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1ヶ月を過ごしてみて Study@UniMalaya


9月27日の夜に羽田を飛び立ち、マレーシアに到着して1ヶ月が経過しました。
この間、生活、文化や風土、勉強、自分の身や心に起きた変化、どれもが余りにインテンシブすぎて、少しばかり弛緩している自分がいます。笑

僕は法政大学からの「派遣留学」という制度を使ってマレーシアのマラヤ大学に来ているのですが、留学の規定によって毎月「月例報告書」を書かなければならないということで、折角ですし「月記」のような感覚でこちらの生活のこともシェアしていこうと思います。

因みに法政大学の生徒であれば、グローバル教育センターのページから月例報告書が読めるようになっています!学習状況の報告などはそちらの方で細かく書いているので、是非マラヤ大学等への留学を考えている法政大生の方はそちらも読んでもらえると何かの足しになるかなと思います笑

1.マラヤ大学について

まずマラヤ大学ってどこの大学??となるのがほとんどの日本人の反応だと思うので、軽く紹介だけしておきます。

マラヤ大学はマレーシアの首都、クアラルンプールにあり、マレーシア最古の国立大学です。
マレーシア国内では最高学府であり、QSアジア大学ランキング2022では11位の東大を凌いで8位、指標の異なるQSワールド大学ランキング2022では65位と、ランキングによって上下はあるものの、凡そ日本の旧帝大に匹敵する評価を得ているという立ち位置です。

中でも自分が専攻している「開発学」はアジアにおける権威と目されており、最新のランキングではアジア3位に位置していました!(因みに1位は東大でした。笑)

ただ現地で学んでいて、非常に国際性が高い大学だと感じます。
まずクラスメイトは異なる国籍を有している前提で行われているので、大抵初回は「君はどこの国?」というコミュニケーションから始まります。笑
加えて全員が独自の訛りのある英語を話すため、全員が異なる英語を喋っているという感じです。
非常に聞き取り辛いなと感じることもありますが、まあ自分も独自の発音で発言すればいいかともなるため、気楽な部分もあります。

2.初月の生活

何だかよさげな大学で、楽しそうに勉強してるな!と思ってもらえたかなと思います。

ですがこうして勉強に取り組むという、ある種当たり前な活動に至るまでが一番大変でした。

到着初日のことから書いていこうと思います。(以下、月例報告書より抜粋)

自分は日本では常に家族と生活しており、また22年間同じ町に住んでいたので、今回マレーシアのコンドミニアムで一人暮らしをするというのが初めての一人暮らしとなりました。

まず、留学初日を一言で表すなら、「絶望の連続」といったところでしょうか。

問題の原因は、スマートフォンのSimロックの確認が甘かったところから始まります。

私は日本でスマートフォンを買った際、通信プランを変更したかったためSimフリーのスマートフォンから選んでいました。実際、auからauの格安プランであるPovoというサービスに切り替え、その際Simカードの交換を行っていたため、「自分のスマートフォンはSimロックが解除されているだろうから大丈夫だ」と安心していました。

しかし、確かにスマートフォン自体はSimフリーだったのですが、auのSimロックがかかったままということに気づかなかったのです。この状態でマレーシア現地のSimカードを挿入したところ電波を受信できず、モバイル通信が利用できないという状況に陥ります。

加えて現地に着くまでは、既に契約していたコンドミニアムのWi-fi設置手続きを完了できないとプロバイダーから言われていたため、例え部屋に辿り着いても通信環境は確保できない状況でした。また当日は空港到着後マラヤ大学のピックアップサービスを利用していたのですが、大学までしかピックアップは行ってもらえないため、大学からコンドミニアムまではGrabか徒歩で到達する必要があります。しかし道も分からず、モバイル通信も使えないとなるとどうにもコンドミニアムに到達出来ず、初日から住居に辿り着けない可能性に直面します。

この危険性に気付いて以降、まずピックアップサービスに同乗していたマラヤ大学のGlobal Enrichment & Mobility(GEM)に所属する学生に助けを求め、現状の問題解決の協力を頼みました。彼女は快くテザリングで自分に通信を貸してくれたことに加え、Simカード会社に電話するなどして解決策を探ってくれるなど、惜しまず最大限の協力をしてくれました。

しかし事態は収束せず、GEMの本部に向かうことになります。この本部にてHe LinというGEMに所属する中華系の学生に出会い、彼が親身になって協力してくれ、挙句Grabで自分をコンドミニアムまで送ってくれました。当時自分はATMから現金を引き出す術も知らなかったため、「今度会った時に返して」と連絡先だけ交換して別れました(後日きちんと返済しました)。

