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しておいて良かったけどするべきではなかった経験

今春、長女が高校に入学した。なんてことはない、中堅どころの高校である。有名進学校に行かせるためにお尻をバンバン叩いて、圧をかけ続けるという手もあったわけだが、結局偏差値相当のところに推薦で進学する選択をした。おかげでなんとか特進コースに入れて頂き、入学してからイイ感じに張り切っている。

長女は中学三年間「親の期待を読み取ると全力で押し黙る」という難易度の高い反抗期を展開し、中学三年生の後半になっても志望校をかたくなに決めようとしなかった。親だって弱い存在だ。「いい学校に行って欲しい」「いい学校に行って自慢させてw」という下心が隠しても溢れ出てしまい、長女は受験関係の話を一切拒否するようになった。

この難易度の高い反抗期に私も夫も疲れ果ててしまい、そしてまた「子どもにいい学校行かせて自分も自慢したいw」という世間で批判されがちな欲との闘いに夫婦でボロボロになってしまった。自分たちもそうやって育てられてきて、それだけは絶対にやりたくないと思っていたのに、人間というのは弱い。

全てを拒否する長女の尻を叩き続けて偏差値アップをひたすら叫ぶか、それとも無理のないところを選んでそれなりに楽しく過ごしてもらうか。本人が拒否する以上、私たち夫婦である程度方針を決めないといけない状況に陥った。

そのときに、私は自分の人生で何度かあった「一番つらかった時期」を思い出していた。一度目は中学校。中学受験で身体がボロボロになるまで勉強して、中学入学時に私は心身共に疲れ果てていた。「もうしばらく勉強はゆるゆるでいい」と思ってしまった私に、進学校は容赦なかった。猛勉強をしなくても軽々と点数が取れてしまう地頭が良い子どもたちの中で、私は一気に転がり落ちた。(今はそういうのを「深海魚」というらしい)

進学校の授業進度は速い。転がり落ちて「あれ?」「どうやって勉強したら良いの?」とキョロキョロしている間に、あっという間に何もかもを見失っていった。気づいたら授業が進んでいく。当てられませんようにとうつむいて震えながら過ごした。

そして中学三年生。中高一貫校とはいえ、あまりにも成績が悪ければ外に出される。私は140人中138番のところまできていた。私は「高校進学が危ない」と先生に呼び出された。

そのあと、どう挽回したのか正直覚えてないのだが(高校の前半はひたすら中学の勉強の積みなおしをしていたと記憶している)進学校の中で自分が溺れていく感覚、どこにいるのか分からなくなっていく恐怖、そして何が一番怖かったかって「成績が悪いと発言権がない」、これは味わったことのある人間しか分からない感覚だと思う。

そして、周りの友人たちが自分よりもはるかに賢いと思いながら付き合い続けることの苦痛さ。毎日毎日「自分はダメなんだ」「自分はこのなかでは違うんだ」と心の中で澱のように積もっていく劣等感。

あのときの感覚は今でも夢に出てきて私は泣いて起きる。辛かった。今になっても同窓会などに出席すると胸がムカムカするので、早めにおさらばしている。今の私がどうであろうと、同窓会に戻れば「あの頃の私」なのだ。

夫にはそういう経験は全くない。彼は常に成績が良い人だった。だから長女の進学についてもなかなか着地点が見いだせなかった。

でも私にとって、あのときの進学校の中で溺れていく感覚は、「しておいて良かったけどするべきではなかった経験」でしかない。あのときの劣等感が大人になっても自分を苦しめ続けていて、仕事でどんなに周りに評価されても「ほんと私はバカなんで」と真顔で言ってしまう。変に謙虚だからか、自分にマウントする人ばかり集まってくる。

だから、私は夏休みを終えても反抗して黙り続ける長女に「〇〇高校がいいと思うから、そこに推薦で行けば」と薦めた。内申の評価基準を満たしていたし、偏差値的にも妥当だった。何よりも、見学したときの雰囲気が私は好きだった。結局、運良く特進に入れたので入学後は本人キャピキャピである。

長い三年間の反抗期は終わり、最近は何でも話してくれるようになった。これで良かったんだと心から思う。そして、「するべきではなかった経験」をしておいてやっぱり良かったなと思う。あれがなかったら、私は反抗期の長女を怒鳴りつけてでも上位校を目指すよう言っていただろう。

それでもやっぱり、私にとってあれはするべきではなかった経験だった。

今も思い出すとつらい。






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