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ミラノ回想録

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毎朝ウィーンのパン屋さんで [ヴィーナー•キプフェル(ウィーン風クロワッサン)ひとつ下さい!]と言っていた学生の私が、ミラノというもう一つのヨーロッパの都会から仕事人生をスタート…
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#短編連載小説

ローマの修道院で(2)

二回目のローマでの仕事は夏の終わりだった。私はすでにその年の初めからパリに住んでいたが、ローマのオーケストラでエルザに再会するのは楽しかったし、何よりもその時点でパリでまだ十分な仕事はなかった。リヨン駅からローマ行きの夜行列車に乗り込んだ私は, ヴァイオリンとスーツケースを抱えて少し不安な気持ちで自分のコンパートメントへ向かった。夕方の6時くらいだったが日はまだ高く、人々はそれぞれのコンパートメントでぼうっとしたり、おしゃべりに興じたりしていた。 私のコンパートメントにはすで

ローマの修道院そして。。

祖母が亡くなった年のはじめ、私は年内にオーケストラを辞める決意をしていた。 新たなる挑戦の場所としてパリを選んだ私は、一年を通していろいろな準備を進めていた。フランス語に関しては、高校時代から勉強していたこともあり特に不安はなかった。そして何よりも、パリには目指すオーケストラがあった。秋になってオーケストラの日本ツアーがあるとその機会を利用して日本でフランスのビザ申請などに必要な書類をそろえた。ミラノに戻り暫く経ったころ、春にオーケストラを辞めたヴァイオリンのエルザがローマに

ウィーンの幽霊アパート(2)

トシコさんは、どんな学生生活を送っていたのだろうか? 私たちは同じアパートの隣同士ではあったが、ほとんど会うことはなかったし、廊下ですれ違うことも滅多になかった。 トシコさんの部屋のドアは、19世紀の建物の特徴がそのまま感じられる木製の重厚なドアで、手で内側から開ける「ちいさな覗き窓」の扉も木製だった。 表側の黒光りのする木彫りも含め、アパート内の扉にしてはちょっと怖いほどの威厳があり、教会の扉のようだった。 部屋の中では彼女の練習するピアノの音を聴いたことは一度もなか