しかしトラブルに遭った関係で集合時間に大幅に遅れため、いざコンドミニアムに到着しても部屋の鍵を持っているエージェントと落ち合えるかわかりません。通信も使えずエントランスで困り果てていたところ、若いベトナム人の男性が声をかけてくれ、彼からモバイル通信をテザリングしてもらってエージェントに位置情報を送ることが出来ました。彼は「自分もこの住居に住んでいるから、もし困ったら僕の部屋で休んでいきな」と伝えてくれ、この時点でここにいる人々の温かさと、果てしない自分の無力さを感じました。

エントランスで待つこと1時間ほど、漸くエージェントと合流することが出来ました。しかし「どこで食材を調達するか」「困ったら頼れるのは大学だが、どうやって大学に通学するか」などが、通信のない状態ではアクセス出来ず、更には家族や大学、保険会社とすら連絡が取れないという状況は正に致命的でした。大学にてHe Lin君が「こっちで格安のスマホを買うのが一番手っ取り早いんじゃないか」と教えてくれていたので、コンドミニアムの設備を見回りながらエージェントに最も近くでスマートフォンが買える場所を聞き、800mほどの所にある「Digital Moll」という中古スマホも多く取り揃えてある家電量販店を教えてもらいます。方向感覚だけを頼りに何とか徒歩でDigital Mollに辿り着き、何とかして中古の現地スマートフォンを手に入れました。現地に到着してから凡そ10時間後、漸くモバイル通信が繋がり、家族に連絡を取ることが出来ました。

この時点で時計は夜の8時。最後の食事は乗り継ぎで使用したシンガポールチャンギ空港で朝6時あたりに摂った朝食のみです。どこで何を買ったらいいかもわからなかったので、たまたまDigital Mollの近くにあったセブンイレブンで菓子パンだけ買って帰りました。「害虫が出ない」と言われて決めたコンドミニアムでしたが、帰って早々冷蔵庫の周りで2匹、シンクで1匹のゴキブリと遭遇します。前の住居人のゴミやら所有物、髭や髪の毛、油汚れなどがほったらかしで、お湯も出ず、掛け布団とシーツすらないベッドの上で、漸く眠りに着きました。

翌朝、強烈な空腹と共に目覚めます。まず何をしたらいいのかもわからず、現状の圧倒的な課題の多さに再び絶望しました。コンドミニアムの入口にコンビニのようなものがあったので、やはりここでも温める必要のない菓子パンを購入し(あると書いてあった電子レンジがなかったため)、これまで散々食と体に気を使っていた自分が、2日間を菓子パンだけで凌ごうとしている事実にまた絶望しました。「一度飛び立ったら、弱音は吐かない」そう決めていたはずですが、2日目の朝にして、母親に電話をします。独房のように感じたコンドミニアムの部屋の中で初めて母親の声を聞いた途端、涙が抑えきれなくなり、成人して以来、あるいは18歳を迎えて以来、大学受験に2度失敗しても、インターハイの地区予選1週間前にインフルエンザになっても泣かなかった自分が、初めて大声を上げて泣きました。

不思議なことに一度泣いてみると、自分の中に溜まり込んでいた負の感情がどこかへ行き、今すべきことが見えてきました。まず、現地についたら早急にメディカルスクリーニングを受けなければいけない。まずはメディカルスクリーニングを受けに町にいこうと、初めて自分でGrabを使い、KLの中心地へ向かいます。

ここでもトラブルに遭います。カードナンバーを入力してカード支払いにしたつもりが、現金支払いでGrabを呼んでいたらしく、支払い手段がないのにGrabに乗車してしまったのです。乗車してからそのことをドライバーに伝えると、「途中でATMに行ってこい、待ってるから」とATMに向かい、使い方も分からないまま現金の引き落としを試みます。早速6桁の暗証番号を要求されました。日本のデビットカードの暗証番号は4桁なので、何を入力したらいいのか分かりませんでしたが、運を信じて4桁の番号を入力したところ、奇跡的に現金を引き出すことが出来ました。晴れてドライバーに支払うことが出来、目的地へ到着。と思いきや、いくら探し回ってもそれらしき病院がありません。凡そ30人以上の道行く人に場所を聞くこと2時間後、漸く2kmほど離れたところにある病院に辿り着きます。しかし着いた途端、「うちは同じ名前の病院だけど、留学生のメディカルスクリーニングはやってないよ!君で何人目だい!」と言われ、本来向かうべき病院までの行き方を病院のスタッフに教えてもらいます。「電車を使うのが早くて安い」と言われ、Grab、現金引き出しに続いてまたしても挑戦がやってきます。駅員に使い方を聞き、チップを購入して入場。しかし路線が全く分からず、駅で迷うこと1時間、駅員に聞き直して路線を確認し、何とか正しいホームに辿り着きます。ここで彷徨っている間に喉が渇き切り、駅中のコンビニで売っていたコカ・コーラを口にした途端、もはや懐かしさすら感じて、再び泣き出しそうになりました。そうこうしている内に電車が到着し、目的地のあるKL Central駅に到着します。

