をかけようとした瞬間、

「このすっとこどっこい!」

 パシン、と心地の良い音が扉の向こう側から響く。

「殴るこたねぇだろが!」
「また帽子買ってきて!もう飾るとこ無いじゃろがい!」
「おいおい、よく見ろよ亜樹子あきこ。『WINDSCALE』の新作だ。この渋い黒は他のどれとも違う、今までになかった大胆な発色だ。俺には分かる。そこに赤の印字、コイツが良いアクセントになって」
「昨日もそう言って別の帽子買ってきたじゃん!ときめちゃんがいないからってソワソワと落ち着きのないこっちゃ!リリィさんとの旅行から戻ってきたら言いつけちゃる!」
「ときめは今関係ねぇだろ!」

 男女の会話は扉越しでもはっきりと聞こえてくる。このままでは埒があかないと、ブザーのボタンを押した。


《SIDE:ひだり 翔太郎しょうたろう

「橋立 翔マさん。職業は、トレセンのトレーナー?」
「しかも中央のトレーナーさんじゃん!」

 今回の依頼人は橋立 翔マ。風都では最近まで馴染みのなかった『ウマ娘』のレースにおいて、彼女達のトレーニングやサポートを生業としている。馴染みがなかった、と表現したのは、この街に彼女達の走れる場所が存在しなかったためである。ところが数年前、ここ風都にもレース場を建造する案が立ち、ついこの間完成を見た。その初レースは一か月後と聞き及んでいる。

「私が風都を訪れたのはレース場の下見、と帰省だ」
「あんた、この街の生まれだったのか。どうだい、久々の故郷の風は」
「変わらずザワザワする。この街は落ち着かない」

 少しムッとするが、彼の言わんとすることも分からないわけじゃない。とりわけここ最近はドーパント……『ガイアメモリ』と呼ばれる、特定のデータを膨大に内包したアイテムを使用することでそのデータを元に変貌した怪人たちによる事件が頻発している。出回っているメモリこそ知れた能力ばかりだが、如何せん数が多くて対処に追われている。

「それで、依頼というのは」

 翔マさんは手を組み、苦々しい表情を浮かべたまま話し始めた。


 ドーパントの噂を耳にした、実際に目撃した。そういう人は決して少なくない。彼もその一人だ。

 風都への嫌悪感を募らせた彼は単身家を飛び出し、日々をバイトで食いつなぐ。そんな時、たまたま観戦したウマ娘のレースに感銘を受け、すぐさまトレーナーのライセンスを取得。そのまま日本ウマ娘トレーニングセンター学園、通称『トレセン学園』にてトレーナーを務めることとなる。ウマ娘を指導・育成するトレーニングセンター学校は地方に点々と存在するが、彼は亜樹子の言った『中央』、つまりはエリート校の指導員という立場にあった。彼には他者を育て上げる才能があったのだ。

 そして今担当しているウマ娘を連れ、先の風都レース場で行われる『エクストリームドリーム E x D カップ』の下見に来た。しかし、そのウマ娘が行方不明になったという。

 最後に会ったのはすずかぜ公園。ラーメン屋台『風麺』で空腹を満たした後、公園で腹ごなしに軽いトレーニングをしていた所、不意に彼女が姿を消したという。

「不意に、なんて言っても目の前にいたんだ。それが急に、異次元にでも飛ばされたみたいに消えた。まず普通じゃない」
「それでウチを頼った、と」
「行方をくらませたのが昨日、寝ずに方々を探し回ったさ。街にはそれなりに詳しいつもりでいたが、それでもあいつは見つからなかった。警察を頼ろうとも思ったが、まずその前にここの存在を思い出したんだ」

 超常現象に詳しい、鳴海なるみ探偵事務所の噂を。

「……分かった、依頼は受ける。ただしどのみち頼るつもりでいたってんなら警察とも情報を共有させてもらう。こいつの」

 と言って亜樹子を指さす。

「旦那が風都署の刑事でな、超常現象絡みの話も通じる。それでいいな?」
「特に警察を頼りたくない事情はない、報道なり好きにやってくれ。あいつが、相棒が無事に戻ってきてくれたらそれでいい」

 相棒、という言葉に熱を感じた俺は、

「わざわざ風都のレースに名乗りを上げた理由は?言いたかねぇが、あんたは風都をあまり好いてないように思える。それにExDカップはまだ一度も開催されたことのない未知数のレース、それより有名で活躍できるレースの一つや二つ、あるんじゃないのか」

 翔マさんはふっと笑う。自分自身を嘲笑うように。

「私は確かにこの街を嫌悪している。でも、何だかんだ愛着はあるんだよ。街を出てますます分かった。自分が生まれ育ったこの風都は、治安は悪いがそこもまたスリリングで良い。名所もそれなりにある。だから……私の思い出を、彼女と共有したかったんだ」

