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雪山に紡ぐセーター 3

「これがモノづくりの真理だよな。」
コッフェルに入ったコーヒーを両手で持ち、指を温めながらつぶやいた。
一口コーヒーを飲むと、ゆっくり胃の中に落ちていくのがわかる。
暖かさ、苦み、渋み。コーヒーとはここまで人を落ち着かせ、勇気づけるものだったのか。

「どうしたんすか?いきなりそんなこと言いだして。」

後輩、山内祐樹にコーヒーの入ったコッフェルを渡した。

「まあ飲めよ。お前も飲んだらわかるから」

「アチ、うま。
うはー。コーヒーってこんなにうまい飲み物だったんすね。このうまさが真理っていうことっすか?」

「そうじゃないの。俺が言ってるのは、モノづくりの真理」

この会話の一時間前。吹雪に巻かれながらも歩き続け、幸運にも、多少は風が防げる場所を見つけることができた。何本か木が立っている間に、ちょうど岩と倒木があり、木の間をふさぐような形になってくれていた。

多少、風が防げるとはいえ、吹雪の中でのテント設営は困難を極めた。テントを広げた瞬間風にあおられて、バタバタとはためき、ちょっとでも気を抜くと飛んで行ってしまいそうになる。
以前読んだ雪山遭難の本で、緊急用に持っていた上着やテントを全て吹雪に飛ばされてしまった体験談があったので、それだけは避けようと頑張った。
(本当に飛ばされるらしいですよ。気を付けましょう)

通常であれば、テント本体(布です)を地面に広げた後で、テントの四方にあるジョイント部分に組み立てたポールを接続する。ポールの両端をテントのジョイントにつなげることで、ポールがたわみ、アーチ型になる。これがテントの柱となる。
ポールにテント本体の金具をパチパチとはめていくことで、テントは立ち上がっていく。

(↓参考URL:二人が使っているのはこのテントです。)

しかし、強風の中ではこうはいかない。テント本体を地面に置いた時点で強風に飛ばされてしまう。したがって、1人はテント本体が飛ばないように押さえつけ、もう一人がその間にポールを組み立ててテント本体の金具にポールを接続する。
ポールを組み立てるにしても、ポールの継ぎ目に雪が入り込んでしまい、さらには凍り付いて固まってしまい、組立ができなくなってしまう。手袋を外し、素手で暖めて氷を溶かしながら組立を行う。 この際にも気を付けないと、手袋を落としてしまったり、凍り付いたポールに手が引っ付いてしまったりする。手袋を落としてしまうと、すぐに拾えればよいが、落としたことに気づかなかったりすると、雪に埋もれて探し出せなくなってしまう。この吹雪の中で手袋を無くすことは、手指の凍傷に直結してしまう。
何とかポールを組立てて、テント本体を押さえつけながら両端のジョイント部分にポールを接続することに成功した。そうしている間にも雪はつもり、リュックやテントの部品の上にどんどん覆いかぶさっていく。一度見失ってしまうと、雪を掘って探し出すことは不可能だろう。吹雪の中、困難な手作業をしながら、4方にも注意を払わなければならない。
体力・精神ともに消耗しながらも、もう一本のポールも組み立てて両端に接続ができた!

ほっと一息だが、まだ油断はできない。金具をポールに通すとテントの体積が増え、それだけ強く風を受けてしまうことになる。やっとの思いでここまできたのに、テントが立ち上がった瞬間に飛ばされてしまった時の絶望感は想像したくない。

2本のポールが公差する点=テントの頂点の金具だけを止めた状態で入り口を開け、リュックを放り込み、重しにすることで飛ばされるのを防ぐことにした。
「これで足りなかったら、自分もテントの中に飛び込みますんで」
リュック2つと、1人が入ったリュックが飛ばされる光景を想像して笑ってしまった。まだ心に余裕があると思えて、ちょっと元気がでてきた。

「行くぞ」  「はい!」  「うりゃ!!」

テントを立ち上げて金具を装着する。バサバサバサ、想像以上にテントが風であおられる。
押さえている限りは飛ばされることは無さそうだが、テントの形を維持することが難しい。
後輩は、何とか入り口を開けようとしているが、チャックを掴み、引き上げるという動作がうまく行かないようだ。焦っている様子が見てわかる。それでも何とかチャックを引き上げることができた。

「入口開きました!」

開いた入り口をおさえた。

「よしゃ!放り込め!」

後輩がリュックを掴み、テントの中に押し込んだ。大量の雪も一緒にテントの中に入り込んでしまったのが悲しいが、それを言えるような状況でもない。

恐る恐る手を放してみたが、2つのリュックは重しとして十分に機能しているようだ。
これで、テントが飛ばされることなくキープできる。
残りの金具をパチパチと装着する。普段は簡単な作業なのだが、全然進まない。

