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ミラノ回想録

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毎朝ウィーンのパン屋さんで [ヴィーナー•キプフェル(ウィーン風クロワッサン)ひとつ下さい!]と言っていた学生の私が、ミラノというもう一つのヨーロッパの都会から仕事人生をスタート…
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#イタリア

ローマの修道院そして。。

祖母が亡くなった年のはじめ、私は年内にオーケストラを辞める決意をしていた。 新たなる挑戦の場所としてパリを選んだ私は、一年を通していろいろな準備を進めていた。フランス語に関しては、高校時代から勉強していたこともあり特に不安はなかった。そして何よりも、パリには目指すオーケストラがあった。秋になってオーケストラの日本ツアーがあるとその機会を利用して日本でフランスのビザ申請などに必要な書類をそろえた。ミラノに戻り暫く経ったころ、春にオーケストラを辞めたヴァイオリンのエルザがローマに

スポレートの夏

その夏は忘れられない夏だった。私たちのオーケストラはひと月の間、ウンブリア地方にあるスポレート(spoleto)というちいさな町で開かれる有名な音楽祭に招待されていた。アッシジの聖フランチェスコが‘神の声を聴いたか、幻視を体験したとも言われているこの町の中心にはドゥオーモと呼ばれるロマネスク様式の大聖堂があり、内陣はフィリッポ・リッピ(*)の見事な色彩のフレスコ画で装飾されている。私たちは毎日のようにこの聖堂でリハーサルをし、ファサードの下の冷たい石のベンチで涼んだり、おしゃ

音楽家のポートレート~Les portraits des musiciens

ユリウス ひどく落ち込んでいる時にわざとあれこれと予定を入れ、心身が麻痺するまで動き続けた挙句に寝坊して、一番大切な用事をすっぽかしてしまうのがユリウスだ。彼の砂漠のように果てしない心の空白は、休みなく動き回ることで辛うじて埋められていると言えるだろう。自分でもそれを知っている。 彼ほどはっきりと自分の欲しいものを知っている人はそう多くないだろう。それはまさに彼の心の中の砂漠をそっくりそのまま、得も言われぬ花の匂いに満ちた春の庭に変えてしまえる女性だった。でも彼にとってそれ

Rock me Amadeus...!

オーケストラの仕事は紛れもなく流れ作業だ。毎日毎日リハーサルに行くと、譜面台の上には望むと望まざるに関わらず決められた楽譜がセットされている。当たり前のことだが「この曲が弾きたい!」とか「これは面白い曲だからやろう」ではなく、「これを弾け」という命令に従っているということになる。そして譜面台に乗る曲の回転率が速ければ速いほど、そしてそれを消化していくスピードが上がれば上がるほど、段々と自分が何万個の音符を処理する無機質なマシーンに思えてくる。それでは今まで培ってきた勉強がもっ

ヴェネツィア~日常という幻想

2月末のヴェネツィアは、まだまだ春には遠い寒さだったが、アドリア海の上に島が見えてきた時 私は晴々とした気分だった。ずっと観たかったヴェネツィアという都市は、ミラノから電車でたったの数時間で訪れることができた。私がこの街を訪れたかった一番の理由は、ヴィスコンティの映画「ヴェニスに死す」で描かれた、死と美の壮絶な対比の中で、望むと望まざるに関わらず双方が引き立てあいながら共存している様に心を打たれたからだ。「死」があってこそ「美」が成立するという宿命は、人間から薔薇一本に至るま

煉瓦色のことば

私が音楽用語の次に覚えたイタリア語の単語は[鉛筆](la mattita)だった。なぜかと言えば, 私たちオーケストラプレイヤーが鉛筆なしにその日のリハーサルを終えることはまずないからである。 楽譜は初めは何も描かれてないまっさらな状態なのだが、演奏会までにほぼ書き込みでいっぱいになる。 それは主に指揮者が指示したテンポのことであったり、演奏の仕方についてであったり、何よりも弓の上げ下げ(ボウイングと呼ばれる)に関する書き込みである。このボウイングに関しては、リハーサルの間ひ

クリスティーナの昼食

年が明けて、私のスタンドパートナーはルーマニア人のクリスティーナになった。 クリスティーナはフレッシュなミルクのように色が白くて、天使のようにクルクルした明るい金髪は思わず手を伸ばして触ってみたくなるほどだ。      同じ金髪蒼目でもウテのように美しく妖艶ではないが,  彼女は明るくて親切で、皆に好かれた。しかも本当に賢かった。5か国語を自在に操り、様々なことに興味があるので何について話をしても彼女独自の興味深い答えが返ってくる。賢者のような彼女との会話はしばしば議論にまで

ボローニャでのクリスマス

イタリアでミレ二ウムに向けての興奮が静かに高まる中、クリスマスが訪れようとしていた。私が初めて日本に帰省しない年の暮れをどう過ごそうかと考えていたところ、カティアがナターレ(クリスマス)を一人で過ごすなんてあり得ない選択だと言ってボローニャの実家へ招待してくれた。私は嬉しさとは別に、ヨーロッパのクリスマスがどれほど家族にとって大切なイベントなのかを熟知していたし、それはあくまでも身内の集いだと思っていたのでひどく躊躇したのだったが、どうしてもとカティアが言うのでボローニャに行

知っているイタリア語は音楽用語だけ?

ただ、その程度の事がわかったところで母の不安が消えるわけではなかった。 私のイタリアでの生活の安全が保証されるわけでもなかった。 それに語学の問題もあった(それまで私のいた場所はドイツ語圏である)。私はイタリア語を音楽用語以外知らなかった(これは後になって分かった事だが、音楽用語としてのイタリア語を知っていれば簡単な会話ができるのである)。アンダンテ、モデラート、カンタービレetc..... 気の毒な母は明らかに[ゴッドファーザー]的イタリアが現実と思い込んでいて、[ニュ