 彼の両手が小刻みに震え、声ががさつく。遂には目の端から涙を零し、言った。

「私の大事な相棒なんだ。苦楽を共にして二年目、ここからが本番なのに、万が一にも……万が一にも!」

 それ以上は言わなくていい、と俺は翔マさんの肩に手を置く。そしてとびきりハードボイルドな台詞を決める。

「あんたの相棒は生きてる、俺が必ず見つけ出す!そして、この街で思う存分相棒を走らせてやってくれ!」


 翔マさんが去った直後、部屋の奥からか細い声が聞こえた。

「そこは『俺達が』だろう?翔太郎」
「言うの遅くねぇか。つかどうした、声に覇気がねぇぞ」

 事務所から繋がるガレージには装甲車、リボルギャリーが格納されている。そんな秘密基地めいた部屋の奥で、相棒が倒れていた。

「フィリップ!」
「翔太郎。ウマ娘というのは、実に興味深いね」

 俺の相棒、フィリップが常用するホワイトボードには端から端まで『ウマ娘』について検索した痕跡が残っている。やれにんじんハンバーグがどうとかメジロが何とか、とかく調べきって疲弊した相棒はこうして力尽き、ノビているというわけだ。

「人類の歴史を手繰るのと同じようなものだったからね、疲労もひとしおだ」

 うつ伏せのままそう呟くフィリップをソファに寝かせ、

「聞いてたな、依頼はウマ娘の捜索。名前は」
「『ヒダリサイクロン』」

 なんつー名前だよ、とぼやく俺に対し、相棒はどこか嬉しそうである。

「ガイアメモリに関わる者同士は引かれ合う。だったら」
「名前でも引かれあうってか、どういう運命だ」

 フィリップは横になったまま天井を見上げつつ、

「それで?翔太郎、君の意見を聞きたい。これからどうする」
「最後に彼らが会っていた現場、すずかぜ公園を当たる。照井てるいには亜樹子から連絡済みだ、お前は『裏風都』が関わっている可能性から推理を進めてくれ」
「確かに、忽然と人が消えたとなれば裏風都を疑うのは当然だ。しかし出紋でもん 大騎だいきの件も記憶に新しい、地下や他に誘拐できそうな場所も調べておこう」
「おう、頼むぜ相棒」
「それにしても翔太郎、今回はやけにてきぱきと動くね」
「……何だよ」
「いや、ときめがいない寂しさを紛らわせようと張り切っているのかとね」
「お前までときめときめって!」


 当時『魔女』の異名で知られ、追剥を繰り返しては所在を突き止められずにいたときめ。彼女を見つけ出したのもこのすずかぜ公園だった。ビル群に囲まれた広場の中央に変わらず噴水はあって、しかしあいつの姿は無かった。当然だ。今はリリィ白銀しろがねと街の外の遊園地に遊びに出ている。助手にも休暇は必要だと勧めたのは俺だ、だからその分頑張んねぇと。

「犯人は現場に戻る。捜査の基本だ」

 公園の隅から隅まで見分するが、目ぼしいものは見つからない。屈んでベンチの裏を調べていると、

「あの、あなたが翔マさんの雇った探偵さんですか」

 背後から声をかけられ、振り向くとそこには一人の少女が立っていた……翔マさんに見せてもらったヒダリサイクロンの顔写真そっくりの、しかしウマ娘特有の耳も尻尾もない女の子。

「君は?」
「ミギノって言います。ヒダリの、妹です」

 よく見れば彼女の隣に男性が一人、立ち上がった俺にそっと手を差し出す。

「父のまことと申します。娘の行方が分からなくなったと連絡を頂きまして。警察で話をしていたら、信頼できる探偵が今現場を調べていると聞きました」
「左 翔太郎です。今回、ヒダリさんがいなくなったことに何か心当たりは」

 彼は首を横に振る。そもそもトレセンの学生は寮生活だ。真さんもミギノさんも、もう一年以上は会っていないことになる。

 そのまま三人ベンチに座り、事情を聞く。ヒダリさんとミギノさんは双子で、しかし二卵性双生児ゆえ片方はウマ娘、もう片方はヒトとして生を受けた。彼女らの母親は出産後まもなく亡くなられたそうで、男手一つで娘二人をここまで育て上げたのだと真さんは言う。

「本当は一か月後にこの街を訪れる予定でした。娘の晴れ舞台を観に……まだ一度も、レースを見てあげられていないのです。あの子が嫌がって」
「嫌がる?」
「恥ずかしさからだと分かっていました。そんな折、あの子から連絡があったのです。一年間で十分に実力をつけたから見に来てほしいと、家族に見せても恥ずかしくない走りをしてみせると、電話越しに……それがこんな」

