モラトリアムに殺される

周りの人が株とか教えてくれるけど、60歳になったときにいくらになるよとか言われても、なんとなく悲しくなる
まわりの大人が私に色々してくれるたびに

私の人生はまだ長いのかって怖くなる
60歳まで生きなくても別に良いからその大金を若いうちにもらって、欲しい服をたくさん買って、欲しいアクセサリーも靴も、全部自分がこの世にある中で1番欲しいものを身につけたい

そして行きたいライブに全部行って、欲しいCDや本を全部買って、遠い国にも行って
適度なところで楽にいなくなれたらいいな

私はそんなことにしか興味がない
60歳になったときの事どころか、就職するのか勉強を続けるのか、どんな仕事に就きたいのかも分からない。

ベッドで音楽を聴いてる時が幸せ。CDショップの棚を見てる時が幸せ。ライブで好きなアーティストの姿を見て歌声を聴いている時が幸せ。
可愛い服を着て原宿に行く時。部屋に閉じこもって本を読んでいる時。知らなかった音楽に出会って、心がときめくあの瞬間。
それ以外いらない。それ以外遮断したい。なにもかも。勉強も大学も就職もお金のことも、世界で起きてることも、将来の社会のことも、現実的なことは何もかも。

もう子供じゃいられない年齢なのに、まだ中学生みたいなことを本心では思ってる。

まわりの友達はなんだかんだちゃんと将来のことを考えてると思う。年下でもちゃんと稼いで自立してる子もいる。

このままじゃ将来なにもなくなってしまうのかな。
働かないと生きていけない。
そう思うたび、生まれてきたから働かなければいけない、生まれてきたからお金が必要、生まれてきたかったわけではない(かもしれない)のに、社会に出ることを強要されるなんて最悪だ、と、また現実逃避してしまう。

やりたいことってなんだろう。
音楽が好きだから、音楽に関連する仕事をしたいと思っていたけど、仕事にしたら嫌な面だって見える。音楽は私を守ってくれる存在だから、それだけは仕事という現実的なものに侵食されたくないと思うようになった。

世界の残酷なことに巻き込まれる前にさっさといなくなってしまいたいと思うこともある。そのくせ自分の終わりを恐れている。

私の大好きなミュージシャンは、息ができなくなるほどに、やりたいことがまだ沢山あったのにそれを叶えられないまま、今の私と同じ年齢で亡くなった。
そのことを思うたび、自分は何をしてるんだろうと罪悪感と焦燥感を感じる。私には終わりを恐れずに生きる強さも、一生懸命さもないよ。
現実逃避を繰り返す子供だ。まだ若いからで済まされることが、だんだん済まされなくなっていくのが怖い。

私がこのまま死んだら後悔することはなんだろうって。それは自己表現だと思う。言葉を残すこと。そのために音楽をやりたいということ。
それしか分からない。大学にも通ってるのにそれしかわからないなんて情けないし、他の人みたいにバンドで沢山ライブしてるとかそういうわけでもない。

だからまずは一度ライブをしてみたい、と思うんだけど、色々障害が多いから、そこをどうしていくかって所なのかもしれないが、

創作活動一本で生きていきたいなんて思っていない。さすがにその考えは中学に置いてくることに成功した。そこだけは褒められるかもしれない。

中学の頃、友達が「こういう大学でこういう分野の勉強をして、こういう資格を取りたい」と言っていたのに対し、私は音楽を作りたいとか、漫画家になりたいとか言っていて、大学生になった今もご覧の通り資格も就職もわからない考えたくない、音楽しか楽しくないと言っているガキだ。

趣味以外にほぼ興味を持てない。小説を読んだり、たまに他の学問的な本も読むけど、どれも私にとっては趣味だし、
趣味ではなくて真剣に作った詩集や音楽も、それを生業にしようとは思っていない。それは趣味とかの次元ではなく、私の実存だ。

なのに現実的な仕事のことを考えると心が死ぬ。本当は仕事なんて興味ないのに働いてる人を本当に尊敬している。みんなこの死んだ心を趣味で潤しながら生きているのか?
嫌だ嫌だ、
どうやって自己実現をしたらいいんだろう。
どう折り合いをつけていけばいいんだろう。わからない。考えたくない…

私の中にある「自己実現」という言葉のイメージはずっと、大勢のお客さんの前でステージに立ち、ギターをかき鳴らして歌うロックスターだ。それ以外の自己実現の方法が大学生になってもまだ思い浮かばないんだ。本当に。




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