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ファッションはナメられないための装備か?

パーソナルデザインについて調べているとキュートタイプは他のPDと比べてナメられやすいという説をたまに見かける。若々しくて親しみやすい印象になることが多いからだろうなと思う。

それとは別に個人的に“ナメられる”ことに私は敏感だ。友達や家族は私が『ナメてやがるクソが』と悪態つくのを何度も聞いているはず。

友達と自分にとってのイメコンやファッションとは?という話になった時も“ナメられたくない”がキーワードになったくらいだし。


ざっくりとした意図が伝わりやすいので『ナメられる』という言葉を使うけど実際にその感情を正しく文章に起こすとちょっと違う。

文字通り『ナメられたくない』だけではなくそこには『雑に扱われたくない』『不当に見くびられたくない』が入ってるしほぼそっちの意味で使ってる。ここでも私は何度かナメられるという言葉を使うけどほぼ後者意味で使ってると思って欲しい。

そしてその対象は『私自身』だけでなく『20〜30代くらいの人畜無害そうな女性』だったりする。

あまりにも不当に扱われることが当たり前になってません?って気づいたことによって更にナメられてるかそうでないかを気にするようになったこともある。

わかりやすいのが都心の電車の中で、実際にわたしは通学通勤で服装によって失礼なことをされる率が変わるなということを実感してる。

ここでパーソナルデザインに話を戻すと、冒頭の元々ナメられやすい面があるキュートタイプの他にもパーソナルデザインを外した時に、やはり他人から見くびられたり不当な態度をとられることがある。

例えば直線的なデザインが得意なPDボーイッシュは曲線や女の子らしいデザインを身につけた時に『無理をしている感』がでたりとか。

私が見かけたので納得したのが装飾や盛りに強いPDロマンスがシンプルなファッションだと地味だったり“芋くさくなる”パターン。

ちなみに私はPDロマンス・ファッショナブル要素が強いアバンギャルドなのだけど、確かに盛りが少なかったり無難なファッションだとものすごく大人しく地道で芋っぽくなる。そしてそういう時に“ナメられる”。

私自身を知っている人から不当に扱われることは殆どないけど、都心に向かう電車なんかだと赤の他人からナメられることなんでザラだ。

電車に乗ろうとする時は強引に押されるし降りる時にぶつかってきても謝られないし座っていたらひと1人分以上足をガバッと広げられたり例を出せばキリがない。

仕方ないと感じでいた不快な行為が外見や印象で人を選んでされてるものだって気づいてしまったらもう迎撃するしかないでしょ?

すっぴんでいる時よりバチバチに化粧してる時の方が不快な思いをしないのであればもうバチバチに盛った化粧は絶対だし、洋服も同じく。

ファッションのことを考えた時に、自分は行く先の雰囲気に合わせたテーマとかストーリー性をつけるのが好きだなと最近気づいたけど、それまであまりに“ナメられたくない”装備として捉えることが多かったんだなと。それが強すぎて純粋にファッションを楽しむことがあまり出来ていなかったかもしれないと思い返してる。

自分なりに楽しんでいたつもりだし好きなことではあるのに、友達から『カヌレにとってのファッションは装備だよね』と言われた時に一瞬ん?と違和感があった。でも考えてみると楽しむものという以上に他人からの不当な扱いを防ぐ装備として使ってる部分が大きくて、これは傍から指摘されないと永遠に気づかなかっただろうなと思う。


今は首都圏に住んでもないし、ただのパート主婦であまり他人からのナメられを防ぐ必要も殆どないので 、純粋にファッションを楽しむ方向を強めていきたい。そして徒歩3分のスーパーにはバチバチの装備ではなく安心して部屋着の芋っぽい姿で出かけたい。


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