 彼の心境は察するに余り有る。それはミギノさんも同じだ。

「トレセンでの生活は楽しいばかりじゃないってお姉ちゃんは言ってました。トレーニングは厳しいし、ライバルだらけで一時も気が抜けないって。もしかしたらレースが嫌で家出したのかも」
「家出なら君達親子の下へ戻ってきたはずだ。お姉さんに、他に頼れる場所はありそうだった?」

 ミギノさんは視線を落とし、考え込んでいたのか、はっと顔を上げる。

「アグネスタキオン!同じウマ娘で、お姉ちゃんは彼女をとても信頼していました。もしかしたら自分の部屋に匿っているとか」
「成る程。木を隠すには森の中、ウマ娘を隠すならトレセンの中ってことか。いっちょ調べてみるか」


《SIDE:フィリップ》

「そういうわけで相棒、俺はトレセンに向かう」
「分かった、こちらは任せておいてくれ。何かあったらまた連絡を」

 スタッグフォンの通話を切り、ぼくは無想に耽る。まだそれらしい足取りは掴めていない、星の本棚で絞り込むのは翔太郎の連絡を待ってからでいい。事務所に顔を出すと、がらんとした静けさが襲う。亜樹ちゃんは照井竜のところか。

「……ぼく一人が相手でも恐いのかい?」

 天井を見上げると、そこに化け物が張りついていた。

「探偵は、どこだ」

 化け物はぱっと天井から離れ、軽やかな着地を見せた。四肢に蓄えた爪は鈍い輝きでもって鋭さを主張し、狼を思わせる縦に伸びた顔は立派な牙を生やし、ぐるると唸りながら涎を垂らす。

「彼は留守にしている。そして探偵は、彼一人じゃない」

 そう言い切ると同時に、ファングメモリが飛び出し謎のドーパントを襲った。

「来い、ファング!」

 攻撃も程々に、ぼくはファングメモリを掌に載せ、ドライバーに装着できるよう変形する。先の通話中、念のためにドライバーを巻くよう翔太郎に言っておいたため、ぼくの腰にはダブルドライバーが装着されている。ガイア・リレーションを通して危機を察した翔太郎からジョーカーメモリが転送される……はずだった。

 ドーパントが咆哮する。それと同時にドライバーから青白い火花が飛び散り、ライブモードに戻ったファングがその機能を停止して床に横たわった。いつまで待とうがジョーカーメモリは転送されてこない。

『おい、フィリップ!どうした!』

 ドライバーを装着している間、ぼくと翔太郎は思念で会話が可能だ。しかし今、ダブルドライバーにそれ以上の効果は期待できない。

『エターナルを相手にした時と同じだ。メモリを封じられた』
「ジョーカー、ヒート、メタル、ファング」

 眼前のドーパントは歯を剥き出しにして、いやらしく笑う。

「機能を一時的に停止させられるのはたったのそれだけ、エターナルほど万能じゃない。でもそれだけで仮面ライダーになれないのがあなた達の弱点!」

 かぎ爪による攻撃をかろうじて避けるが、事務所は滅茶苦茶に荒らされていく。あらゆるものを切り裂くメモリ、『エッジ』や『シザーズ』に近い。だが、そのいずれとも異なる荒々しさは何だ。まるで飢えた獣の如く吼え、明らかな憎悪を込めて襲い来る。

「……また変身する機会が来るとはね」

 翔太郎の席に回り込み、デスクの引き出しを開けようとする。その前にドーパントが両腕をデスクに叩きつけ、書類諸共粉微塵に砕けた。

 その中にきらりと光る赤いドライバーを掴み取り、もう片方の手でメモリを起動する。

『サイクロン!』

 音声ガイダンスが流れ、緑色に発光するメモリをドライバーに――交換したロストドライバーに差し込むと、スロットを開いた。

「変身!」

 室内に突風が吹き荒れ、身体に緑色の装甲を纏う。全身にくまなく刻まれたラインから風を吸収し、落ち着いたところでマフラーが垂れ下がる。

「仮面ライダーサイクロン」


 闘いの舞台は事務所の壁を突き破り、ひと気のない空地へと移る。あえてドーパントからそういう動きを見せた(狙いは本当に翔太郎一人か?)が、被害を最小限に抑えたいのはこちらも同じだ。

 攻撃も四肢の爪に留まらず、全身から更に刃を形成し、一挙一動の全てがぼくを切り刻むようだ。しかしサイクロンはそれらの攻撃をいなし、動き回る中で発生する空気の流れを全て内へと取り込み、力に変える。まして今日の風都は風が強い。街を背に、サイクロンは実力以上のポテンシャルを発揮してくれる。

