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ミラノ回想録

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毎朝ウィーンのパン屋さんで [ヴィーナー•キプフェル(ウィーン風クロワッサン)ひとつ下さい!]と言っていた学生の私が、ミラノというもう一つのヨーロッパの都会から仕事人生をスタート…
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2020年7月の記事一覧

生活の中心としてのバール

劇場の周りには、いくつものバール(日本でいう庶民的なカフェとバーの中間であって、おしゃれなカフェ・バーというのとは違う)があり、私たちはリハーサルの休憩時間ごとにバールへコーヒーを飲みに行った。でもこの際「飲む」という表現が適切かどうか、いささか疑問が残る。というのもイタリアのコーヒーは基本的に濃いエスプレッソで(母いわく「鼻が曲がりそうな」コーヒー)、しかも3口くらいで飲み終わってしまう量なのだ。 だからイタリア人たちは、バールに入って来るとカウンターでそれをさっと飲み、

ヴェネツィア~日常という幻想

2月末のヴェネツィアは、まだまだ春には遠い寒さだったが、アドリア海の上に島が見えてきた時 私は晴々とした気分だった。ずっと観たかったヴェネツィアという都市は、ミラノから電車でたったの数時間で訪れることができた。私がこの街を訪れたかった一番の理由は、ヴィスコンティの映画「ヴェニスに死す」で描かれた、死と美の壮絶な対比の中で、望むと望まざるに関わらず双方が引き立てあいながら共存している様に心を打たれたからだ。「死」があってこそ「美」が成立するという宿命は、人間から薔薇一本に至るま

[若者の集団]という個性

オーケストラの仕事はどんどん忙しくなっていった。休みはほとんどなく、時には日曜日まで潰れるほどだった。それでも毎週のように、世界中からドミンゴやアルゲリッチをはじめとするクラシック界のスターたちが私たちと共演するためにやってきた。 有名なソリストの中にはリハーサルやコンサートの後も、楽団員と食事をしに行ったり楽しく交流する事を好む人たちもいた。どんなに有名な演奏家や歌手も、ミラノではどことなくリラックスしているようにすら見えた。彼らと言葉を交わすチャンスというのは、例えばリハ

煉瓦色のことば

私が音楽用語の次に覚えたイタリア語の単語は[鉛筆](la mattita)だった。なぜかと言えば, 私たちオーケストラプレイヤーが鉛筆なしにその日のリハーサルを終えることはまずないからである。 楽譜は初めは何も描かれてないまっさらな状態なのだが、演奏会までにほぼ書き込みでいっぱいになる。 それは主に指揮者が指示したテンポのことであったり、演奏の仕方についてであったり、何よりも弓の上げ下げ(ボウイングと呼ばれる)に関する書き込みである。このボウイングに関しては、リハーサルの間ひ

クリスティーナの昼食

年が明けて、私のスタンドパートナーはルーマニア人のクリスティーナになった。 クリスティーナはフレッシュなミルクのように色が白くて、天使のようにクルクルした明るい金髪は思わず手を伸ばして触ってみたくなるほどだ。 同じ金髪蒼目でもウテのように美しく妖艶ではないが, 彼女は明るくて親切で、皆に好かれた。しかも本当に賢かった。5か国語を自在に操り、様々なことに興味があるので何について話をしても彼女独自の興味深い答えが返ってくる。賢者のような彼女との会話はしばしば議論にまで