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自分の中にくすぶっている怒りのパワーを活かす

受講者に気に入られ、研修講師として成果を残そうとするが余り
自分の中に湧き起こる不安や怖さを無視して突っ走ったことで、
ストレスが膨れあがり、押しつぶされた心が“ぺちゃんこ”になって、メンタルダウンで引き籠もった僕。
日々、布団の中で引き籠もって、この罰ゲームのリセットを願ったもののそれが叶わぬ事と諦めた末に、罰ゲームの理不尽さに怒ると共に沸いてきた気持ちは次のようなものでした。
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『ちっくしょう〜!こんなにも罰ゲームが酷いのであれば、何かしら智恵・経験知などの報償を持ち帰らないと、割に合わない!タダでは帰れない!』

『罰ゲームを受けて、それが単なる罰の受け損に終わってしまったら、浮かばれない!』

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怒りと共に悔しさが身体中に充満していたのを憶えています。

それで、最初は「この罰ゲームにはどのような意味があるのか?」という問いかけを自分にしてみました。
(“全ての出来事には意味がある”という様々な人が伝えている人生訓ですよね。この出来事の意味が智恵として見つかれば良いなと思いました。)

なんとか、自分の人生に(例え、それが生き地獄を味わった経験であっても)誇りを取り戻したいという欲求が湧いたのかも知れません。
(“ぺちゃんこ”になった自尊心を、何とかもう一度膨らましていきたい。自己重要感を取り戻したいという想いで一杯だったのでしょう。)

でも、これがなかなか難しい。

「意味なんて見つからねぇ〜!怒」「ちっくしょ〜!!!」

それでも諦めきれない僕は、その後も必死に思いを巡らして
「イヤなものをやめる」
「自分を苦しめるものから遠ざかる」

といった対症療法的な経験知だけは辛うじて思い浮かびました。

・1対多の関わり(研修など)は自分には不向きなんだ
・自分の感情(不安や恐れ)を無視し過ぎると、後でしっぺ返しを食らうので、注意するべき。

といったものです。

でも、なんだか物足りなさも同時に感じていました。
そんなの、生き地獄を通り抜けるという苦しみと報酬と比べて釣り合ってない・・・。
(まぁ、痛い目を見ないとわからない僕には、生き地獄くらいを味わないと、生き方を変えられなかったのも事実なのでこれで充分でもあったのかも知れません)

今になって考えると、苦難や地獄にも意味を見出すにはたぶん、俯瞰した見方が必要なのでしょう。
だとすると「罰ゲーム」として落とし穴にはまっている真っ最中だった当時の自分には、ムリな願いでしたね。

以前にも紹介した
アップルの創業者の一人であるスティーブ・ジョブズが2005年に米スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチの中で語った『Connecting the Dots(点と点が繋がる)』がこの事を教えてくれています。再度ご紹介します。
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you can't connect the dots looking forward;
you can only connect them looking backwards.
So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.
未来に先回りして点を繋げてみることはできません。
過去を振り返って点と点を繋ぐことしかできないのです。
だから将来何らかの形で点が繋がると信じなければなりません。
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今、自分に降りかかっていること、起きていることが将来何の役に立つか?何に繋がるかはわからない。
(今、この瞬間を、必死に生きていれば)後になって、気がつくと繋がっているものだと伝えてくれているのだと僕は理解しています。

そして、
苦難や地獄にも意味を見出すために俯瞰するには、たぶん時間も必要なのでしょう。

その当時の僕は、まさに冒頭部分に書いた
『ちっくしょう〜!こんなにも罰ゲームが酷いのであれば、何かしら智恵・経験知などの報償を持ち帰らないと、割に合わない!タダでは帰れない!』

といった具合に、怒ってましたからね。

そりゃ、冷静に俯瞰などできる状態ではありませんでした(苦笑)

でも一見、無闇な怒りという感情ですが、後から考えてもこの怒りが僕を落とし穴から這い上がっていく原動力になってくれました。
当然、原動力だけで這い上がれた訳でなく、その道中では、たくさんの助けがありました。

例に挙げてみると
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・気にかけて定期的に声をかけてくれて、近況報告など話し相手になってくれた友人K
・「仕事で落とし穴に落ちたのであれば、回復のきっかけも仕事の現場で見つけるしか無い」と仕事の機会をくれた友人M
・突然の連絡にも気前よく会ってくれて、僕が困っている現状を話しながら、何か這い上がるきっかけは無いかと話に付き合ってくれた多くの仲間
・メンタルの回復には、身体からのアプローチも必要だろうということで、日に当たること、土に触れることをやってみようと、参加しだした早朝ラジオ体操と庭の草むしり。
などのお陰で、心と同時に身体も徐々に這い上がってこられたのだろうと思います。
そうそう。友人Uが、引きこもり当初に、気にかけてメッセージをくれたときに文末に「返信不要ですよ」と書いてくれた言葉が、すっごく嬉しかったことをよく憶えています。
気にかけてくれて嬉しい反面、どのように感謝をメッセージで伝えたら良いのか?を考えるエネルギーが湧かなかったときに、「返信不要ですよ」の言葉には、とっても救われた記憶があります。
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みんな本当にありがとう。