 風を纏った突き、蹴りは鋭さを伴ってドーパントの身体に傷をつける。しかしそれは向こうも同じ、ハリネズミを思わせる刃の塊はいよいよこの鎧を抉り始める。

「――――!」

 ドーパントが吼えた。すると右腕についた切り口がばくんと開き、激痛と共に敵の刃が生えてきた。左足、左わき腹、攻撃を受けた箇所から白い『牙』が形成され、下手に動こうものなら自分の身体を更に傷つけてしまう。そしてその傷からまた、という悪循環だ。

「成る程、君のメモリが分かった」

 ぼくらが所持するガイアメモリの中でも、常用する6本のメモリは何も仮面ライダー専用というわけじゃない。かつて死者蘇生兵士『NEVER』率いる大道だいどう 克己かつみの決起の際には、ジョーカーを除く全てのドーパント体が確認されている。そしてジョーカードーパントのメモリも、使用こそ出来ないがぼくの手元にある。

 だが別の『切り札』とも言える残り2本のメモリに関しては、そのドーパント体は確認されていない。そもそもぼくらのメモリはドライバー無しでは変身できず、唯一生体コネクタやドライバー無しで扱えるT2メモリは全て失われたはずだった。だが、破壊を免れたものがあったらしい。

「それが『ファング』だ」

 ドーパントは、いや、ファングドーパントは感心したのか頷く。

「成る程、探偵は一人じゃないというのは間違いではないね。知ってはいたが」
「それでも翔太郎に固執したのは、あくまで二人での変身を防ぐため」
「それが何よりの脅威だと聞いた。それに一人で変身できるのは彼だけだとも」
「古い情報だ。誰に聞いたのかは、とても興味があるけどね」

 ドーパントは笑う。その笑みにどこか純粋さを感じたのは気のせいだろうか。

「これ以上お喋りを続けると全部見透かされそうだ。悪いが、逃げを選択させてもらう」

 させるか、とサイクロンメモリをマキシマムスロットに刺し替える。突風と共に突きだした手刀はしかし、全速力で走り出したドーパントに掠りもしなかった。消えるでも飛び去るでもなく、その強靭な足で走り去っていく。バイクもびっくりの速度だ、これでは追いつけまい。

「走り、か」


《SIDE:左 翔太郎》

『というわけだ翔太郎。敵は君のいるトレセンに向かった可能性が高い。くれぐれも注意したまえ』
『分かった、ドライバーはそのまま常に身につけておく。しかしファングドーパントとはな』
『実に興味深い力だった。牙の植えつけなどは本来のファングの能力を外れているかもしれない』
『……ハイドープ』
『風都からではエクストリームも時間がかかる』
『わぁってるよ相棒。じゃあな』

 翔マさんの予感は当たっていた。彼の相棒に文字通り『牙』を剥いたのが例のドーパントかは断定できないが、このタイミングだ、無関係ではないだろう。

 俺は今、翔マさんの協力を得てトレセン学園に来ている。学園内はウマ娘で溢れ、将来レースで名を残そうとする野心家達が目をギラギラさせている。時々そうでもない、というか気の抜けた子もいるが、それも多様性ってやつだな。

「ここがアグネスタキオンの部屋……じゃないんだが、いつもここにいる」

 翔マさんに案内されたのは『理科室』、今は使われていない部屋を占領して日夜実験に勤しんでいるとかいないとか。翔マさんは別の用事が出来たから一旦別れると言い、部屋に入るのをどうしても躊躇ったので、俺一人で対峙することになった。彼が何かに怯えていたように見えたのは、俺の気のせいか。

 真っ暗な室内にあって怪しげに光る実験器具がいくつも並び、悪の秘密結社でも常駐していそうな有り様だ。しかしそれもスペースの半分まで、残り半分はオシャレなインテリアが飾られ、安らかな空間を醸している。異質な空間の半分こ、その怪しい方に彼女はいた。

「やあ、探偵君。はじめましてだね」

 椅子に腰かけ、何やら文献を漁っていたそのウマ娘こそ、学園の問題児、アグネスタキオン。はじめましてと言われたが、全然初めて会った気がしない。見た目は当然違う、だが纏う雰囲気がフィリップによく似ている。

