Yoko
最近読んだ本の、読書記録として
生ハムメロンを知ったのは、もう大人になり、結婚してからである。もともと、メロンはあまり好きではなかった。というより、特に好んではいなかった、というくらいか。 生ハムも、昭和の時代には、そこらのスーパーです売っているものではなかった、と思う。今でこそ、イタリア産、スペイン産のものはなくても、たいていのスーパーのハムコーナーに、国産のものが置いてある。 それはさておき、生ハムメロン、である。 初めてその名を知ったときには、大きなはてなマークが浮かんだ。生ハムは、知っ
『本屋さんで待ちあわせ』三浦しをん著 だいわ文庫 『舟を編む』に続いて、三浦しをんさん、2冊目である。これは、しをんさんが、様々な本について書いている書評、エッセイ集なのだが、その紹介されている本は、実に70冊近く😳‼️ いや、流石にこれに出てくる本を全て読むことは…と思ったのだが、とりあえず気になった本のところに付箋貼ってみた。それでも相当なことになる。ジャンルも様々、ほお、と思うものから、全く知らない世界の本までいろいろ取り揃えられている。 さてここからどうす
『舟を編む』三浦しをん著 光文社文庫 「たくさんの言葉を、可能なかぎり正確に集めることは、歪みの少ない鏡を手に入れることだ。歪みが少なければ少ないほど、そこに心を映して相手に差し出したとき、気持ちや考えが深くはっきりと伝わる。」 「記憶とは言葉」 作中の一文である。昔、「私はいつか言葉を失くすかもしれない」という不思議な恐怖を覚えたことを思い出した。恐怖を覚えたものの、自分でも今ひとつ、何が怖いのかよくわからない。記憶が言葉だとすると…とここを読んで、腑に落ちる感覚が
空が高い。 もう、クマゼミは聞こえない。ツクツクボウシと、時折りミンミンゼミが混じる。 空気の中に、確かに感じる、盛夏とは違うもの。少しずつ、季節が変わってゆくのを、こういう時に感じる。忙しかったり、心に余裕がないと、見逃してしまう。 心して、時を過ごそう。
トマトを食べようと、何気なく切ったら 綺麗なハートが現れました。 切る前は、何にも感じなかったので、あ、という嬉しさと同時に、気がつかなった自分の「見えてない」ことにちょっとがっかり。 いや、見えてなかったから、嬉しかったのかな。予期しない喜び。 堂々巡りな朝。
先日、『三つの石で地球がわかる』を読んでから、私の周りに「石」が姿をよく現す。 昨日、2ヶ月に一度くらいのペースで開催されている、小さなハガキくらいの布に絵を描くサークルのような集まりがあった。もう2年以上、通っているか。 そこで私は、いつも布に絵を描いて、額に入れて飾ったりしているのだが、昨日は「石」が現れた。主催の友人が「海から拾ってきた石」だった。 ひんやりした楕円形の、ざらざらしつつもすべすべしている角のない石を、ゆっくり手に取ってみる。裏返したり、逆さ
7月に、実家の父が亡くなった。主人の父も、もう6年前にあちらへ逝ってしまった。 主人の父は、多少ボケてきてはいたものの、最期まで一人暮らしを貫き、最期も一人でいってしまった。自立心の強いしっかりとした人だった。その義父が亡くなる数ヶ月前のこと。夏休みで訪れていた時の、何気ないお喋りの中で 「いや〜、振り返ってみると、いい人生だったよ。」 と、義父は話してくれた。主人の母は、今の私より若い歳に癌で亡くなっている。子どもたちもそれぞれ独立し、それから30年近く、一人で生
先日、ひょんなことから、『秘密の花園』を読み直すことになった。家にあったのは、初版が昭和29年瀧口直太朗訳のものである。多少訳語に古い感じはあるものの、丁寧な翻訳で、とても読みやすかった。 少し古い時代の、イギリスのお屋敷や、イングリッシュガーデン、と呼ばれるものが、とても想像しやすくなっている現在、改めて読んでみると、細かい草花、小鳥や小動物の様子を、訪れたことはないものの、ありありと思い浮かべることができた。 今の時代、そしてこの日本で、コレラで一家全滅して子ど
