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「ルフェーブル大司教は、教会に対する素晴らしい忠誠心をもった聖なる人である」(2022年8月29日)

ヴィガノ大司教は、ルフェーブル大司教による1988年の司教聖別について、「全時代のミサ【聖伝のミサ】を守るために不可欠なもの」だったと示唆した。

私たちが沈んでいる世俗的・教会的危機を、人間の手段で解決することは不可能です。人間はまず、天主にして王である私たちの主イエズス・キリストの前にひざまずかなければなりません。各国や各民族は、主の主権を認め、教会は、簒奪者たちが王から奪った王冠を、真っ先に王にお返ししなければなりません。私たちの心の中心に、そしてすべてのものの中心に、キリストを、アルファでありオメガであるお方を戻しましょう。まず天主の国とその正義を求めましょう。そうすれば、残りのものもすべて加えて、私たちに与えられるでしょう。

カルロ・マリア・ヴィガノ大司教

2022年8月29日(月)―米東部標準時夏時間午前11時56分

【編集者注】以下は、2020年8月14日にフランスで開催された夏季大学「チヴィタス」(CIVITAS)でヴィガノ大司教が行った講演の最後に行われた質疑応答です。講演の全文はこちらでご覧いただけます。

親愛なる友人の皆さん、今回、皆さんの夏季大学に参加する機会を与えてくださったことを大変うれしく思っております。チヴィタスの兵士の皆さん、会長のアラン・エスカーダさん、事務局長のレオン・ピエール・デュランさん、チャプレンのジョゼフ神父様、そしてレジスタンスのカプチン会士の皆さんに、心からご挨拶できることを大変光栄に思っております。

私たちの主イエズス・キリストの社会的統治の再確立のために戦い、メーソン寡頭政治やダボス・セクトと戦うことによって、チヴィタスは、ゴリアテに対するダヴィドのように、私が心から呼びかけた反グローバリズム同盟の戦いの中心に自らがいることが分かっているはずです。

フランスの例に続き、スイス、ベルギー、イタリア、カナダ、スペインでもチヴィタスが設立されたことを知って、ただただ喜ばしく、同じ取り組みが全世界に広がることが強く望まれると思っております。今こそ、世界中のカトリック信者が団結して、グローバリストの専制に対抗する共同戦線を形成する時です。

岩の上に建てられた家は、カトリック教会であり、キリスト教文明です。それはまた、聖レミギウスによってランスで洗礼を受け、フランク王クローヴィスの戴冠式の日に、玉座と祭壇の同盟で建てられたフランスです。

私たちの主イエズス・キリストの社会的統治以外に、天主と和解し、天主を敬う社会、また使徒たちから受け、聖なる教会によって何世紀にもわたって忠実に伝えられてきたカトリック信仰を公に告白する社会以外に、私たちの時代の悪に対する救済策はあり得ません。

これこそが真の反革命である。

親愛なる友人の皆さん、キリスト教を守り、私たちの主イエズス・キリストの社会的統治を推し進めるために、殉教者たちの模範を皆さんの心に留めてください。これらの殉教者たちは、教会と社会と人民の未来をその血で豊かにしました。平和の君なる王たるキリストが統治なさらないところには、公正で豊かな社会はあり得ません。キリストの平和は、キリストの御国においてのみ存在し得るからです。Pax Christi in Regno Christi.(キリストの御国のおけるキリストの平和)。

デュランさんが私に知らせてくださいました。皆さんが私に質問なさりたいことは承知しております。

【質問】大司教様、第二バチカン公会議は60年以上前に、典礼の破壊は50年前に、アッシジはほぼ30年前に起こりました。すべてが破壊され、忠実なカトリック信者が軽蔑され、不当に非難された60年間にわたる宗教と政治の大惨事の後、大司教様は80歳で、断固とした反公会議派になっておられます。なぜ今になって行動を起こされているのでしょうか。

【回答】

カトリック教会を苦しめている危機と現在の背教の深い原因に対する私の斬新的な認識の旅がどのようなものであったかは、すでに過去の介入において証言する機会を得ました。そのとき申し上げたように、私の仕事は聖座の外交官でした。(最初は若い書記官として、イラクとクウェートの教皇使節、次にロンドン、国務省、その後、欧州評議会のストラスブール代表部のトップとして、その次はナイジェリアの教皇大使として、その後、再び、国務省で教皇使節代理として、次にバチカン市国行政庁次官として、最後は駐米教皇大使として勤務しました)私の仕事――前述しましたように――聖座への奉仕は、私の時間と力のすべてを捧げて懸命に実行しようとしたため、私の時間を完全に奪ってしまい、教会で起こっていた出来事について深く考えることが事実上不可能になりました。