「アグネスタキオンだ。風都の仮面ライダーに会えて光栄だね」
「なっ……!?」

 彼女の口角が吊り上がり、その手に細長い何かを握りしめる。

「ガイアメモリ!」

 とっさにジョーカーメモリに手を伸ばそうとして、よくよく目を凝らすとタキオンの握っているそれがただのUSBメモリであると気がついた。依然にやにやと笑う彼女。

『してやられたね、翔太郎』

 フィリップのやれやれといった声が聞こえた。


「私は私自身を含むウマ娘の肉体、その類稀なる可能性に興味があるんだ。身体能力の向上を模索する過程でガイアメモリに行き着いたのは、ごく自然な流れだ」

 紅茶サバラガムワを啜りつつ、タキオンは続ける。

「『君達』が何を聞きにきたのかは察しがついている。答えはノーだ。ヒダリが風都へ向かう前に少し話をしたきりで、彼女を匿ってはいない」
「ちなみに、どんな話を」
「ExDカップの話さ。ヒダリは意気込みを散々私に語り聞かせた後、勝手に去っていったよ。マイペースな子だが、勝利への執着心だけは異常なものを持っていた。もっともそれは野心というより、トレーナーへの恩返しであったんだろうねえ。恩人の故郷で錦を飾る、ご立派なことだよ」
「失踪に心当たりは」
「うーん、どうだろうねぇ。あるような、ないような」

 ちらり、とタキオンの視線が俺の胸元に向けられる。そこには三本のガイアメモリを収納してある。それを何か、クリスマスプレゼントを前にした子供のような目つきで見てくる。

「な、何だよ」
「私はドーパントとやらに興味はない。あれはどう考えたってガイアメモリの使い方を間違えた失敗作だろう?毒性を取り除かないまま、形態変化も余分だ。余りある力というのは転じて弱点にすらなりうるのだから。だが、メモリそれ自体にはそそられる。ゾクゾクするね」

 同類を見つけたのがそんなに嬉しいのか、フィリップの笑い声が木霊する。

 タキオンは指をパチンと鳴らし、

「提案だ。トレセンで聞き込み調査を続けている間だけでいい、君のメモリを一本貸してくれ。代わりに私はヒダリの居所に関わる情報を提供しよう」
『……どう思う、フィリップ』
『彼女は知識に貪欲なだけの、それこそぼくの同類だ。メモリから得た知識の悪用はしないだろう。少なくとも人を傷つけるような真似はしない。彼女の"ウマとなり"は本棚で検索済みだ。それに彼女の研究から得られた知識も多い。ぼくはある意味、彼女の研究資料を盗み見た立場であり、閲覧料くらいは払ってもいいのではないかと思うね』

 そういうもんか、と首を捻る。

「相棒との相談は済んだかな」
「そこまで知ってんなら閲覧料云々は無しでいいんじゃねぇか?でもまぁ、分かった」

 上着の内ポケットから赤のメモリを引き抜き、タキオンに手渡す。

「ヒート。いいね、探求心が燃え上がるようだ」
「研究は後でいくらでもさせてやる。まずは情報だ、こっちは一刻の猶予もない。あんな危なっかしいドーパントに狙われてるとなりゃ」
「ああ、そこは安心したまえ。おそらくヒダリは生きている、しかも私の考えが正しければ、無傷だ。だからこそ放っておいても良かったと判断したわけで」


「……あなたが、アグネスタキオン」
「初対面に向ける表情では無いよ、君」
「あなたに恨みは無いんです。でも、そういう契約なので」
「ふぅン。ガイアメモリの料金はウマ娘一人、ってところかい。いや二人か?」
「あの人は違う!私はあの人に追いつくためにここまでしたんだ!あなたにはそのための犠牲になってもらう。探偵を先に始末したかったけど、学園内のどこを探しても見当たりませんでした。でもあなたを捕らえてしまえば後は関係ない。あの人と仲良くしていたのが運の尽きでしたね、おかげで私に目をつけられた」
「目をつけていたのはこちらも同じ……そういうことだ、探偵君」

 えっ、と『彼女』は振り向くがもう遅い。テーブル裏に隠れていた俺は姿を現し、

「あんたがファングドーパントの正体だったのか、ミギノさん」

 ミギノさんの顔が苦悶に歪む。何を、と言い訳を始める前に俺は言う。

「風都にいたはずのあんたが今街にいないのは相棒が確認済みだ、真さんを放ったらかしにして……心配してるぜ。愛娘が二人も行方不明になった、しかも片方は俺の相棒を襲撃した後、走ってトレセンまで来たってんだからな」

 だが失踪劇もここまでだ。今の言葉から察するに、何らかの目的でタキオンを襲いにきたのだろう。だがタキオンはそれすら予期していた。ヒダリと親交のあった自分が狙われる可能性は高いと。

「考えるんです……どうして、私はウマ娘として生まれてこなかったのかって」

 ミギノさんは話し始める。今回の事件の動機を、そこに隠された彼女の想いを。


 お姉ちゃんは生まれつき足が速かった。同じ時間に産まれ、同じように育てられながら、神様はお姉ちゃんにだけギフトを授けた。風を追い抜く権利を。

「待って、お姉ちゃん」
「待ってるよ、早くおいで」

 子供の頃、お姉ちゃんはよく私を待っていた。どうしても走る速さに差が生じるから、いつだってお姉ちゃんは私の先にいた。

 ねぇ、先頭の景色ってどんな感じ?