余談ですが、
対人恐怖症を克服しようと、対人恐怖症乗り越え専門のコミュニケーション塾(10回コース)みたいなものにも参加しました。
対人恐怖症の解消トレーニングとして、講師を目の前に1対1でスピーチをさせられました。
さぞや、ドキドキして、いつぞやの研修の場の時のように、一言も話せなくなるのでは無いかと恐る恐るスピーチをしてみたところ、なんら問題なく出来ました。
「なーんだ。集団に対してでなければ、恐怖は湧かないんだ〜。」と自分を再発見した僕は、早々に受講を中止しました。
(確か3回程度で退塾。全10回分の受講料を前払していた僕は、未受講分は泣く泣く諦めました。
でも、1対1であれば、何ら支障が無いことを自覚できたから、無駄では無かったのかも笑)

さて、メンタルダウンして、早7年。
半年で社会復帰は出来たものの、その後もずっっと、
『自分にとってのメンタルダウンという経験が意味するものを見出したい!』と粘り続けていました。
そこで意味づけた結果をここでご紹介してみたいと思います。
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あの体験は、自分にとって、自分の人生にどのような影響を与えたのか?僕の人生にどのような意味があったのか?
1,自分が得意な分野で、社会に関わって行くようになった
まず、1対多の研修仕事を引退し、1対1のコーチングに仕事を集中しました。
自分の得意な分野で、社会と関わって行こうという気持ちになりました。
(これは対症療法的ではあるもの、痛い目に合ったからこその智恵ですよね。)
2,自己理解が進み、生きやすくなった。
もう一方で
メンタルダウン経験を意味のある経験にしようと、2019年からパスワークという自分の内面を深く内省し、自分を時に制限したり不健全な思考に至らすローワーセルフの側面に気づき、受容し、変容させていく心理学とスピリチュアリティを基盤とする内省ワークの体系を学びだしました。
(この学びは、かれこれ5年ほど続けてきており、今も継続中です)
ここでの学びを通して、たくさんの内省ワークをすることで、心(感情・思考)の自分の癖を知り、自分自身の理解が深まってきました。これを通して、自分の感情や思考の暴走がしにくくなったり、例え暴走したとしてもパニックには陥らずに済みやすくなり、随分と生きやすくなったように自覚しています。
3,コーチングの歓びを実感し、天職であろうと思えるようになった
自分を内省し、理解したことで、仕事としてクライアントの方に出会ったときに、相手の感情や思考の動きを察知しやすくなったことで、コーチングの質が向上したのではないかとも思っています。
そのことで、コーチングがより一層楽しくなると共に、コーチングが自分のリソース(能力・経験・キャラクターなどを最大限に活かす、僕の大事な舞台だと思えるようにもなりました。
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まとめると次のようになろうかと思います。
『自己理解が進み、生きやすくなり、自分の得意なジャンルで社会に関わって行くことを通して、天職に携われるようになった。』
生き地獄のような体験でしたが、人生に大きな転機と歓びを結果的にもたらしてくれました。

出来事の意味づけには、正解はないので、自分でどのように意味づけるか次第ではあるのですが、僕なりに腹落ちし、その経験を積んだことに誇りを持てているということで、“元は取れた”という感覚が今僕にはあります。
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僕のこの経験を基に、自分なりの智恵となったものを言葉にしてみます。

もし、しんどい状態真っ只中で絶望しそうになったら、
しんどい状況を無視したりせず、まずは、「しんどい状態」を受け入れ、一旦引き籠もる。(一度内なるパワーを貯めるためにも休む)
※「しんどい状態」に無闇に抗わず、一度そのしんどさを受け入れ
(勇気が必要になるし、認めたら最後戻って来れなくなる恐怖が湧くけど)、その流れに乗ってみる(味わう)ことも大切なステップのように思います。
ここでも勇気を出すために、孤立しないように周囲へ心の寄り添いをしてもらえるようヘルプを出すと良いのだろうと思います。
その上で、自分の心の内側を探って
『この辛い経験を、単なる罰ゲームに終わらせない!終わらせてたまるか!』
といったような怒りのパワーが自分の中に無いか?探ってみる
そのパワーが思わぬ原動力になるかも知れません。
自分一人だけで這い上がろうとしないことが必要かな。
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では、また。
〜人生のオーナーシップを自らの手に〜
エグゼクティブ・コーチ
ヴィニー垂水

自分の人生のオーナーとして主体的に生きることで、自分が持つリソースを気づき、最大限に活かすマネジメント・リーダーシップを発揮したいという方は↓


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