しかし、このことは、公会議後に導入された「新奇なもの」に対して、私が内心で強い当惑と批判を抱くことを妨げるものではありませんでした。私が考えているのは、特に、深刻な典礼の濫用、修道生活の危機、アッシジのパンテオン、十字軍の赦しを求める嘆かわしい要求、例えば二千年の聖年のときでした。また、ローマのグレゴリアン大学の若い学生として感じたことも思い起こしています。私は、これらすべてが、公会議が設定した新しい原則に由来するものであると感じていました。

しかし、ずっと後になって、当時のマカリック枢機卿と彼の同性愛ネットワーク全体の重大なスキャンダル、そしてベルゴリオのさらに深刻なスキャンダルに直面して、教理的腐敗と道徳的腐敗の本質的なつながり、また、教会で何十年も続いている危機の深い原因が、公会議革命によって生じたことが、私にとって明らかになったのです。

ですから、私は黙っていられなくなったのです。

この大惨事は最初から予見できました。しかし、これまで説明してきたように、私たちは、司祭職の養成、さらには外交官としての養成において、教皇とカトリックの位階階級全体が、私たちの主が教会に意図なさったものとは反対の目的のためにその権威を行使することで濫用するなど考えられないと思うように訓練されていたのです。私たちは、長上の権威を疑ってはいけないと教えられてきました。そして、このことは、まさに私たちの従順とキリストの教会への愛を利用して、ゆっくりと、一歩ずつ、特にエキュメニズムと信仰の自由に関して、聖なる教会が常に教えてきた教理とは異なる新しい教理を受け入れるように私たちを導いた人々によって利用されたのです。

さらに、教会においてディープ・チャーチが、教会組織の解体に向けて徐々に広がってきたように、世俗的領域においてもディープ・ステートが、専制的形態を持つ新世界秩序、世界経済フォーラム、アジェンダ2030に到達する段階的な浸透を通じて、私が同様の方法と呼びたい方法で拡大してきたのです。

この場合にも、こう問うことができるでしょう。「なぜ市民は、共通善のために奉仕すべき団体を破壊するために権力を握った扇動的な人々による国家の転覆に反抗しなかったのだろうか」。

多くの人はこう答えるでしょう。「私たちを不道徳なシステムの奴隷にしようという、彼らの倒錯した設計、彼らの計画など想像もつかなかった。彼らが民主主義や人民主権について語るとき、根本的に反キリスト教的な全体主義的権力に私たちを徐々に服従させようと望んでいるとは信じられなかった」と。

昨日、私が進行中の革命的プロセスの本質を理解していなかったという事実は、弁解の余地があると考えています。一方、今日、理解していないということは、無責任であり、世俗的なことでは世界クーデターの共犯者、教会的な領域では背教の共犯者になるのだと思います。

ですから、私たちよりもずっと前に、預言者の声で、世俗社会とカトリック教会の両方に対する脅威について警鐘を鳴らした人々に感謝しましょう。

【質問】大司教様、ありがとうございます。二つ目の質問をさせていただきます。ルフェーブル大司教と彼の闘い、特に最も議論を呼んだ1988年の司教聖別についてどう思われますか。

【回答】

私はルフェーブル大司教を、その忠実さと勇気に感嘆し、多くの感謝をもって見つめることしかできません。その勇気と忠実さは、多くの逆境や敵意、また近代化の思想に支配され、前例のない毛細管を破壊するほどのプロジェクトを支持するメーソンによって浸透された位階階級の側の執拗さに直面しても揺らぐことのないものであり、私たちは今日、その破壊の範囲を、その極端の結果で自覚しています。

ルフェーブル大司教は、離教者ではなく、聖なる人として、熱烈な宣教師にして信仰の告白者、聖伝や司祭職、カトリックのミサの熱心な擁護者としてみなされなければなりません。彼は、人間よりも天主に従うこと、近代主義の教理を受け入れるよりも聖伝を守り伝えることが正しいと考えたため、破門に至るまで、破門も含まれる厳しい制裁に身をさらしたのです。

彼の人生は、敬虔さ、犠牲の精神、義務感、良心の正しさ、そして偉大な内的一貫性によって特徴づけられています。彼の人生は、天主と教会に捧げられた人生であり、霊魂の奉仕、福音宣教、健全な教理の指導と説教、聖なる犠牲の挙行、そして司祭に召された若者の養成に捧げられた人生です。