 気がつけばトレセンに入学し、めきめきと成長するお姉ちゃん。お父さんに黙ってこっそりレースも見に行っていた。必ず一着だったわけではないけれど、上位を競うあの人はもう私が追いつける場所にいなかった。

 二卵性双生児の私達は、どうしてだろう、走りたいという欲だけは瓜二つだった。でも私はヒト、あの人には追いつけない。

 ねぇ、自分以外の全員を抜き去った景色ってどんな感じ?

 教えてよ、お姉ちゃん。待ってて、今行くから。

 ……どんな手を使っても。


『ファング!』

 ガイダンス音が鳴り響き、研究室にドーパントが現出する。そこにいたはずのミギノさんはドーパントへと変貌し、タキオンに襲い掛かる。

「やめろ!」
「トレーナー君!」

 俺が叫ぶのとほぼ同時に、タキオンの呼び声に合わせて扉をぶち破り、燃える大男が現れた。新たなドーパントか、と身構えるが、タキオンは落ち着いた様子で言う。

「あれは私のモルモ……トレーナー君だ。先程大急ぎでヒートメモリを解析、その能力を一時的に引き出せるよう実験させてもらった」
「いやいや、それドーパントと変わんねぇって!」
「安心したまえ、ただの虚仮脅しだ。すぐ鎮火する。だからほら、早く変身したまえ」

 燃える男に気圧されていたドーパントはこちらの挙動に気づき、絶叫する。それに合わせて大男トレーナーの火も消える。ジョーカー、ヒート、メタル、ファングメモリを一時的に使用不可にするという能力か。

「だから言ったろう?『君』も来ておいた方が良いと」

 タキオンの言に答えるよう、破られた扉の向こう側から飛来する鳥。体当たりでもってドーパントをけん制すると、俺の隣に光線を放つ。

 そこから見る見る内に一人の人間が形成されていく。データから人に戻った相棒はタキオンを見やり、

「ご忠告感謝するよ。代わりに良いものをお見せしよう」

 鳥は再びフィリップの身体を吸収、ダブルドライバ―から伸びたガイドラインに沿って降下する。そうして鳥は、エクストリームメモリはスロットを開いた。

『エクストリーム!』

 地球に蓄積されたあらゆる事象のデータを纏い、半分こ怪人はその身を開く。俺と相棒は身も心も一つとなり、究極の仮面ライダーへと変貌を遂げた。

 おお、とタキオンが歓喜の声を上げる。

「これが仮面ライダーダブル、サイクロンジョーカーエクストリーム!」


 他のウマ娘が逃げ惑う中、『三女神像』の建つ中庭にてファングドーパントと相対する。初めから全身に刃を纏ったドーパントの猛攻をビッカーシールドで受け流し、

『プリズム!』

 プリズムソードによる一撃をくわえる。肩のひときわ巨大な刃を粉砕、同様に足を攻める。ファングの攻撃の起点となるのは俺達の変身するファングジョーカーと同じ。つまり肩、手首、足首を重点的に叩けばいい。

「メモリブレイクの前に聞いておきたい。ミギノさん、彼女をどこへやった」
「……知りたいなら連れて行ってやる!」

 ドーパントは再び咆哮する。しかしこれはメモリを封じるためではない、合図だ。

『ハイウェイ!』

 その音声が鳴り響いた先、ドーパントの背後に白服の男が立っていた。男はその手に握ったガイアメモリを自身のこめかみに突き刺し……そして世界が一変する。

「ああん?一体どこに飛ばされて……」

 裏風都とも異なる、全く別の異次元。ひたすらに広がる青空と雲、それにレース場のような敷地。そのスタート地点に、俺達の探していたウマ娘はいた。

「ヒダリサイクロン!」

 彼女はきょとんとした顔でこちらを見ると、大声を上げた。

「何してるんだ!私の妹に手を出すな!」

 ドーパントとの間に割って入り、尋常ではない剣幕でこちらを責める。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺達はキミを助けようとして」
「お姉ちゃんどいて!決着をつける前にそいつを始末しないと」
「何を言ってるんだ、ちゃんと説明しなさい!そっちは物騒な剣を片して!」


 ミギノさんが姉を連れ去ったのは……初めは始末する腹積もりだったらしい。嫉妬心が彼女をそうさせた。そのための準備は先程の白服がやってくれたという。T2ファングメモリ、仮面ライダーの存在、それにこの異空間。『ハイウェイ』メモリによる異空間とみて間違いない。ここで復讐を遂げる手筈であったが……それは出来なかった。

 憎しみはあった。恨みもあった。何故自分だけ早く走れないのか、どうして姉に追いつけないのか。だが、それでも血肉を分けた姉妹に変わりはない。愛情と憎悪は両立するのだ。そんな葛藤を聞いたヒダリさんは提案する。

