「人生が変わったこの曲、この演奏」、第二回は「フィガロの結婚」です
昨日から始めた、家で聴ける音源付き、「人生が変わったこの曲、この演奏」、2日目の今日は、泣く子も黙る名曲、モーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」です。
演奏はこれ。
テオドール・クルレンツィス指揮 ムジカエテルナ ケルメス(ソプラノ、アルマヴィーヴァ伯爵夫人)、アントネルー(ソプラノ、スザンナ)、ボンダレンコ(バリトン、アルマヴィーヴァ伯爵)、ヴァン・ホルン(ス、フィガロ)他
アップルミュージック( i tune) でも聴けます。ituneで、「クルレンツィス フィガロの結婚」で検索してみてください。
「フィガロの結婚」という作品は、演奏によってはなかなか難物ではないかなあ、と思います。同じモーツァルトの人気オペラである「魔笛」ほどには、1曲1曲のキャラが立っていない、と思うのです。もちろん音楽は最初から最後まで美しいですが、下手をするとその美しさに寄りかかってしまい(ただ演奏するだけでも美しいですから)、どこもかしこも美しいけれどどこもかしこも同じよう、に聞こえてしまうきらいがあるのです。そうすると、ちょっと退屈してしまう。お恥ずかしながら私も大昔は、「フィガロの結婚」ってちょっと退屈、と思っていた時期がありました。3時間、飽きずに聴き通すのは難しい、と。「ドン・ジョヴァンニ」はそれなりに劇的で面白い、と思いましたが。それこそ、プッチーニのオペラのいくつかや「カルメン」「椿姫」「リゴレット」などは、最初から最後まで飽きずに聴けましたからね。それに比べればメリハリがなくて、繰り返しですがどこを切っても同じように美しい、という印象がありました。もちろん、聴き込むにつれだんだんと、実は多彩でキャラクターに沿っている音楽の素晴らしさに気づくようにはなりましたが、最初から、というわけにはいかなかった。私が「フィガロ」というオペラの面白さが感じられるようになったのは、正直なところ「古楽」出現以来かもしれません。十八世紀ならではの自在さ、即興や装飾の面白さ、声を張り上げない、語るような、ヴィヴラートを抑えた歌唱法、ピリオド楽器の音色、特性を生かし、細かい部分まで目配りしてメリハリをつける、そのような方法で、「どこもかしこも同じように美し」かったモーツァルトは、私の中で過去になったのです。
古楽系の「フィガロの結婚」で、最初に目がさめるような思いをしたのは、ルネ・ヤーコプスが指揮をしたCDでした(2003年)。彼はその後、映像でも「フィガロの結婚」を残してくれましたが、CDに比べると音楽的なインパクトは今ひとつだったかもしれません。
そして真打が、2014年に出たクルレンツィスのディスクでした。聴いて確信しました。「これは、革命の音楽だ」と。
その強烈な印象は、今度の新刊『オペラで楽しむヨーロッパ史」を書く直接の引き金になりました。本書の第1章では、モーツァルトの「三大オペラ」(「フィガロ」「ドン・ジョヴァンニ」「魔笛」)を、フランス革命に重ね合わせていますが、そのスタートラインこそクルレンツィスの「フィガロの結婚」だったのです。メリハリ、テンポ、リズム感、強弱、即興(通奏低音を担当するフォルテピアノが、レチタティーヴォだけでなく、普段はあまりやらない曲の部分でもどんどん即興をする)、装飾、楽器の使い方(スコアにない楽器も、当時の演奏習慣を考えた上で思い切って使用)、ノンヴィヴラートの語るような歌い方(ここではバロック音楽が得意なソプラノであるケルメスが伯爵夫人を歌っていますが、その歌い方は、かつてこの役で絶賛されたシュヴァルツコプフの堂々とした歌い方とは全く違います)、全てが、かつて聴いたことがないレベルにまで極められていました。
けれど全体としてみると、極端なようでいて、自然に、あるべき音が、ドラマを表現するためにあるべきところに収まっている印象を受ける。それは、クルレンツィスをはじめとするメンバーが、「フィガロ」の音楽に徹底的に向き合った結果だと思うのです。単なる受け狙いではないのです。
例えば、第4幕の大詰め、伯爵夫人が浮気な伯爵を赦す「赦し」の場面。それまで賑やかだった音楽がぱたりと静かになり、奇跡的な静寂があらわれる。その後再び、賑やかなハッピーエンドへとなだれ込んでいくのですが、ここで静寂を十分に行き渡らせ、聴き手の肌にも染み渡らせてから、喜びの爆発が起こる、そのタイミングがなんとも絶妙なのです。この部分でこれほど「赦し」が感動的に演出された演奏を他に知りません。ピアニストの内田光子さんは、モーツアルトは「赦し」だと語ったそうですが、伯爵夫人の「赦し」はその真髄です。ここだけとっても、聴く価値のある演奏だと思います。
その感動的なエンディング、一部はYoutubeにもアップされています。
https://www.youtube.com/watch?v=TXJfD77pz6E
今月予定されていた来日は残念ながら中止になってしまいましたが、クルレンツィスとムジカエテルナのエッセンスであり、彼らの名声を国際的にした演奏の一つを、ぜひ味わってみてください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?