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星組「霧深きエルベのほとり」

随分前に書いた「観劇、よそゆきの恰好で行く話」の続きです(遅い)。

良席が当たった私は、演者の目を汚してはいけないと思い、ワンピースを装着しヘアセットをして日比谷へ向かったのであった。

初めて東京宝塚劇場内に足を踏み入れたわけですが、一等地にあるだけあってコンパクトですね!(そもそもムラが広すぎる)

で、まだ人もまばらななか、座席へ向かっ……

近すぎィ

列的にはSSと同じだから当然なんだけれども。挙動不審になるレベルで近い。
銀橋に出てこられたらもうチビるかも……
一人で観に来たからこの感動を分かち合う相手がいないのが残念でした。

貸切公演だったので、まずは万里柚美組長(美魔女)のご挨拶があり、あっとうとう幕が上がってしまう(もうここで涙腺が緩み始めている)。

外箱は去年の12月に「蘭陵王」、今年に入ってからは2月に「群盗」を観たけれど、本公演はムラの「ポーの一族」以来。何というか本公演は気持ちがまた違うというか……これが観たかったんや……ファー と開始3秒くらいでもう召されそうになった。

と、そこにカールの登場。
このお芝居、銀橋からはじま……………

…………うっ(涙)。

『鴎よ〜』
で、もう泣いてる自分がこわい。
しっかり!涙引っ込めないと舞台がみえないよ!!

でもね、座席の位置が最高やねん。
銀橋で一度立ち止まるところが席の直線上やねん。

泣くって。

吸う息の音も聞こえる距離。こわい。

暗転して大階段でビア祭りの場面。

ああああこわいいいいいこわいよおおおおおお
うつくしすぎてこわいぃぃぃぃぃ

さらに客降りしてくるみなさん。

殺される。美に殺される。

圧倒的な美を前に召されるしかない。

芝居でこんなことになっていたら、ショーで私はどうなるのか……?

と心配になりながらも、話は予想以上に面白く、すっかり話に引き込まれた。

インタビューで、演出の上田久美子先生が

菊田一夫先生が書かれた台本の良さを最大限にお伝えしたいというのが私の一番の思いですので、変に凝るようなことはせずに、台本の良い印象は全部引き継ぎたいと思っています。特にカールとマルギットの場面は変更のしようがないほど完成されているので、ほぼそのままですね。ただ、再演を重ねるなかで、その時々の組の陣容に合わせて作られたと思われる場面転換中の幕間芝居に関しては、今回も今の星組に合わせて一新する予定です。そして、ヒロインをとりまく旧弊な社会の様子からは本来の作品の舞台となっている1960年代よりも前の印象を受けるので、私の頭の中ではもう少しさかのぼった1930年くらいに、時代を設定し直しています。

とおっしゃってるが、実際どの程度の「潤色」なのか……。
台詞に関しては、「教会で祝詞をあげて」(祝詞て)や「文士」など古風な表現があったので、本当にあまり変更されていないんだろうな。

「霧深きエルベのほとり」は初演が1963年と結構古く、あらすじを読んだ時点では「タカラヅカでよくある話」」かな、くらいにしか思ってなくて。
しかし、これは当て書きなのでは……?と不思議に思うくらい、カールは紅ゆずるだし、マルギットは綺咲愛里でフロリアンは礼真琴に馴染んでいた。
内容もよくある話ではあるものの、キャラクターの内面の苦悩が台詞で無理なく表現されていて、一時間半程度の芝居にも関わらずとても奥深い作品でした。

粗暴だけど気さくで明るい、本当は寂しがりやのカール。
可憐で素直、意志が強くて世間知らずのマルギット。
真面目で優しく、周りの人の幸せは自分の幸せ、自分の激情に理性で蓋が出来るフロリアン。

どのキャラクターも愛おしくて悲しい。

なかでも今回私の心を鷲掴みにしたのがフロリアン。
フロリアンは偽善でも嫌味なく行動に移すし、「ノブレス・オブリージュ」を体現していた。理性がすごい……

フロリアンとシュザンヌの場でチラッと見せる本音とか、カール・マルギット・フロリアン三人の広間の場で、言葉ではなくピアノの音色と背中で表現するところ、マルギットに「兄として忠告するよ」とか、フロリアンのところもう全部泣く……。

フロリアン以外の登場人物は結構ストレートな言葉や態度で自分の気持ちを相手にぶつけるんだけど、フロリアンだけ、フロリアンだけはずーーーーーーっと理性の蓋が重たすぎて、最後の最後に「カーーール!!」って叫ぶところでやっと全部出る、みたいな。

台湾公演の「Thunderbolt Fantasy/東離劍遊紀」をライブビューイングで観たのが今の星組初観劇で、その時は
七海お兄様の演じる殤不患がチート級に恰好良かった
ので、捲殘雲が全く刺さって来ず(そもそもお馬鹿仔犬キャラが刺さらない)、礼真琴の芝居の部分の凄さを知らないまま来たので、正直ビックリした。
なので、まこっつぁんの過去作品みたいな……と思ってます。特に「阿弖流為」。Blu-ray出ないかな。

そして海の荒くれ者・水夫カール。紅カールはとにかく

声がデカい。

さゆみさんていつも全力投球で恰好いい。
顔が美しすぎるのに、ちゃんと粗暴な水夫にみえた。
べらんめぇ口調の「俺は」が「俺ァ」に聞こえて、しまいには「おいら」に聞こえてきた。
やんちゃでかわいくて一途で寂しがりや。

かわいいか!

可愛いんだよなぁ。
だからカールを見ていると余計に悲しくなる。
マルギットの為に頑張るけれど生まれ育ちの溝は深すぎて、好きという気持ちだけではどうにもならず。
「マルギット、幸せになれ!!」
の慟哭に色んな気持ちが込められていて、あの瞬間、観客全員ヴェロニカになっちゃった気がする。

こういうお話って大抵男二人が女一人を奪い合うものだけれど、「霧深き〜」は
ヒロインを譲り合う
という珍しいパターン。

二人ともマルギットの幸せを考えた末の行動だけど、そう考えると結局フロリアンの方が上手で、そこまで考えるとフロリアンはただの善人ではない……のか。
劇中でもフロリアンはマルギットに、
「カールを庇うのは恥ずかしいという気持ちがあるからなんじゃないか?」
とか、
「本当にカールのことが好きなのか?」
とか、結構エグいことをハッキリ言っている。

マルギットはカールのことは好きなんだろうけれど、フロリアンが指摘しているとおり、カールのことが好きで全てを捨てる覚悟があるわけではなく、父親に反発する心や、目新しい物事に惹かれているだけで、カールでなければ駄目、というわけではない。
マルギットもそれに薄っすら気付いていて、カールもそんなマルギットに気付いている。
「それでもいいんだね?」
と念を押すフロリアン……。

この舞台、劇中人物達の感情の機微が一回観ただけで理解出来たんです。
台詞が多すぎるわけではないのに、間(ま)の演技でキャラクターがくっきりと浮かび上がっていて、脚本も演出も役者も全てハマっていたんだろうな、このタイミングで生きててヅカ沼に戻ってきて良かったな、って心から思いました。
エルベに行くまでに「星逢一夜」「神々の土地」を映像で観ていて、上田久美子先生の演出は好きだな、と思っていたけれど、このエルベも良かったので、もっとウエクミ先生の作品を観よう!と心に決めました。

その後、「月雲の皇子」「翼ある人びと」「金色の砂漠」「BADDY」を観て、性癖ドストライクどころかデッドボールを喰らうのであった。

東京宝塚劇場公演(2019.3.17.15:30)

ありがとうございます!!