 走りで決着をつけよう、と。

 ミギノさんが勝てば煮るなり焼くなり好きにすればいい。白服は元々『始末した姉の遺体』の引き渡しを条件に手を貸していたらしい。だが自分が勝てば元の世界に戻すこと。そして二度とメモリを使わないこと。ミギノさんはその条件を飲んだが、白服としてはそうはいかない。そこで代わりにアグネスタキオンを攫い、万が一自分が負けた場合の保険にしようとしていた、というのが事件の真相だ。

 相棒の手にはプリズムソードが握られ、いつでも地面を、ハイウェイメモリで作られたこの世界を刺す準備が出来ている。

「とっさの指示だったとはいえ、ぼく達を引き込んだのが運の尽きだ。彼女達の勝負が終わるまで、この世界は維持してもらおう。それから聞きたいことも山ほどある」

 白服からの返事は無いが、同意と見て良いだろう。

 距離は2000m、左回り、からりと乾いた芝で姉妹は走る。

 ウマ娘対ドーパント。ゲートは無い。エクストリームを維持したまま俺達が合図を務める。

「どういう経緯であれ、こうして勝負が出来るとは思わなかった」
「……お姉ちゃん?」

 待っていたよ。ヒダリさんがそう呟くと同時に、ビッカーシールドが輝きを放つ。

 スタートの合図、レースの幕開けだ。


《SIDE:ミギノ》

 歓声はない。仮面ライダーは何も言わずただ私達の戦いの行方を見守る。

 私が先行し、お姉ちゃんが後に続く。ドーパントの能力である刃は最小限に抑え、蹄鉄の代わりに足裏のスパイクとして使用する。風を切り裂き、ぐんぐんと景色を抜き去る。

 私は走りたかった。叶うのなら、ウマ娘として。こんな異形に成り果ててようやっと同じ速度で駆け抜けられるなんて、酷いじゃないか。

 最初のカーブも何のその、内へ内へと加速する。負荷に耐えられなかった足裏の刃がバキンと音を立てて割れるが構わない。何度でも生えてくる。

 お姉ちゃんの気配が背後から消えた。早速振り落としてしまったのだろうか、それもそうだ。ガイアメモリの力にウマ娘が敵うわけ……。

「早くなったな!ミギノ!!」

 私は愕然とする。すぐ隣だ、もう目の前にお姉ちゃんの姿があるではないか。もし私の身体に触れでもすれば、短くなったとはいえ刃で八つ裂きになるだろう、それでも恐れず同じインコースを攻めてくる。

「どうした、怖けたか!」

 直線に着く頃には完全に抜かれていた。今までその背を幾度となく追いかけて、追いかけて、今もまだ追いかけている。

「や、だっ」

 手足から力が抜けていく。自分がどうあがいても人間であることを見せつけられているようで、嗚呼、そんな……待って、待ってよお姉ちゃん。

 やっとレースで会えたのに。全力で戦えるのに。

 転びそうになりながらもその背中を追う。なんて無様なんだろう、お姉ちゃんは振り向くことなくただただ疾走する。二度目のカーブでますます差をつけられ、もう残り1000m。

 走ることって、こんなに辛かったっけ。そうだ、散々電話越しにお姉ちゃんから聞いたではないか。楽しいばかりじゃない、辛いトレーニングを乗り越えて、それでも勝てず涙を呑むんだと。暗雲と闇をかき分け、その先で一人だけ、願い焦れた勝利を掴み取れる者がいるのだと。

 ……私は、走りたかった。でもそれ以上に、欲しいものがあったんじゃないか。

「勝ちたい」

 勝ちたい。勝ちたい。勝ちたい!

 あなたに勝ちたい!お姉ちゃんを抜き去り、その先にある景色を見たい!

「負けたくないんだぁああああああああ!」

 その時、自分が変わったのを感じた。

 全てのプライドが圧し折れ、肉体は元の人間の姿に戻る。でもメモリはまだ排出されていない。ただ疾走はしるためだけに、全てを捨てて己を研ぎ澄ます。

 私自身が一本の牙だ。ぎゅんぎゅんとお姉ちゃんとの距離を詰め、再度コーナーへ。外回りを攻めるが速度は十分、続けて直線で更に加速、四コーナー、そして最後の直線へ。

 私達はぴったりと並んだ。

「ははっ!私をここまで追い詰めるとは!」
「待たせたね、お姉ちゃん!」

 これで決まる、全てが……四つの足が芝を巻き上げ、決死のウマ娘とヒトが勝利を競う。

「「勝つのは私だ!!」」

 ゴール地点に閃光が伸びる。仮面ライダーが引いたあのラインを先に通過した方が勝利者だ。走れ、走れ、走れ!限界を超え、何もかもを吐き出せ!

