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ヴァージンVS過去・現在・未来1~プロローグ~

みなさんこんにちは、久保田さちお、と申します。
この記事は1981年から1984年まで活動していたヴァージンVSというバンドに関して、過去、現在、未来までの色々な事を書かせて頂こうと思い作りました。
不定期なアップデートになるかと存じますが、宜しくお願い致します。

この記事を始めたきっかけは、本年令和3年、西暦2021年はヴァージンVSデビュー40周年であることを、あがた森魚氏から伝えられたというのがきっかけです。
正直全く忘れていた、というより、日々の生活の中に埋没していたという状況でした。
スミマセン。

ヴァージンVSは足かけ4年ほどの活動期間でしたが、その中で私は大変濃密な時間を過ごしました。
これは他のメンバーに関しても同じだろうと思います。

さて、第1回目はどのような形でヴァージンVSが始まったのかということから書き始めたいと思います。

メンバーの関わるきっかけはそれぞれに違いますが、まず私がどのようにヴァージンVSに関わり始めたのかということ、それには少し遡って、僭越ながら私の履歴とも関係しますので少しお付き合いください。

あれは1974年ごろ京都で、私がウエストロードブルースバンドを辞めて田舎芝居というバンドで活動していた時、京都会館第二ホールで、あがた森魚とはちみつぱい、田舎芝居のコンサートがあり、そこで初めてあがた森魚氏と会いました。といっても先方はフォークの大スタアなので、ただ一緒にコンサートに出たというだけで、森魚ちゃんは覚えていないと思います。
印象に残っているのはリハの時、鈴木慶一氏が、「あがた、まだなの!あがた、まだ着いてないの?」と言って、仕方がないので、先に「酔いどれダンスミュージック」のリハを始めたことです。

その後、私たち田舎芝居はキャニオンレコードよりデビューのため東京に移住しました。
多分1976年の夏、上野不忍池の水上ステージで連夜のコンサート企画があり、ここであがた森魚氏と一緒の日にステージに上がりました。
ここでの思い出は、あがた氏が到着しステージ上にピアノがない事に気づき、「ピアノが要るよ‼️」と言ったところ、急遽主催者がどこからかフェンダーローズを調達してきた事です。
蒸し暑い夜の出来事でした。

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