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役割の理想像や理想的自己像を追い求めすぎると〜僕のメンタルダウン経験

「まるで罰ゲームを受けているような気分だ〜・・・。」

努めて明るく、エネルギッシュに、堂々と振る舞いました。
それは目の前にいる、受講者の不安や疑心を晴らして、研修にモーチベーションを持って参加して貰えるようにするため。
そして、受講者の表情の硬さが緩むことで、自分自身が少しでも安心感を持って、できるような環境をつくるため。でも、内心は、受講者の反応をビクビクしながら伺っていました。

自分自身の不安や、自信のなさを見透かされやしないかと。
心の中の「繊細安心くん」は、ずっと不安や恐怖を訴えていました。
「怖いよ〜」
「ちゃんと務まるか不安だよ〜」

でも、ずっと訴えは聞き入れず、無視していました。

自分の情熱やエネルギッシュさを放出し、不安をかき消そうと。
今こそ、、「繊細安心くん」を克服し、新しい自分の可能性を見つける時だから!と自分を鼓舞して。

2009年に独立し、企業研修講師として、マネジメント研修や営業研修を行ってきた僕は、エネルギッシュさと、受講者との関係づくり、それによる受講者の動機づけ、建前論で終わらせないぶっちゃけ力などによってそれ相応には、実績を積んできていましたし、信頼して仕事の依頼を下さる方も増えてきていました。

それがある時から何もかもが不安になり始めました。
独立後、新たな領域へのチャレンジを目論見、それまで未経験だった講師業に飛び込み、8年間に亘り、その領域での成功を夢見て、ムリをし過ぎたことが原因だろうと思います。
身近にいる優秀な講師、お客様からリピートされる講師のようになろうと、(引っ込み思案の自分の特性を脇に押しやり)外交的で朗らかな自分だけを突出して演出しすぎた故のストレスが暴発したのでしょう。
自分から逸脱した「理想とする講師像」(言わば役割の理想像)を演じようとし過ぎたツケが回ったのでしょう。

心の中の「繊細安心くん」からの訴えを無視し続けた結果でした。

そして遂に、不安ばかりが頭の中を占めるようになり、
受講者全員が、僕のことを非難したり馬鹿にしたり、蔑んでいるような妄想に囚われて、講師として受講者の前に立つことが溜まらなく怖くなり、受講者の前でろくに話も出来ないという事を起こしました。
(その日は幸いペアで講師を務める研修をしていたので
仲間が進めてくれ、研修自体は大事には至りませんでしたが)

あまりの自分の不甲斐なさに、自分を激しく責めまくり、自分の心がまるで薄焼きせんべいのように完膚なきまでに“ぺちゃんこ”になる絶望感をその日感じました。

あの時に感じた、“ぺちゃんこ”感は、今も鮮明に身体が覚えています。

「僕こんなに“ぺちゃんこ”になっちゃった・・・・・。」

社会人になり、数々の経験を積み、資格を取得したりして、必死に積み重ねてきた自尊心、(積み上げたものはわずかばかりではあったけど)
潰れて“ぺっちゃんこ”になっちゃった・・・・。

その後は、睡眠障害や動悸が激しくなるといった症状が大きくなり、睡眠薬を飲んでみはたものの、動悸が激しくなりかえって眠れずに朝を迎えたり。
仕事のメールを受け取り、返信を書こうと思うと、返信内容に相手がどのような反応をするかを考え出したら、不安が増強し、1通のメール返信に2時間も思い悩んだり。
思い悩んでいるうちに、頭がおかしくなりそうになり、家中をうろうろと挙動不審状態で歩き回ったり、突如奇声をを発したくなったり。
上記のような自分を想い返して、絶望を味わったりして。
「まさに、これが生き地獄だな」と思ったことを憶えています。

こんな状態ではとてもではないが、講師は務まらない。
余計に迷惑を掛けてしまう。これ以上ダメな自分を曝したくないし、自分に絶望もしたくない。
そうした自己防衛本能も働いていたのだと思います。
そんな想いにかられ、その時点で決まっていた全ての予定をムリを言ってキャンセルさせて頂きました。
(これにより、たくさんの方、お客様、お取引先、友人に多大な迷惑をおかけしてしまいました。改めてお詫び申し上げます)

その後、引きこもりに突入していくのですが、
毎日自宅の布団の中で引き籠もりながら思ったのが冒頭に記した言葉でした。
『まるで罰ゲームを受けているような気分だ〜・・・。』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自分はなにも満足に出来ない、価値の無い人間なんだ・・・。
その上、こんなにも迷惑をかけ、信用を失い、もう二度と仕事を任せて貰えないだろう。
もう社会活動には二度と戻れないだろうな。
(引き籠もっている布団中で見た、朝のニュース映像で映った、東京駅丸の内口前の横断歩道を足早に歩くビジネスパーソンの
映像を見ながら、自分の現状と比較し、自分がどれだけ社会から取り残されたのか?を見せつけられ絶望したことをよく憶えています。)
もう、この人生はおしまいだ・・・・。
なんで、こんな罰ゲームを僕が受けなくちゃいけないんだ(怒)!
何か悪いことしたって言うの、僕が?(怒)
何のバチ?
罰ゲームならば、ゲーム機のリセットボタンを押したい!シんだらリセットされるかな・・・?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こんな考えが、頭の中をぐるぐると廻っていました。
でもね。シねませんでした・・・。

怖かった。
映画「ロードオブザリング」で、主人公フロドが、指輪をはめたときに全てが歪んだ影の世界へ落ち込み、邪悪な帝王サウロンやその手下のナズグルに生気を奪われそうになるシーンが想像されたりして。

さんざん、思い悩んだり、シに方を探したものの、どれも怖くて。
「シねないわ・・・。」と諦めざるを得ないと思い出したときに、
罰ゲームを受けていることを、徐々に「この罰ゲームは理不尽だ!」と感じ始めました。

そのうち、その理不尽さへの怒りが、自分の中に沸騰してきて、
僕の中で“ある気持ち”が不思議なことに湧いてきました。

この気持ちが、徐々に僕を落とし穴から引き上げ出してくれたのですが
ここのところは、次の投稿で。
_________________________
わずか半年で引きこもりから回復し、今、こうして社会に復帰
出来ているのは、ひとえにメンタルダウンしている僕に、心を寄せて支えてくれた友人、復帰の機会を与えてくれた友人のお陰です。
改めて心より感謝を申し上げます。ありがとうございました。

では、また。
〜人生のオーナーシップを自らの手に〜
エグゼクティブ・コーチ
ヴィニー垂水

自分の人生のオーナーとして主体的に生きることで、自分が持つリソースを気づき、最大限に活かすマネジメント・リーダーシップを発揮したいという方は↓


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