 お姉ちゃんと全てを賭けて走るこの瞬間、これだったんだ。私が本当に夢見たもの。

 私はお姉ちゃんと肩を並べて走りたかった。そして、勝利をもぎ取る!

「うおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 雄叫びを上げ、ラインに突っ込む。お姉ちゃんは変わらず隣にいる。そのままゴールし、気の抜けた私の身体は制御を失い、ごろごろと芝を転がる。

 ヒトの姿に戻ったとはいえ私はドーパントだった。だがそれも力を使い果たし、メモリは排出され独りでに砕けた。随分と無茶をさせてしまった。ありがとう、ファング。

 疑似空間の青空を見上げ、大の字で息を切らしていると、お姉ちゃんがそっと近づいてきた。そのまま座り込み、私の頭を抱く。

「誰が何と言おうと構わない。私は今のお前の走りを、誇りに思う」
「……勝っといてよく言うよ」

 笑いながら、自然と涙がこぼれた。もう悔しいのか嬉しいのか、さっぱり分からなかった。


《SIDE:左 翔太郎》

 今回の事件は無事終息を迎えた。ヒダリさんを見つけ出し、ミギノさんのメモリも砕けた。といっても、懸念事項が一つ。

 ミギノさんにファングメモリを渡し、俺達の情報を流して始末させようとした白服。その正体は案の定『財団ざいだんエックス』、死の商人に関わる者だった。超人的な力を持つウマ娘を手に入れ、ガイアメモリ等の実験体にするつもりだったのだろう。

 しかしハイウェイメモリを所持していた男はその後、行方を眩ませた。俺達を無事トレセンに帰し、自ら砕いたと思われるハイウェイメモリを残したのは、これ以上嗅ぎまわるなというメッセージなのだろうか。それとも……あの熱いレースを見てほだされてしまったか。後者であってほしいと思えるほどに、熱い戦いだった。

 そして今日も、戦いは始まる。

「行っけぇえええええヒダリサイクロン!」
「そこじゃああああ!さぁ振り切れえええええ!!」
「もう少し静かに観戦しないかい、二人共」

 俺と亜樹子、それにフィリップはExDカップの会場に来ていた。一か月前のヒダリさんの失踪は一時盛り上がったくらいですぐに忘れ去られた。彼女の妹がガイアメモリの不法所持容疑で捕まったことは、照井の計らいでマスコミに流れることは無かった。

『ヒダリサイクロン!ヒダリサイクロンが差し切りました!今ここに!新たな旋風を巻き起こすスターが誕生!その名はヒダリサイクロン!!』

 勝敗が決したことで会場のボルテージは最高潮に達する。ライブステージではヒダリさんが先頭に立ち、可憐に歌い、踊ってみせた。しかし彼女の笑顔にほんの僅かな悲哀を見たのは、事情を知る俺達だけだろう。

「ばびばぼうぼばいばじだ」
「何言ってっか分かんねぇ」

 ライブ終了後、翔マさんは泣きながら何度も頭を下げてきた。しばらくしてステージから戻ってきたヒダリさんと見つめ合い、二人は抱き合うとまたわんわんと泣き出す。どこかクールな出で立ちの二人であったが、意外に涙もろいと見える。貰った涙が見えないように帽子を深く被り、俺はその場を後にした。

 ミギノさんのことだが、彼女はガイアメモリの毒素には侵されていなかった。その毒素すら、あのレースで燃やし尽くしてしまったというのだろうか。父の真さんには全てを話した。彼はこれからも娘たちに寄り添いたいと言ってくれた。何があっても、大切な家族なのだから。

 姉妹だからこそ、ぶつかり合うこともある。そうして傷つけあって、更に深まるから『絆』なんじゃないかと、俺はそう思う。

 ちなみに協力してくれたアグネスタキオンにも事の顛末を説明すると、

「やはり!ガイアメモリ使用時の過剰な形態変化はむしろ本人の負担に繋がる!ヒトの、手足と胴と頭をもった形状であることが重要なんだ!これはウマ娘が何故ヒトに近い姿をしているのか、その理由にも通ずるだろう!素晴らしい発見だよ探偵君!」

 と大歓喜していた。ついでに他のメモリも貸してくれとせがまれたので、丁重に断っておいた。

 さて、と。ハードボイルダーに跨り、事務所に向かう。亜樹子とフィリップは一足先に帰っている、ときめも戻っている頃だろう。彼女にも今日のレースの話をしてやろう。風都を魅了した、ウマ娘の話を。

 今日も風都に風は吹く。いつも以上に清涼な風が、髪を優しく撫でた。



《Fの疾走/キミに勝ちたい》完


(作:オスコール_20220903)

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