どうやらここではGoogle Mapそのものが当てにならないようでして、KL Centralに着いてからも病院に着くまで1時間半ほどさまよいました。地図上では近いはずなのに、そもそも歩ける道が少なく、高速で車が走り抜ける車道を突っ切る道などが平気で最短ルートとして表示されたりします。この日1日だけで計50人以上の通行人や警備員に道を尋ね、午後6時頃、漸く指定の病院に辿り着きます。そして放たれた一言が、「今日はもう閉まったよ」と。もはや清々しかったですが、交通手段を手に入れたこと、現金を入手できたことなど、少なくとも前進しているという感覚を得ることが出来ました。

2日目の夜、取り敢えず自宅の周辺で何が手に入るのかを確かめようと、昨日向かったDigital Moll周辺を散策することにしました。思いのほか生鮮食品、DIYグッツや日用品、カフェやレストランなどが充実していることを知り、まずは早急に欲しかった掃除用具と害虫駆除グッズ、食器や洗剤類を買い集めました。またレストラン街で小奇麗で安価なマレー料理のファミレスを見つけ、2日ぶりに米、肉、スープが揃ったちゃんとした食事を取ることが出来ました。感動のあまり、ファミレスの食事を写真に取って母親に送ったことを覚えています。

2日目以降は移動手段、通信手段、食材や日用品の調達方法を覚え、かなり生活が立ちあがって来ました。4日後当たりに鳥取大学出身の留学生から連絡があり、漸く現地に頼れるコネクションを作ることが出来ました。よく「マレーシアに留学している」というと、「食事はどう?」と聞かれることが多いのですが、僕は驚くほどにマレーシア料理が舌に合っていて、安いし、美味しいしで、食に関しては言うことなしでした。この辺りは個人的なコネクションや鳥取大学からの彼を通じて、台湾やインドネシア、パキスタンからの留学生と食事を取ることも増えました。

しかし舌はマレーシア料理を受け入れていましたが、「腹」と「歯」は別問題でした。到着から1週間後、(恐らく刺激物の摂りすぎで)強烈な腹痛と下痢に襲われます。更に日本で出発前に治療を終えたはずの前歯がズキズキと痛み始めます。出発前に母親から渡されていた胃腸炎の薬を飲んで腹を落ち着かせつつ、保険会社に問い合わせ、マレーシアに来て早々歯科治療を受けることになります。それも日本人通訳のいる病院を探して症状の相談をしたところ、症状が相当悪化していたそうで(日本の歯科医はそれを誤魔化す治療をしていたそうで)、根幹治療が必要なため現地の専門医による治療を受けることになりました。ここで注意が必要なのですが、歯科治療は実は海外旅行保険の適用外でして、保険会社による支払いの代行や保険の適用を受けることは出来ません。代わりに日本人向けの対応がされているクリニックであれば帰国後に国民健康保険への請求が出来るということも教えて頂き、前払いという形にはなりますが、幸いにも実質日本とほとんど変わらない医療費で治療を受けることが出来ました。
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他にもこちらに来てから遭遇したトラブルや絶望的な瞬間などは挙げればキリがないですが、なんとか小さなステップを積み重ね、今ではやや落ち着いて勉強に集中することが出来ています。到着してから最初の1週間ほどは、まさか週に60時間勉強するなんて到底不可能とすら思っていました。今でも日本のように心の底から安心して過ごせている訳ではありませんが、少なくとも勉強している間は不安やネガティブな感情を忘れて目の前のことに集中出来るので、返ってそのことが勉強への高いモチベーションに繋がっていると感じています。

3.勉強面について

長々と暗い話をしてきましたが、こうして新天地での新生活に伴う課題を地道に潰していったことで、現在勉強面は非常に充実しています。到着3週目当たりからは観光やトラブル対処、友人との交際などがあっても週55~60時間は勉強の時間を取れています。

ここでは、マラヤ大学での「授業面」と「語学面」での学習状況を共有していこうかなと思います。
今月は凡そ月例報告書の内容を抜粋しているだけなので、授業面と語学面、適宜興味のある部分だけ呼んで頂ければなと思います。一応、僕が普段どんなことを考え、どういった姿勢で大学の授業や語学の学習に取り組んでいるのかを言語化したつもりなので、少し長いですが参考になれば幸いです。笑

授業面(月例報告書より抜粋)

マラヤ大学では所謂教養科目が1クラス2時間ほど、専門科目が3時間のケースが多く、自分は教養科目1、専門科目4の計5クラス受講していますが、教養科目である「Politics and Government in Southeast Asia」は2時間の講義に加えて1時間のチュートリアルが加わるため、実質全ての授業が3時間となっています。法政と比べると全ての授業がゼミのような感覚ですが、一方で議論すべきトピックが絞られて来るので、学びたい領域に集中してクラスに取り組むことが出来ています。