何とか全ての金具を装着すると、風にあおられて歪みながらも、テントと呼んでも差し支えないような形になった。

いよいよ最後の大詰め、スノーフライを装着する。
スノーフライとは文字通り雪中でテント設営をする時に使う外布だ。
通常、テントの外布(レインシートという)は、通気性を保つため、水はけをよくするために地面との間が空いているのだが、スノーフライは地面までピッタリと覆う構造になっている。テント内に雪が吹き込んでくることを防ぐことができ、高い保温性を持っている。

(↓参考URL:スノーフライ)

これも通常であれば布を広げてテントの上にかぶせた後で四隅を止めていくのだが、普通にやったのでは飛ばされてしまう。
まずは一カ所を接続し、飛ばされないように1人が押さえる。次に、対角線上のジョイントを接続する。ここまでくると飛ばされる可能性はかなり軽減される。(それでも、怖かったので一人はおさえるようにしていた)
残りのジョイントを接続すると、なんと立派なテントが完成。

「なんということでしょう。吹雪の吹きさらしだった荒野に突如として癒しとくつろぎのマイホームが完成です。」

テントを見ながら感慨にふけっていると。

「な、何やってんすか祖父江さん。は、早く入りましょう」

後輩にうながされ、「どんな窮地でも余裕を忘れない男」祖父江は、テントの中に転がりこんだ。
スノーフライの入り口は円筒状になっている。絞りを広げ、テント本体のチャックを上げると中に入ることができる。雪が吹き込まないように、できる限り迅速に行動をしなければならない。
急いでテントの中に転がりこみチャックを閉めるのだが、その少しの間にも雪は吹き込むし、身体にも靴にも大量の雪が張り付いていて、テントの中に入ってしまう。ただ、すぐに溶けるような気温でも無いので、できる限り雪をかき集めて外に掃き出す。

二人ともテントの中に入り、フライシートもテント本体もしっかり施錠?し、やっと一息つくことができた。「ふー。何とかなったー。」吐く息が真っ白だ。
雪の無い空間がこんなにも幸せだったとは思いもしなかった。

「これが雪山の楽しさよねー。」
「何言ってるんすか祖父江さん、そんな余裕ないっすよ」
「とりあえず、コーヒー飲もうよ。あったまろ」

リュックの中からバーナーとコーヒー豆を取り出した。

テントの中でバーナーを点火しても良いのだろうか。少し迷ったが、火をつけない選択肢は無かった。通気口を全開にし、テント入り口も少し開けて火をつけた。
カチカチカチ
ライターの着火音から、ボッと火が付き、ゴオオオオオと、バーナーのガスが流れて燃える音に変わり、静かなテントの中に低く響き渡る。
テント内は、時おり、スノーフライに雪が当たる音がパサパサとするだけの静かな空間。

フィルター付きのコーヒー豆を開封し、コッフェルに乗せ、上からお湯を注ぐ。
コポコポコポ。
良い香りが漂ってきた。
コーヒーはうまかった。心の底からうまかった。

「モノづくりの真理ってのはな、信頼感なんだよ」

「信頼感っすか」

「今、お前テントの中に入ってるだろ。すごい安心感じゃない?」

「めっちゃ安心感です。」

「だろ。」

「俺たちが作っているニットもそうで、手に取った瞬間に感じる安心感、信頼感が一番重要なんだよ。」

「今まで注文したことない工場に発注して、上がってきたサンプルなんか、不安感しかないだろ。」

「そうっすね」

「このテントを見ろよ。テント本体をバーッて広げて、ポールをザーッと組み立ててガーッてつなげたら、立派なテントができあがるだろ。バーッて来て、ザーッとやってガーッ。この信頼感がモノづくりの真理なんだよな」

「バーッて来て、ザーッとやってガーッ。ですか。。。」
雪に頭がやられたのか?テントへの信頼感とは裏腹に、先輩に対する不安感を拭えなかった。

「いま、おれのことバカじゃないかって思ってるでしょ。わかるんだから。そういうの。山内くん、すぐに顔に出るんだから。」

「い、いや、そんなことないっすよ。モノづくりの真理ですよね」

「穴が開いてたらどうしようとか、風にあおられてポールが折れたらどうしようとか。そういう不安ってほとんどなくて。テントさえ立てたらどうにかなるという安心感。信頼感。これが真理なんやで。まー。君もすぐにわかるようになるわ。」

なんで関西弁になるんだろうか?
この人は雪への不安を和らげるために、わざと変なことを言ってるのだろうか?そんな気すらしてきた。話題を変えてみることにした。

「明後日には帰れますかねえ。例の新しい生産管理システムの打合せですよ。」

「あー、そんなんあったねえ。まー、どうにかなるんじゃないの?」

生産管理。寒い雪山の中で蒸し暑い記憶が呼び出される。


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