さようなら
先月、父が亡くなる二日前の明け方。
「さようなら」という声が、頭の中に聞こえた。
はっ、と、目が覚めたが、「父の声」ではなかったように思えたし、いやいや縁起でもない、と打ち消しながらも、あれは誰の声だろう、という思いは、消えなかった。
記憶の中での父が、例えば実家に行ったあと、帰るとき、などの「別れるとき」の言葉は、大抵、手をちょっと上げて、「じゃ、」みたいな感じだった。
だから、「さようなら」という言葉は、似つかわしくない、とも思ったのだ。
だがその二日後、父が息を引き取ったのは、その声の聞こえた時間と、ほぼ同じだった。
やはり、あの声は父だったのだろうか…。
答えのない問い、である。
たとえそうだとしても、父は私の中にちゃんと、いる。だから、「何言ってんの、またそのうちね」と、照れたような父の姿を思いながら、そう答えている私である。
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