全体として、「Entrepreneurial Economics」「Gender and Development」「Development Economics」では初回授業からクラス最多か、最多に並ぶ頻度で全体発言や議論に参加することが出来ました。これらの授業ではきちんと自分のプレゼンスを出すことが出来たため、現地の学生や主にインドネシア、パキスタンの留学生等から声をかけてもらうケースも増え、昼食を共にする友達や授業の内容について相談することの出来る友達を作ることが出来ました。まずはそういった成果のあった3クラスについて記載していきます。

【Entrepreneurial Economics】
以前まで分かれていた経営学と会計の「Faculty of Business and Accounting」と、開発学、公共政策、経済学の「Faculty of Economics and Administration」が昨年より統合され、上記の5領域が合わさった「Faculty of Business and Economics」が新設されています。

「Entrepreneurial Economics」を始め、私の履修科目中4クラスはこちらのFacultyに属するため、多くの授業がビジネス、経済、政治、開発などの多領域をまたぐような授業展開が為されています。中でもこのクラスはその典型とも言えるもので、アントレプレナーシップ論という一般には経営学領域として扱われる内容が、「公共政策やマクロ経済の観点からどう説明出来るか」「如何にして起業が貧困や格差を是正したり、社会的・開発上の課題を解決するか」「成功するアントレプレナーに見られる、心理学的特性とは何か」といった、Inter Disciplineな内容となっています。

私は法政大学で学んでいた期間、1年次の後期に6カ月間、外部のビジネススクールでアントレプレナーシップ論を学び、他大学の学生と事業立ち上げを行うプログラムに参加していました。また経営学部の「製品開発論」でイノベーション・マネジメント、技術経営、スタートアップ・エコノミーに関する議論、「組織マネジメント論」で創造性に関する議論、またキャリアデザイン学部の「シティズンシップ論」でシリコンバレーと地域経済におけるイノベーションとソーシャル・キャピタルの議論を学んでおり、アントレプレナーシップ論に対してはある程度のバックグラウンドがある状態で臨んでいます。

このクラスを受講した理由は、まず「より経済・開発学的な、高次の観点からアントレプレナーシップを考えてみたい」ということに加え、「グループプロジェクトやディスカッションが豊富で、最も多様な英語でのコミュニケーション機会を得られること」が決め手となりました。語学面にビハインドを感じていたからこそ、これまで培ってきた経験とナレッジを通じて、クラスに貢献しようという姿勢を持っています。

やはり、自分程アントレプレナーシップに興味を持って受講している学生も少なく、こうした背景を自己紹介で行えたことは、一定の注目を集めることに繋がりました。初回の授業終了後、「語学面の問題で今後の受講予定などを聴き漏らしているかもしれないから確認したい」とLecturerと1対1で会話することが出来た他、クラスにいたマレー人の2人から声をかけられ、Whatsupを交換するなどしてコネクションを作ることも出来ました。彼らとは学食で昼食を取る仲になり、マレーシアの政治や就職活動などの話を聞かせてもらっています。

【Gender and Development】
上記の「Entrepreneurial Economics」も同様ですが、こちらのクラスも少人数で行われています。「Gender and Development」ではジェンダーにまつわる政治的、宗教的、経済的、生物学的、社会学的、人類学的な様々な観点について議論が為され、内容も受講生のジェンダー関する差別の経験などを共有しディスカッションするというもので、センシィティブな話題に対し非常に議論が活性化します。

他のクラスでは普段あまりガツガツ発言にいかない女子学生がかなり積極的に発言をし、毎回5~6人が手を挙げて発言の順序待ちが起こるという、日本では中々遭遇しにくい環境です。

かなり女子学生優勢な雰囲気ではありましたが、日本人受講生が自分のみであったということもあり、例えば「日本には女性専用車両がある」という日本の話題を共有することを通じ、「日本ではどうか?」というタイミングで確実に発言の機会が巡ってくるようになりました。

【Development Economics】
こちらのクラスのLecturerは「Gender and Development」の方と同人物で、既にLecturerに認知されていたこともあり、大人数のクラスでありながら初回から日本の話題は自分に振って下さりました。

「4.その他の体験や変化」にて後述しますが、実はWeek1の直前の土日にGEM(Global Enrichment & Mobility:マラヤ大学の留学生サポートセンター)主催の「Amazing Historical Quest in Melaka」という宿泊行事に参加しており、この際ルーミーになったLiuという中国・武漢からの留学生とクラスが被っていました。現在はクラスの前にcafeteriaで昼食を取り、一緒に受講しています。初回から彼と最前列に座って受講しましたが、若干Lecturerとの距離があり、より近い位置に座っていた恐らくインドネシアの学生に発言の機会を多く持って行かれ、対策としてWeek2ではLecturerの目の前の席に場所を変えました。

