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ヴィガノ大司教、「任務を解かれた司祭連合」を支援して語る(2021年6月24日)

【訳者注】
アメリカでは、カトリックの教えに忠実であろうと堕胎や同性愛に関してカトリックの教えを説教台から伝える司祭たちが、職を解かれたり、左遷させられたりしています。

特に「カトリック信者」のバイデンは、大統領選挙キャンペーンで、堕胎を押し付けたり同性愛を促進させることを公約としており、そのような政策を支持して「バイデンのためのカトリック信者」という支援団体もできました。

一部のカトリック司祭たちはそれに反対してカトリックの教えを発言しました。罪のない胎児たちのを虐殺することを許すような法律を立法する「カトリック」の政治家たちには、御聖体拝領を禁止すべきだと主張しました。

しかし、残念ながら、最近61名のアメリカの司教たちは、そのようなことを話すことにさえ反対の声明を出しました。ところが、一部の神父たちは、司教たちのそのような態度にもかかわらず、不当な取り扱いを受けるにも怯まずに、カトリック聖伝の教えを教え続けることに躊躇しませんでした。そのような神父たちを支援するために、信徒たちが動きだしました。

ちょうど50年前に、カトリック教会内部の典礼革命に抵抗して、聖伝のミサをやり続けた司祭や司教たちを守ろうと、信徒らが支援したことに似ています。

第二バチカン公会議の幻想から目を覚ましたヴィガノ大司教は、そのような「任務を解かれた司祭連合」を支援して、以下のようなメッセージを出しています。そのメッセージを、ここでは参考情報としてご紹介いたします。

【カトリック・ファミリー・ニュースによる編集者注】カトリック・ファミリー・ニュースは、「任務を解かれた司祭連合」(the Coalition for Canceled Priests)の以下のプレスリリースと、それに続いて、平信徒によるイニシアチブを支援するカルロ・マリア・ヴィガノ大司教の声明を掲載して支援することを光栄に思います。同イニシアチブの原則とミッションはこちらで見ることができます。

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プレスリリース【イリノイ州ロンバード2021年6月24日】前駐米教皇大使でバチカン内部告発者のカルロ・マリア・ヴィガノ大司教は、自分たちの司教から理由なく迫害されている忠実なカトリック司祭たちへの支援の以下の手紙を発表しました。敬愛する高位聖職者からいただいた突然のサプライズ通信は、2021年6月24日(木)にイリノイ州ロンバードのカーライル・バンケットで行われた千人を超す大規模な募金活動の中で読み上げられました。

ヴィガノ大司教の発言は次の通りです。

教会の不変の教導権と由緒ある使徒の典礼への忠実さゆえに自分の長上から迫害を受けている司祭たちを擁護するために、皆さんがジェームズ・アルトマン神父様とともに参加なさっている賞賛すべき取り組みのニュースを聞き、非常に満足しています。

私は、このプロジェクトに対する皆さんと皆さんの協力者を心から励ますことができますし、このプロジェクトが、多くの忠実な信徒の間で寛大な支持が得られること、またおそらく聖職者の間でも良き兄弟がいるであろうことを願っています。位階階級が深刻な逸脱をする時代に、信徒の関与は不可欠であり、非常に重要です。それは、尊者フルトン・シーン大司教の預言的な言葉を具体化するものです。彼は、終末の時代について語る際に、聖なる教会の救いがどのように達成されるかを思い起こしました。御子の御前での教会の母(Mater Ecclesiae)の御取り次ぎによることはもちろんのこと、それ以外にも、信徒の勇気ある貢献によってです。

この背教の時代には、反抗的なドイツの司牧者たちの、そして世界中の他の多くの司牧者たちの事実上の離教が、教会の最高レベルを占める傭い人たちによって罰せられないばかりか、ほとんど奨励されているようにさえ見えています。迫害されている司祭たちの物質的な必要性を支援し、祈りと、歴史の流れの中で常に福音の新しさを明確に証明してきた愛徳の具体的な行いによって彼らを支える準備ができている良き人々のこの目覚めを目撃することは、大きな慰めとなります。

忘れてはならないのは、かつて聖なる役務者たちがその生き方や世に示した模範のために尊敬されていた時代があったとしても、サタンはも、人々の中でも自分が最も恐れを抱いている人々(聖職者たち)に対して憎しみを解き放つのを決してやめなかったということです。なぜならば、人類の敵の敗北を決定づけた天主のいけにえが、私たちの祭壇の上で血を流さない形で更新されているのは、司祭のおかげだからです。

永遠の大司祭である私たちの主は、その聖なる役務者たちを祝福してこう言っておられます。「私のために、人々があなたたちをののしり、あるいは責め、あるいは数々の讒言を言うとき、あなたたちは幸せである。喜びに喜べ、あなたたちは天において大きな報いを受けるであろう。先人の預言者たちも同じように迫害された」(マテオ5章11-12節)。このように、迫害は、キリストの模範にならって、司祭職の犠牲的な性質をはっきりと示すものです。つまり、犠牲を捧げる者は、同時にいけにえでもあり、天主の御稜威(みいつ)への捧げ物でなければなりません。

今日、迫害者の中に、教会からかけ離れた天主の敵だけでなく、主がご自身の群れを守るために牧者として置かれた人々までをも私たちが数えなければならないのは、悲しむべきことです。彼らの責任の大きさに比例して、さらに厳しい罰が待っていることを考えると、私たちは震え上がります。キリストの御名のもとに権威を与えられた人々が、無実の人々に残酷に怒り狂い、罪を犯した人々とのつまずきとなる共犯関係を見せているからです。

親愛なる信徒の皆さん、皆さん全員にお勧めするのをお許しください。良き司祭に対するこの真の身体的・霊的なあわれみのわざに新たな熱意をもって取り組むだけでなく、悪しき牧者たちや、善業を行いカトリックの真理を説く人々を、権威を濫用して迫害する人々の回心のために「よい折りがあろうとなかろうと(opportune importune)」(ティモテオ後書4章2節)祈り、償いと犠牲を捧げてくださいますように。キリストの群れから迷い出た多くの人々が戻ってきて、心を入れ替え、主とその聖なる教会に対して犯した裏切りを認識することは、私たちが望むことのできる最大の勝利であり、司祭の母である至聖なる童貞がその勝利を私たちに与えてくださるよう確信をもって請い願うのです。

私は皆さん全員の上に、また特に、追放され、軽蔑され、共同体から疎外され、不正な制裁を受け、評判を傷つけられた私たちの愛する司祭たちの上に、主の最大の祝福を祈ります。

皆さん全員が、私の祈りと司祭としての心に特別な場所を持っていることを知っておいてください。

大司教カルロ・マリア・ヴィガノ

2021年6月24日
洗者聖ヨハネの誕生日

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