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離婚してください

夫婦のなんだかんだは外からは見えぬもの。
どちらか一方の話しを聞いたところで真実など分かりはしない。
そもそも見え方など見る角度によって、見る立場によって違うのが当たり前。
ただ私にとっての真実として、離婚までの歩みを私の視点で記録して行けたらいいなと思う。
同じ思いの決断に迷う誰かの勇気になればいいなと願う。


10年越しの第一歩

2021年8月31日
別居から10年
周りからは「遅すぎる」と言われたけれど、がむしゃらに働いてきたので気がつくと10年…そんな感じ。

ようやく離婚への第一歩として行政書士さんへ相談…からの正式な依頼。
親権問題なし、養育費なし、家もいらない、お金もいらない。
表面だけ見ると簡単そうに見えてしまうけれど、見えないところに問題は隠されているのです。
私は夫の連帯保証人であり、夫の会社の役員でもあり…何より夫は離婚を拒否しているのです。

「時間はかかるかも知れません。それでも人生はまだまだ長いのですから、ひとつずつ片付けて行きましょう。」

家庭内別居から別居へ

2011年(平成23年)12月28日
家庭内別居の状態になって数年…クリスマスも過ぎ、お正月を迎えようかというこの日。
仕事から戻ると私のデスクに1枚のメモ
〝婚姻費用〟の請求書でした。


おそらく(憶測)当時の会社の顧問弁護士に相談して知恵を頂いたのだろうと思う。
もろもろの生活費250,000に食費をプラス。
毎月の負担額は15万円といったところ。
支払い能力がないかと言えばそうでもない。
当時の私は平日は会計事務所で入力業務。土日はモデルハウスのお留守番パート。夜はスナックでアルバイト。手取りにして20万円前後だったと思う。

どうしたものかと思案していると、16歳の娘が言った。
「お父さんにこれだけ支払うなら、お母さんと私のお給料があればアパート借りて生活できるよ。」
18歳の長男が言った。
「それは、お母さんのわがまま。お母さんが我慢すれば済むだけのことやん。」
13歳の次男は行った。
「俺はどっちでもいいよ。お母さんの好きにしたらいい。」

私は我慢することを選ばなかった。
年明けの1月6日には賃貸契約書にサインし、15日には、背中を押してくれた娘とともに新居へと移動した。
長男は最初から家を出る気はなかったけれど、中学生だった次男が転校をすることがないようにと校区内の3LDKを準備したけれど、次男もまたあっさりと「俺はいい!」と引っ越ししてはこなかった。
次男は言う。
「オヤジと住んでも困ることないし、お母さんとは普通に会えるけど、お母さんと暮らしたら、俺、オヤジに用事ないんよねぇ。」
「兄貴には彼女がおるし、お母さんには姉貴がおるやん。俺まで出て行ったらオヤジ本当に1人やん。」
彼なりの思いやりを母親だからと反対することはできない。
子どもに辛い決断を強いてしまう。
それが離婚するということなのだから、中途半端な思いで別居に踏み切れるものではありません。
子どもたちに背中を見せられるような生き方をしなければ申し訳ない。

こうして、長い家庭内別居から抜け出し、正真正銘の別居となり、私は娘と新たな道を歩み始めたのです。

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