このクラスは正に自分がマラヤ大学に来た目的の一つである、「開発学・開発経済学」を体系的に学べるものとなっています。指定教材として850ページあるmaterial(Todaro’s Economic Development)を渡された時は驚きましたが、全て読み込むという勢いで読んでみると、経営学部でミクロ経済学を学んでいた時に感じていた「世の中を単純化しすぎではないか」という疑問や違和感に対し、尽くその現象の複雑性、相互作用性、多様性をCase Studyを用いて紹介しており、目から鱗の内容でした。

Materialの内容は正に途上国、後進国に焦点が当たった内容となっていましたが、クラスの中ではマレーシアの目線で開発が語られることが多く、驚くほど「Japan」との対比が行われる頻度が高いです。やはり、「ルックイースト」を提唱した国であり、またマラヤ大学は「ルックイースト」を提唱したマハティール元マレーシア首相の母校ということもあり、「日本への意識」は学生からも、教員からも何か特別なものを感じます。

Japanが対比される頻度は現状USよりは多く、開発の中でも中心国となりがちな中国、インド、インドネシアと並ぶ程です。マレーシアには中華系も3割ほど人口を占めているので、中華系の方はよく見かけるのですが、純粋に中国出身の学生は少なく、面白いことに日本の話題は私に、中国の話題はLiuにと、発言のチャンスが巡ってきます。

このクラスは受講している中で最も大人数ですが、ここは日本とは違い、隙あらば発言をする学生が多く受講しています。もちろん、マラヤ大学は受講している学生の国籍自体も非常に多様なので、食い入るように発言する生徒、手を挙げてから発言する生徒、求められたときだけ発言する生徒、聞くに徹する生徒など受講姿勢も多様ですが、少なくとも法政では自分だけが全体発表や発言をして、大人数授業なのに講師と1対1で授業が進む、ということにはなっていません。自分としては、「漸く張り合えた」という感覚があり、こうした刺激が、より自分の学習へのモチベーションを高めてくれていると感じます。

またWeek2のクラスで発見したTipsですが、3時間のクラスとなると、勢いの良いインドネシア人学生も大体1時間過ぎた辺りで集中が切れてきます。自分は体力と集中力には自信があるため、クラスの後半は全体発言の比率を相当持って行くことが出来ました。これからは長いクラスの中での力配分なども意識しつつ、各クラスで最大のアウトプットが出来るよう取り組んでいこうと考えています。

【Politics and Government in Southeast Asia】
マラヤ大学で最初のクラスとなったのがこの「Politics and Government in Southeast Asia」です。まず初回のクラスの前に配賦されていたmaterialを軽く読んでみましたが、東南アジアの各国に焦点を絞り、政治、経済、宗教などの文化的背景、植民地支配の歴史と影響等を網羅しており、こちらも目から鱗の内容でした。

初回のクラスのタイミングからインドネシア人のコミュニティに声をかけ、話せる間柄にはなりましたが(彼らは非常にフレンドリーなので)、どうやらインドネシア人の受講生が非常に多いらしく、かなりコミュニティが形成されており、クラスでの発言権を持っていかれているという印象でした。

またこれは他の全てのクラスに言えることですが、期末テストなどでは制限時間以内にエッセイなどを書き切らないといけないということを考えると、現状の自分の力では目標の到達は厳しいと感じられ、如何にしてこうした課題をクリアしていくか、というのがセメスターの前半で非常に重要になってくるなと感じました。

【Project Management and Analysis】
ある種最もinactiveなクラスがこちらです。他の4つのクラスではどのLecturerもあまりマレーシア訛りが感じられず、聴きやすい英語を話して下さるのですが、このクラスの先生は余りに英語が聞き取れず、つい自動音声翻訳機を使ってしまいました(Googleも認識出来ていませんでした)。

幸いにも講義内容は全て事前に配られる資料に書いてあることなので、これを読めば内容自体は大丈夫なのですが、他のクラスと違って「理解する」ことに徹している状況です。

また、内容が最も難解なのもこのクラスです。私は「帰国してから就職活動のために資格を取る時間が限られている」ことと、「マラヤ大学は会計学が非常に有名な大学なため、学生全体の会計に関する習熟度が高いはずだ」という仮説の元、渡航の直前に詰め込みで日商簿記2級を取得していきました。法政であれば受業内で十分にアドバンテージを取れるレベルですが、こちらでは初回で2級の内容をあっさりとおさらいとして済ませ、更に簿記に加え中小企業診断士の勉強をかじっていた自分でも知らない会計・ファイナンスの公式などを知っている前提で扱っており、簿記2級を取ってもアドバンテージにすらならないことと、寧ろ勉強していなければ初回から挫折していたかもしれないという事実に驚きました。

