見出し画像

気になる駅名ナンバーワン〜青物横丁の由来を探る〜

こんばんは。Vinoです。
はじめましての方へ。

昨日の激しい頭痛は今朝まで続きましたが、昼間には治まりました。
とりあえず回復して良かったです。
カラダさん、ありがとう。

たまに、京浜急行に乗ることがあるのですが、毎回通るたびに気になっている駅があります。

青物横丁駅です。

まず青物というネーミングにインパクトがあります。
何が青物なのだろう?野菜を売っている商店街なのだろうか?
などなど、想像力をかき立てられます。

いつか降りてみたいと思いながら、なかなか用事もなくて行く機会がないのですが、インターネットで調べてみました。

「青物横丁」は、江戸時代にこの地に農民が野菜(青物)を持ち寄って市場を開いたことに由来します。

江戸時代、東海道五十三次の一番宿として旅人に親しまれていた品川宿。品川は、大井・大森・蒲田と共に、半農半漁で栄えてきた村落で、収穫された野菜は農民が自分で持ち寄って取引していました。
それが市場として発展し、「青物横丁」と呼ばれるようになりました。
この市場は規模を広げ、大きな八百屋が軒を連ねるまでに展開し、昭和の初期まで賑わいました。

元々この地域の歴史は古く、平安から室町時代にかけて建てられたお寺が現在も多数存在しています。
弘法大師空海が開山し平安時代創建の「品川寺(ほんせんじ)」。鎌倉時代創建の「天妙国寺」は有名です。
他にも、江戸六地蔵に数えられる高さ約3mの巨大地蔵や、樹齢三百年超の大銀杏、四代将軍徳川家綱寄進の大梵鐘なども名所になっています。
また、新撰組の土方歳三が定宿としていた茶屋「釜屋」跡地もあり、江戸を偲ぶ文化遺産が今も沢山残っています。

東京さんぽ

やはり、かつて青物、野菜を売っていた場所だったみたいですね。

今は、高層ビルが立ち並ぶ品川周辺ですが、昔はビルなんてもちろんなくて、都心といえども農業や漁業で成り立っていたわけです。
確かに、海も近いですし、美味しい魚が取れたのでしょうね。

昔の風景と今の風景にギャップがあって、街はどんどん進化していきますが、地名は進化しないので、青物横丁という昔ながらの名前が残ってしまうのが、なんとなくノスタルジックな感じがします。

街の進化に合わせて、たとえばベジタブルストリートとかに変わったとしたら、進化ではなく、単に欧米化しただけですし、やはり昔ながらの名前の方がしっくりきますね。

こちらの青物横丁は、日本で唯一、駅名に横丁と入っているようです。

そういえば、何年か前に山手線の品川駅の次に高輪ゲートウェイという近未来的なネーミングのナゾの駅が出来ました。

東京モノレールの駅名なら違和感なく受け入れられますが、山手線の駅名の中では、ポッと異質な感じがします。

昔、山手線の駅名を言う山手線ゲームというのが流行っていましたが、高輪ゲートウェイだと少し言いづらいなぁなんて、どうでも良いことを考えてしまいました。

何はともあれ、品川周辺は、昔と近未来が入り混じる面白い場所だと思いました。まずは、青物横丁に行ってみたいです。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?