甦りの朝

叔父が逝きました。
95歳。二年前に98歳で逝った父もそうでしたが、大往生だったと思います。そして、人生を生ききった、とも思うのです。

叔父は牧師でした。東大を出てから神学大学で学び直し、鎌倉の雪の下教会などいくつかの教会で牧師をし、合間にはハイデルベルクへ留学、その後もドイツの大学で短期間たびたび教鞭をとっていたようです。本もたくさん出し、説教もうまく、たびたびラジオなどもにも出ていました。最晩年、家から出られなくなっても、教会のお仲間に支えられてオンラインで講義をし、本を書いていた。生涯現役。私が言うのもおかしいですが、すごい人だと思っています。
 好奇心が旺盛で、音楽も美術も好き。特に音楽は、若い頃は柳兼子さんに歌を習い、近年はもっぱら鑑賞する側でしたが、新国立劇場やバッハコレギウムジャパンの会員でもあって、よくコンサートですれ違っていました。7、8年前から出歩けなくなりましたが、最晩年、要介護3になり自宅で車椅子生活になってから何度か訪問し、音楽話に花を咲かせることができたのは、忘れがたい、貴重な思い出になっています。
 
 一方で、病気にはかなり悩まされ、心臓その他の大きな手術もなん度もしましたし、先立たれた奥様〜つまり義理の叔母ですが〜も晩年はがんや認知症を患い、そのお世話も自宅でしていました。よくやる、と思ったものです。特に認知になってからは下の世話も。つくづく、すごいなあ、と思います。
 叔母は穏やかな人で、明るく快活で、誰でも受け入れ、よく働き、人の噂話など一切せず、牧師の妻に理想的な人柄でした。叔父は頭がいいぶん、人に厳しいところがあったので、叔母がいいクッションになっていたと思います。(少なくとも傍目には)理想的な夫婦でした。三人の息子と何人もの孫にも恵まれました。
 
 その叔母が亡くなってちょうど十年。独居で、車椅子生活で、生涯現役をまっとうしました。この1月に家で転倒し、救急搬送されてそのまま入院、検査をしたものの、病気が特定できず、とはいえ流石に独居は無理なので、病院から施設に入り、1ヶ月ほどで、自然に食事をとらなくなり、眠るように逝った、とのことでした。繰り返しですが、大往生ですね。
 
 父が亡くなった時に叔父の言動で心動かされたのは、亡くなる2日前にお別れに来てくれた時、お祈りをしてくれて、最後の最後に
「兄さん、さようなら」
 とはっきり、大きな声で別れを告げたことです。
 いくら最後のお別れとわかっていても、私ならそうは言えない。「また来ますね」とか言ってしまいそう。叔父はすごいな、とつくづく思いました。
 
 GW中にお葬いがありましたが、一番長く勤めた雪の下教会で、お葬式ではなく「礼拝」の形で行われたのは、とても良かったと思います。
 おそらく叔父の薫陶を受けた牧師先生の司式でしたが、お説教の中で忘れられない言葉がありました。
 長年病気で苦しんだ叔母が亡くなった時のこと。叔父と親交があったドイツの牧師先生からのメッセージがあり、
 「起きなさい、さゆり(叔母はさゆりと言います)。甦りの朝だよ」
 と呼びかけた、と言うのです。
 長い苦痛から解放された、甦りの朝。そうか。なるほど。そのような捉え方があるのですね。(バッハの音楽にも、そう言うメッセージがたくさんあります)
 泣けました。あちこちから啜り上げる声が聞こえました。牧師先生も涙を堪えながら、何度もその言葉を繰り返されていました。
 私はクリスチャンではないし、これからもクリスチャンになることはないと思いますが、魂は不滅だ、と信じていいのだ、と思わせられた一言でした。
 言葉は人を救います。
 
 叔父は穏やかな顔をしていました。今頃、愛して愛しぬいたさゆり叔母と、あちら側で再会していることでしょう。

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