このクラスでは毎週Tutorialが出され、どうやら提出は無いようなのですが、発言などが出来ていない分、こちらのTutorialをしっかりと書き込み、不安要素である「英語で日本語と同じように書く力」の向上に活かしています。

語学面(月例報告書より抜粋)

語学面ですが、まず生活を送る上では基本的に困らない状況でした。今日に至るまで、凡そ2年半で900日以上オンライン英会話を受講していたこともあり、よく言われる「英語で聞いて英語で考える」というフェーズは既に突破しており、少なくともオンライン上ではエフォートレスに、ある程度抽象度の高いトピックでもコミュニケーション、ディスカッションが出来る状態です。また今年の2月にオンラインで国際交流課から紹介されたポートランド州立大学の語学留学を経験し、そこでもグループリーダーを務めてプロジェクトを進める経験もしていたため、アウトプットの場がオンラインから対面に変わった点に適応することさえ出来れば、自ずと本来の力と近い状態で教室でもパフォーマンスすることが出来ると考えていました。

ただ想定していた通り、当初は(今でもですが)声が小さい、発音が曖昧、つい相手のペースに合わせて実力よりも速く喋ろうとしてしまうなど、対面環境に慣れていないからこその困難はありました。また「ディスカッション」という目的のある会話ではある程度すらすらと英語が出てくる割に、友人との何気ない会話でどう話したらいいのかということも多少悩みました(前述したマラッカのイベントでここは割と改善したような気がします)。

Week1のクラスではいずれも積極的に全体発表に挑戦したものの、いまいち自分の中で納得のいくようなアウトプットが出来ず、帰ってから自宅で受講しているオンライン英会話で話す自分と比べて、「何がオンラインと対面で違うんだろう」という点を考えました。現状気付いた点としては、まずオンライン英会話ではもはや寝っ転がって完全にリラックスした状態でもエフォートレスに会話が出来ている一方、クラス中の自分は「何を話そう、どう話そう、どのタイミングで話そう、、、、」と、日本の授業中に考えているときと同じことをしようとしていました。確かに日本語ほど慣れた言語であれば、複数の複雑な事柄を同時に考えながらでも言葉は出てきますが、英語ではそれが可能なレベルに未だ到達していなかったという点です。また、他のヨーロッパやインドネシア等から来た留学生と張り合って、やたら速いペースで喋ろうとしていた点です。「周りと合わせよう」という心理が働いていたのか、あるいは見栄を張ろうとしていたのかは分かりませんが、Week2では自分にあったペースで話すことに徹し、Week2の「Development Economics」では1週間前と比べ、飛躍的にアウトプットが改善したと感じました。スピーキングにおける基礎力を上げることはもちろんですが、やはり日本で培ってきたファンダメンタルはあるはずなので、それを如何にして引き出すか、それが語学面の課題を克服する一つのカギだと感じています。

私は4技能の中で最も苦手とするのがリスニングなのですが、こちらはマレーシアに来て確実な改善を感じています。まず単純に英語を聞き取ることの必要性が高まったので、聞き取ることに対するエンゲージメントが高まっているということは大きいです(日本だとつい歩きながらリスニングをしていても、途中からぼーっとしてしまってトレーニングの質が落ちてしまうということが多々あります)。また前述の通りマラヤ大学の学生は国籍や出身が非常に多様なので、全く違う英語を聞き取る機会が豊富にあります。こうした「異なる英語」を聞き取ろうとする内に、より細かな発音の差異などを認識出来るようになり、結果としてリスニング力が向上しているのだろうと思われます。よくスポーツのトレーニング理論でも、「300回バスケットボールのシュート練習をするなら、5m離れたところからのシュートを300回するよりも、3m、5m、7mを100回ずつ行った方が、5mのシュートの精度が上がる」といった話もあり、やはり多様な状況に対処した経験が効率的な能力向上に繋がっていると感じます。

リーディングに関しては特に問題は感じていませんでした。確かに「Gender and Development」で配布されたmaterialは中々難のある文章でしたが、和書でも難しいものは読むのに時間がかかることは同じで、基本スライドで表示された英文などもそこまで日本語と変わらず瞬発的に反応することが出来ています。日本にいたときから通学時間を洋書や英文のリーディングに充てており、またその内容も専門書や授業で紹介された書籍の原文、論文、また外資系コンサルティングファームのグローバル論考などを選んでいたため、特に日本語と変わらずこなすことが出来ています。寧ろこれだけ膨大なmaterialのリーディングが課されているため、これらをこなした後、自分のリーディング力が更なるレベルに到達出来るのではないかと楽しみです。海外大学院受験の関門とされるGMATでも、リーディングできちんと戦える次元に持って行けるよう取り組んでいきたいと思っています。

