読書ノート  日本経済新聞 2022年2月6日(日)朝刊 文化時評 ビッグボスが舞う日 篠山正幸

 時代が求める何か。それを解くヒントを北国に見つけた。昨夏の甲子園に出場した青森・弘前学院聖愛高だ。同校に普通の意味での監督はいない。選手が自分で作戦を考え、ノーサインで試合を進めるのだ。

 なぜ、ノーサインなのか。原田一範監督(44)は指導者修行の一環で参加した経営セミナーでの一言に、ショックを受けたという。

 「これからの野球型人生は要りません。求められるのはサッカー型、ラグビー型の人材です」。一球一球、監督の指示で動く人材ではなく、自分で状況を判断し、問題解決できる人材でなくては、という意味合いだった。

 競技の優劣の問題ではない。「サインで縛る」というやり方の問題なのだ。人を育てると言いながら、今まで指示待ち人間をつくり出してきただけではないか。そんな思いでノーサインに踏み切って、4シーズンが過ぎた。

 21年度の主将を務めた佐藤海選手は4番打者ながら、状況次第で送りバントもした。作戦の全責任を負うことで「どんな準備が必要か、練習からより深く考えるようになった」と話す。

 ノーサイン野球がどう勝敗を左右しているか、「正直わからない」と原田監督は言うが「それで構わない」とも。成果は高校の3年間ではなく、選手が社会に出てからはっきりすることだからだ。進んだ先の大学で主将になるOBが少なくなく、手応えはある。

 炭酸飲料は駄目といったルールもなくし、選手に考えさせる。監督が見張り役みたいになるのが嫌だった。「そもそも『監督』という言葉自体、パワハラ感ないですか?」

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