使徒たち、教皇たち、諸公会議、聖なる信仰の博士たちによって私たちへと受け継がれ、殉教者たちがその血を流した信仰の堅固さを全面的に証しする人生です。

1988年の聖別を「行き過ぎた行為」と考える人もいますが、全時代のミサ【聖伝のミサ】を保護するために絶対に必要なものであると認識している人々もいます。

ルフェーブル大司教は、私たちが生きている時代の緊急性と、近年悪化していて、新たな重みを帯び、私たちが置かれている例外的な状態をさらに明白にしている劇的状況を把握していたのです。

不従順と言う人がいますが、私たちは忠実と言います!

マルセル・ルフェーブル大司教は、聖なる教会が常に実行し、教えてきたことを教え、実行し続けました。彼は自由主義、ミサと教会の典礼建築全体の破壊、司祭職や修道生活、キリスト教道徳の破滅に反対しました。

繰り返します。不従順と言う人がいますが、私たちは忠実と言います。

【質問】大司教様、ありがとうございました。最後の質問です。その後、大司教様の最後のお言葉をいただきたいと思います。大司教様、大司教様がおっしゃった反グローバリズム同盟のプロジェクトについて、また、具体的にはどのようにすれば参加できるのかについて、手短に説明していただけますか。

【回答】

反グローバリズム同盟は、私が昨年11月に立ち上げた呼びかけであり、歴史における今の時期に、全人類に重くのしかかる非常に深刻で前例のない脅威を意識したものです。また、非人間的で反キリスト教的な新世界秩序を確立するために、非常に強力なエリートによって画策された世界規模のクーデターに対抗するために、あらゆる場所で抵抗戦線を構築することが緊急の課題であることも認識したものです。

私は、一つの運動の指導者になるとか、その運動の組織を引き継ごうというそぶりを見せたことは一度もありません。種まく人のように、私は四方八方に種をまき、その種が賢明に集められ、実を結ぶようにしました。私には、その発芽の状態を推し量ることはできません。

現在の状況は、各国のレベルでも、国際的な場面でも、非常に流動的で、陰鬱で、読み解くのが困難です。私たちはただ、心の中で待ち受けている出来事に備え、天からの天主のご介入を願わなければならないということを知っているだけです。

ただ一つ確かなことは、私たちが沈んでいる世俗的・教会的危機を、人間の手段で解決することは不可能だということです。人間はまず、天主にして王である私たちの主イエズス・キリストの前にひざまずかなければなりません。各国や各民族は、主の主権を認め、教会は、簒奪者たちが王から奪った王冠を、真っ先に王にお返ししなければなりません。私たちの心の中心に、そしてすべてのものの中心に、キリストを、アルファでありオメガであるお方を戻しましょう。まず天主の国とその正義を求めましょう。そうすれば、残りのものもすべて加えて、私たちに与えられるでしょう。

【デュラン氏】大司教様、ありがとうございます。少し残念なのは、会場の人々と、本物の司教が話しかけてくださり、教会の永遠の真理を再び語ってくださったのを彼らが聞いた喜びを、大司教様にご覧いただけなかったことです。ここにいるカプチン会士、アブリエのドミニコ会士、そして私たちと一緒に来ているモーガン神父に代わって、改めてお礼を申し上げます。大司教様、今までありがとうございました。最後にもう一度、私たちのためにしてくださったことすべてに、個人的にお礼を申し上げます。

【ヴィガノ大司教】

親愛なるデュランさん、私も非常に残念なのは、フランスの第一の保護聖人である童貞聖マリアの被昇天祭の前夜に、皆さんが集まって、童貞聖マリアに感謝を捧げ、共に祈っておられるこの幸せな機会に、皆さんのお姿を拝見できず、とりわけ皆さんとご一緒できなかったことを大変残念に思っております。ですから、私たちの希望の祈りを新たにし、私たちのまなざしを天のものへと向けましょう。地獄の竜の頭を足で踏み砕く太陽をまとった婦人、童貞聖マリアの母としてのご保護と御取り次ぎに支えられれば、私たちはさらに強い力と勇気、そして謙虚さと信頼をもって、この世の戦いに耐え抜くことができるのです。ですから、私は喜んで皆さんを祝福します。Benedicat vos omnipotens Deus Pater et Filius et Spiritus Sanctus.(全能の天主が皆さんを祝福し給わんことを。聖父と聖子と聖霊との御名によりて。)アーメン。

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