そして比較の問題ではありませんが、非常に重要性を感じるのがライティングです。リスニングも重点課題ではあるのですが、日本で勉強していたときからライティングはその能力の向上が、スピーキング力の向上に直結していると感じていました。他の3技能に関しては法政大学での2年半、毎日継続することが出来ていましたが、ライティングだけは長期休暇だけといった形で偏りがあり、明らかに4技能全てをトレーニングしている時期と、そうでない時期の英語力の向上度には差を感じていました。

マラヤ大学に来てTutorialやPresentationの準備などで頻繁にライティングに取り組む機会はありますが、レポート作成の際にどうしても日本語に頼る機会は少なくない上、ライティングのスピードにもビハインドがあると感じているため、「時間制限のある期末試験で、インターネットの使用が許可されない場合対処できるか」という課題感は大きいものとなっています。

対処法としては、マラヤ大学の電子図書館で公開されているPast Paperや、学習支援ポータルに昨年度の授業資料が掲載されているため、それらを用いて時間を計りながら事前にペース配分を掴んでいく、というものです。また期末のライティングがシャーペンによる筆記試験なのか、PCでタイピングして時間内に提出となるのか、というところも重要なので、事前にそこはLecturerから確認を取っておく必要があります。

4.その他の体験や変化

長々とお付き合い頂きありがとうございます。笑
既に十分書き切ったように感じますが、実は上記で書き切れていない貴重な体験がまだまだ沢山ありました。

最後に、いくつか簡単に紹介して今月は終わりにしようと思います。主にGEMが主催して下さったオリエンテーションのイベントや、MelakaやBatu Cave、ペトロナスツインタワーなどへの旅行、また現地で感じた、日本の存在感です。(以下月例報告書より抜粋)

まずオリエンテーションでは、クラスが始まるWeek1の前の週を丸々使って、毎日のように踊ったり、アクティビティを楽しんだりと、お祭りのような感じでした。この際、「自己紹介を各グループで行い、メンバーが好きなものや趣味などをリスト化して、メンバー全員の要素をそれぞれ1つずつ用いて起業アイデアを考え競う」というプレゼン企画があり、広告研究会での経験もあり、積極的に提案をし、メンバーの意見をまとめて企画を作ったところ、プレゼンの代表を務めることになり、早速400人以上いる留学生の前で目立つ機会を作ることが出来ました。

マラッカで行われた「Amazing Historical Hunting in Melaka」でも、「6つのお題にマラッカを巡りながら答えていき、その得点でグループごとに競い合う」という企画があり、チームリーダーを務めましたが、こちらは自分の英語でのコミュニケーション不足や、そもそもお題がなぞなぞクイズのようなもので、英語のなぞなぞが全く分からず、リーダーシップを発揮することが出来ませんでした。加えてお題の1つに、「マレーシアの童謡をグループで歌えるように練習し、道行く人を1人捕まえて、その人の前で歌を披露する」というものがありました。自分は元々プライドが高かったり、意見はしますが表現に対してはかなり殻に閉じこもっているところもあり、拒絶感のあまり一時activityを停滞させてしまいました(何とかやりきりましたが)。このときの体験は、「クラスが始まったとき、どのようにしてイニシアチブを取れるか」という課題をより強く認識出来たことと、「自分は自分で思っている程、オープンな人間ではないのではないか」という、思わぬ自分の側面と向き合うきっかけになりました。

一方一人暮らしをしているため他の留学生と接する機会は少ない方なのですが、鳥取大学から留学している友人の伝手で、KK10という寮にいるインドネシア人やパキスタン人と親しくなることが出来ました。Deepavaliでは観光地として有名なBatu Caveに彼らと行き、ここでも非常にオープンな彼らに引っ張られる形で、徐々に自分もオープンなれてきたような気がしています。

そして最後に、マレーシアで非常に強く、しかし日本にいたときとは異なった形で感じられる、日本の存在感です。前述しましたが、マレーシアは「ルックイースト政策」を提唱した国であり、その政策の是非については議論があるものの、今でも日本を目標、憧れとするような、何か特別な扱いがされているということは感じられます。例えばマラヤ大学の学生と挨拶をすれば、「こんにちは」「初めまして」と、日本語で自己紹介されたり(日本人でフランス語で自己紹介出来る方どれくらいいますかね?)、開発を学んでいるからこそ、新興国の代表としてインドネシア、インドを、経済大国として中国、アメリカを、そして経済大国だけでなく、先進国という文脈では、確実に日本が引き合いに出されます。

