常夜灯

私は何にでも、好きになるとすぐに熱中しやすいらしい。母親によくそう言われる。心配になる程だと。
確かにそれは否定しないけれど、熱中するものにはするだけの理由が私にとって存在しているのだ。まだ好きになって少ししか経っていないのに、とか、時間の話をされることが多いが、本質はそこではないと思う。

出会って間もないのに、今までの自分が変わってしまうような出会いだってあるのだ。私は、偶然と運命とは表裏一体であり、人や芸術とは出会うべきタイミングで出会うようにできていると考えている。
すぐ好きになって…と呆れられるが、それだけ私にとって大きく、深い出会いだったというだけのことだ。
勿論それですぐどうでも良くなったりしたら、単なるミーハーな人間かもしれないが、それも違う。あっという間に好きになっても、私はこれからも愛しいものを胸に生きると決めているのだ。


私は「ひぐらしのなく頃に」という作品が好きだ。その物語は、主人公がとある村に引っ越してきたばかりで、そこで「部活メンバー」と呼ばれる仲間たちと、引っ越してきてからの1ヶ月間過ごすというところから始まる。
しかし(ここには紆余曲折があるのだが)部活メンバーに裏切られた、と感じる事件が主人公に起こる。そこで主人公は、「この1ヶ月みんなと過ごした時間は本当に楽しかったのに…」と、心から苦しむ。
私はその場面を読んだとき、「たった1ヶ月で人のことなど分かるわけがない。そんな短い期間の間柄で、何をショックを受けているのか」と思った。でも今なら分かる。
その出会いが自分にもたらした幸福、大きな意味というものが重要であり、時間や期間の問題ではないのだ。それは他の人からは見えない。自分にしかわからない大事なものなのだ。

私は自分にとっての大事な宝物を守らなければいけない。もし呆れられたりしたら、その人にはもう話したくなくなる。
この気持ちが足枷となる場面にも何度か遭遇してきたが、それでも私の大事な人や芸術、そしてそれらとの出会いや歩みを傷つけられないように守ることは、そのまま私の心を守ることでもあるのだ。
逆に言えば、私の好きなものや、それらとの出会いや歩みを笑ったり、呆れたり、軽んじるような態度を取ることは、私の心の図書館を土足で荒らすことに他ならない。
過敏すぎると言われても構わない。これは譲れない「私」であり、それを分かってくれる人としか私は本当の絆を築くことはできないだろう。
私も、人の心の図書館を尊重できる人間でいたい。

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