風の音。 ゴーゴー、ビュービュー、耳元で。風が髪の毛を振り乱す。青い空と草原しかないような、広大な大地。高い山の尾根。 そんな風景が、音楽を聴いているときに、見える時がある。コンサートホールで、風に乗って、ホールから違う世界に飛ばされる。 初めてそれが起こったのは、ハンガリーから来日したプロムジカ女声合唱団の歌声を聴いた時だった。プログラム最初の、出だしの声で、いきなり、飛ばされた。一気に鳥肌が立ち、涙が止まらなくなった。コンサート中である。必死に嗚咽を噛み殺し
私は、オレンジの色が、好きである。いわゆる「ビタミンカラー」というもの。 しかし、身につけるものには、なかなか「!これ!」というオレンジ色には、出会えないし、オレンジ色の洋服などは、なかなか難易度が高い。 本物のオレンジの色は、どうしてどのオレンジも、「良い」のだろうか。やはり自然の色には叶わないということか。 切った時に立ち上る香りも最高であるジュースたっぷりの、みずみずしいオレンジが、今1番好きなものかもしれない。
『三つの石で地球がわかる』 〜岩石がひもとくこの星のなりたち〜 藤岡換太郎 著 講談社 ブルーバックス 子どもが夏休みの理科のレポート課題に選んだ「柱状節理」(城崎近くの玄武洞や、伊豆半島に多いですね)から、柱状節理の出来方などを調べる資料の一つとして選んでいた本である。 私の知ってる石の知識と言えば、パワーストーンと言われる水晶やアメジストetc、あとは鍾乳洞やヨーロッパで多い石灰岩あたり止まり。玄武洞の柱状節理を形作る玄武岩も、そういえばなんとなく、な程度であった
もう夏も終わり、というこの時期、今季初の「花火」をやった。 小さな、でも勢いのある炎。 普段の暮らしで、火を目にするのは、台所で使うガスの火、誕生日ケーキの蝋燭、くらいしかない。年に一度あるかないかのイベントで、小学校なんかのキャンプファイヤー、山のロッジなどにある暖炉、石油ストーブ…その程度だろうか。焚き火や、暖炉の炎の揺らめく様は、見ていて本当に飽きない。 そして、手持ち花火の小さな火も、見ていて飽きないものだった。 小さくても、炎は炎。ということなのだろう。
楽器の音。空気が震える。 家にあるピアノは、電子ピアノである。レッスン先の、先生の家のピアノはグランドピアノ。毎回レッスンのたびに、弦が震えて出る音の響きの違いに、感動する。電子ピアノでは決して聴こえてこない、楽器自体が振動し伝える響き。 もっといい「電子ピアノ」なら、近い響きが出るのだろうか。そうそう買い替えられるものではないので、あれこれ取り替えられないのがつらいところである。 昨今のコロナで、ホールでの演奏会が軒並み中止となり、オンラインでのコンサートも増
先月、父が亡くなる二日前の明け方。 「さようなら」という声が、頭の中に聞こえた。 はっ、と、目が覚めたが、「父の声」ではなかったように思えたし、いやいや縁起でもない、と打ち消しながらも、あれは誰の声だろう、という思いは、消えなかった。 記憶の中での父が、例えば実家に行ったあと、帰るとき、などの「別れるとき」の言葉は、大抵、手をちょっと上げて、「じゃ、」みたいな感じだった。 だから、「さようなら」という言葉は、似つかわしくない、とも思ったのだ。 だがその二日
最近、空をゆっくり眺めていないことに気づく。 子どもの頃、空を流れる雲を見て、いろんな形を想像していた。 天使や竜はもちろん、シュークリームやワンコやワニなんかもよく空にいた。真夏の入道雲はもこもこに泡立てた生クリームだし、朝日に照らされてぼんやりオレンジ色になってる空や、秋の高い高い空。夕暮れと共に思い起こされる家々の夕飯の支度の匂い、かすかな焚き火の匂いなんかも、空を見ると思い出す。 思い出す、というより、思い起こされる、と言った感覚。 最近、空をぼんやり眺
先月、86歳だった父が、亡くなった。コロナではなく、持病悪化と老衰によるものだったので、諦めのつく穏やかな逝き方だった。 実家を離れて30年近くになる。新幹線、あるいは飛行機を使っても、片道5時間。この距離は、近いのか、遠いのか。海外にいたことを思うと「近い」と思うし、年に数回行けるかどうか、なので「遠い」とも感じる。 これだけの距離があると、「間に合わない」、は、覚悟していた。いわゆる「想定内」である。両親と離れて暮らすようになってから、それこそ会えるのは、年に数