これを感じるのはマラヤ大学構内だけではありません。まず自宅周辺の工場や企業、商店を見ると、不思議なほど日本企業ばかりです(僕の自宅はダイキン、日立、パナソニックなんかに囲まれています)。スーパーや薬局、コンビニでもそうですが、取り敢えず小売店に入れば日本語と英語で書かれた日本のお菓子、日本と同じ洗剤や日用品、市販薬、化粧品などが確実に店頭に並んでいます(現地の人は日本語で成分表示なんて読めないはず)。「コンビニ」と言えば確かにマレーシアのKK24も一つの主流ではありますが、どの駅でもファミリーマートとセブンイレブンが見受けられ、KL内のモールでは大抵日本語でメニューが書かれたラーメン屋や寿司屋、居酒屋が見受けられます。アニメキャラクターと言えば日本の独占市場で、ポケモンや鬼滅の刃、ドラゴンボールなどが現地の様々なブランドとコラボをしていて、市内の広告で頻繁に見られます。特に面白かったのが到着4日目のことで、自宅から最寄りのモールで日用品の買い物をしようとしたところ、日本で言う「コミケ(コミックマーケット)」がなんとそこで開催されており、至る所に日本のアニメキャラクターのコスプレをしたマレーシア人が写真を撮っています(自分もマレーシアの銀さんとツーショットを取ってもらいました)。かの有名なペトロナスツインタワーのショッピングモールの最上階は紀伊國屋で、KL周辺で最大の商業施設であるサンウェイのピラミッドモールでも見渡す限りの日本ブランド。都市部に出た途端、一瞬日本かと錯覚するくらい、マレーシアには日本語が浸透しています。

所謂、日本がヨーロッパに対して抱いてきた憧れのようなものが、マレーシアでは日本に向けられている。そういう風に感じられるのです。日本の中心である東京駅周辺などは、確かに皇居や、少し離れれば浅草など、日本の伝統らしい地域や建造物も並んでいますが、それでも東京、大手町、日比谷など、最も洗練されたエリアはまるで教科書で見たドイツのようです。私は日本を離れる以前は、日本の現状や将来について疑問を感じ、日本に生まれたことを誇れるということは少なくとも出来ませんでした。しかしこうして一歩日本を出てマレーシアに来た途端、日本への見方が180度変わりました。確かに尊敬されている日本は、自分が生まれた国と同じもので、決してマレーシア人が抱く日本への期待値が日本の現状を上回っている訳ではないのですが、それでもやはり、僕が「日本だったらあり得ない」と感じることがあるのと同じように、彼らもまた「とても真似が出来ない」というような、日本文化に対するリスペクトを感じます。特にマラッカの旅行イベントの際には、80ヵ国以上の国籍を持った学生が留学しに来ているというのに関わらず、「この中で日本人はいるか?いたら立ってくれ」「君たちは日本のスターバックスでトイレに行くとき、どうする?荷物はそのまま置いていくだろう」「でもそれは日本でしか通じない。それは日本が築き上げた文化資本であって賞賛すべきだ。だから移動中は、どんな時でも手荷物を離さないように」と言われ、挙句organizerはその他の学生に日本人学生に対して拍手まで求めました。

以前、アメリカに留学した後ヨーロッパの国を20ヵ国以上渡り歩いた先輩から、「留学に行くと、日本はやっぱり出ていくべきだな、となる人と、やっぱり日本ってすごい、となる人に分かれる」と言われていました。僕は、少なくともマレーシアに来た限りは後者でした。しかしこれは国が違えば感想は違っていたということは多いにあり得る訳で、だからこそ、マレーシアだけで終われせる訳にはいかないなと考えています。東南アジアの中心にあるマレーシアだからこそ、まずは周辺の東南アジアの国々を留学期間を使って巡り、次に帰国後は、ヨーロッパ、アラビア半島、北アフリカ、北米など、もっと世界中を見て回る必要があるなと思っています。


Batu Caveで撮影した写真。インドネシア、パキスタン、ウズベキスタン、フランスなど、多様な国籍のメンバーでの1枚。
遠目から見ると階段の急さや黄金像の巨大さに圧倒される
洞窟内部にはヒンドゥー教の祭壇が。この日はDeepavaliというヒンドゥー教の正月に訪れた。
町全体が世界文化遺産に登録されているマラッカ。「水の都」を彷彿とさせる。
オランダ、ポルトガルによる占領の歴史があるマラッカ。国教をイスラム教としながら、地域によってキリスト教の存在感も色濃く残る。
マラッカのナイトクルーズに乗る前に愛すべきYong Kangと撮影した写真。
ナイトクルーズからの一枚。ディズニーのクルーズでは超えられない体験だった。笑
世界3大夕景と言われるマラッカ海峡モスクでの写真。
到着4日目に最寄りのモールで出会ったマレーシアの坂田銀時

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