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”年ごろ”とは相手の思い出の量なんじゃない?

ボクの”年ごろ”とはいつだったんだろう。

なにかに腹を立てて家出したり、独立したときなんだろうか。

反抗したい年ごろなんだよとか、挑戦する年ごろなんだよとか

過去にたくさん言われてきたし今もまだ言われることもある。

年齢によって考えなければならないことは増えていくものだよね。

進む道のようなものだったり、なりたい姿だったり、もちろんよくわからないことだってある。

今までと違うことをすると”年ごろだ”と言われることもある。

そういう年ごろ、そういう段階なんだなって。

そう言われたら考えちゃうよね。

そうか、そういう年齢なのか、とか、そういうタイミングなのか、とか、そういう岐路に立っているのか、とかね。

でもよくよく考えたら

年ごろになるっていうのは年を重ねた自分ではなくて、同じぐらいの年に自分もそうだったと思う相手の頃合いなんだなと思う。

相手が大切にしている考え方だったり、相手の思い出が多く積み重なっている時なんだと思う。

だからあまり気にしなくていいよ。

自分の大切な人から言われると一応考えてみて、それで見つかればそうしてみればいいし

そうじゃないなら考えるのをやめて、やらなくたっていいとボクは思う。

タイミングとか生き方考え方は例え家族であろうとみんな違うし、必要なことは必要な時にやってくるもんだからとも。

それはチャンスと言われるものもそうかもしれないし、ピンチと言われる姿でやってくるかもしれないし、導かれたように後で気づくものだとボクは思う。

だから大切なことは【今を受け止めて目の前のことに一生懸命取り組む力を蓄えているか】ってことだと思う。

たくさんのことに興味を持って、たくさん遊んで、たくさん見て触って、たくさん味わって、たくさんの人と会って、たくさんの心に触れて、たくさんの喜びや悲しみを知り、その中でできることは何かと考えて行動できる力。

周りの人を大切にして幸せにする。その輪を少しづつ広げていく。

そういうことは年ごろとは無関係に大切なことだと思う。

何にもないことが苦しくなったら色々なものを見て、新しいことをいっぱいしてみるといいよ。中途半端で終わったていいからさ。ね。

ボクから見るとそろそろ年ごろになったであろうきみに伝えたいことはそんなことです。

それときみだけに伝えたいことがある。それは

きみは1人じゃないってこと。

きみには家族でも仲間でも友人でもなく、全力できみのためにできることをする人が1人だけいるんだということ。それは他の人にはないアドバンテージだ。

きみに何も問題となるようなことがないことを祈りながら、何かあったらいつでも遠慮なく連絡を待っているからね。きみの明るい未来を祈っています。お誕生日おめでとう。

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