《苔生す残照⑹》
額縁に入っているが埃で薄汚れていた。よくよく見てみれば、地区の合唱コンクールの賞状だった。××年度、最優秀賞と書いてある。そういえばこれに参加したのも章二の転入してきたばかりのクラスだった。クラスの担任が音楽に造詣が深いせいか妙に熱が入った指導をして、なぜか乗り気になった女子と、いまいち乗り切れない男子たちが、それでも授業外の練習にも参加して勝ち取った評価だった。この賞をもらったときは特に興味はなかったはずなのに興奮したものである。
そういえば放課後の練習ではクラス委員の女子生徒が張りきって指揮をとっていた。その子はピアノ担当で、人望も厚かったが、章二はその子に対してあまり良い思い出はない。人柄としては良い子以外の何ものでもなかったが、当時の章二にとっては引け目すら感じていた。
そういえば賞をもらったとき、感激のあまり涙ぐんでいたが、彼女といつも一緒にいた子は冷めた反応だった。不本意ながらの参加でも賞を得たときは歓喜した章二とは違い、ずいぶんと落ち着いていたのだった。微笑みはすれ、冷静にその子を慰めていた。
ともかく、次の手掛かりは得た。章二は教室を出て、今度は理科室に向かうことにする。
どうしてかつての大司がこんなまどろっこしい手段を講じたのかというと、それが小学生の頭で考えたなかで宝を隠す最適で最良の手段だったからだろう。あとは、まあ、面白半分だったに違いない。このまどろっこしい手段に大人になった章二がわざわざ付き合ってあげているのは、誤魔化すまでもなくその宝であるタイムカプセルをどこにしまったのかすっかり忘れてしまっていたからだ。秘密基地がある森の中、埋めたことは覚えている。その基地の正確な位置は忘れてしまった。もう二十年も前のことなのだから当然のことである。森を手当たりしだい彷徨うのは憚られた。そこまでする気力はない。それに大司に借りを作る良いチャンスである。これを無下にする意味がなかった。
理科室は音楽室から階段を降りた一階、東側校舎の奥から二番目だ。今度は何が待ち受けているのだろうかと、緊張が走る。廊下は相変わらず砂埃と枯れた枝葉だらけだった。窓は等しく割れ、台風の後、整えるでもなく放置されているようだった。
階段の踊り場にある窓が随分と低く感じるのは、自分の背丈が伸びたせいかもしれない。高い視野から見下ろす廊下と教室たちは、まるでミニチュアのようですらある。かつてここに勤めていた教師たちも同じような感慨を得たのだろうか。それとも日々過ぎて行く日常の中で、それすら気付かずに過ぎていくのか。どれだけ思いを馳せてもここを訪れるのは章二が久しぶりだったかのようで、足跡も無ければ清掃をした様子も見当たらない。廃校といっても何かと利用価値がありそうな敷地はあるものの、小高い山の上にあり章二がここに来るまでに苦労したことから、誰もそれを申し出なかったようだった。
理科室に入り、ポケットに入れたメモを見直す。取りだしたときはらりと落ちたのは、手がかりとして持ってきていた、きっかけとなったあの写真だった。拾い上げて、道中何度も見返した写真を改めて眺める。クラス全員が映っている。椅子に座り、その後ろに並んで中腰に、最後の列は背筋を伸ばしている。中央には担任と副担任だ。総勢二十名といったところか。
自分は一番右端の最後列にいる。そういえば、と思い、門馬朱音を探してみれば、彼女は最前列の右端にいた。椅子に座っているが他の学生とは異なり、背筋を伸ばして足を綺麗に揃えた上品な出で立ちだった。まさにお嬢様、といった服装で、シックなシャツとスカートで落ち着いた印象だ。先程のつなぎ姿とは同一人物に見えない。面影はたしかに似ている気がする。似ている、という感想は本人に言うにしてはいささかおかしな表現だった。
門馬朱音は注目の的だった。品行方正で、上品で、同級生より大人っぽかった。彼女の周りには、やぼったい田舎とは違った、精練された別の空気が包んでいるように見えていた。それは章二だけではなく、数少ない友人も同様だったようで、ふとしたときにそういった会話をした記憶が、なんとなくはあった。
彼女にはどういった歩みがあって、あんな変貌を遂げたのか、少し興味が沸いた。
「かどまあかね」
名前を呼んでみても、あまり言い慣れた感覚はしない。
メモ二枚に重ね、理科室の手がかりを見直す。「理科室 ホ」で途切れている。教室を見返せば、黒板とは反対側の壁際には、ガラス戸の戸棚にホルマリン漬けの標本が並べられている。近付いて探すと、薬剤で白くなった蛇の標本があった。ガラス戸は建てつけが古くなっていたせいか揺すって無理矢理に引けば開けることができた。蛇の標本の瓶を手にして、つぶさに見返すと、その底にセロテープで張りつけてあった。どうやってこんなところに隠せたのか、もう思い出せなかった。やるなあ、と我ながら過去の自身を褒め、そのメモを剥がした。
他と同様破れていて、「教室 門馬」とだけ書いてあった。出会った女性の名指しにどきりとしたが、彼女は先程思い出したように注目の的だったのである。かつての自分が名指ししても仕方のないことなのかもしれない。
2014.3 初稿
2018.3 推敲