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最近のインタビューで、ヴィガノ大司教は教会と国家の危機の診断を続ける(2022年4月11日)

主はその恩寵で私たちを助けてくださるでしょうが、私たちに自分の役割を果たすよう求めておられます。私たちがキリストと共に戦うなら、キリストと共に勝利を祝うことができます。私たちがどちらの側にもつかず、さらに悪いことにサタンの側につくなら、サタンとともに私たちは奈落の底に落ちることになるでしょう。

ブライアン・マッコール 2022年4月11日

カルロ・マリア・ヴィガノ大司教は最近、イタリアのテレビチャンネル「カナレ・イタリア」(Canale Italia)のインタビューを終えました。以下は、イタリア語のインタビューへのリンクと、ヴィガノ大司教から提供していただいた書き起こしの翻訳です。

IN ESCLUSIVA: Intervista a Mons. Carlo Maria Viganò | Piazza Libertà - Canale Italia

インタビューの全体的なテーマは、大司教が過去4年間の多くの公開の介入で取り上げてきたいくつかのテーマを発展させたものです。教会と国家における今日的な問題を、大司教は、最終的に「この世の君」(ヨハネ12章31節、14章30節、16章11節)のために働く工作員が教会と現世の政府へ浸透したという形式を持つ大革命という文脈に位置づけています。

教会内においては、教会を復興させるための究極の問題にしてつまずきの石は第二バチカン公会議である、と大司教は明確にしています。大司教はインタビューの冒頭で、マルセル・ルフェーブル大司教が公会議の破壊的本質を見抜き、また公会議の大失敗を非難しようとしたことを賞賛しています。

ヴィガノ大司教は、位階階級のすべてのメンバーが、潜入者たちと積極的に共謀しているわけではないと区別しています。しかし、彼らが公会議への愛着を断ち切ることができないため、教会の瓦解に対する彼らの反対は結局は効果がないということを指摘しています。大司教は、こう説明しています。

位階階級の健全な部分は「それにもかかわらず、現在の背教のイデオロギーの前提を受け入れています。なぜなら、彼らは、公会議と、その誤謬を大衆に伝える新しい典礼を受け入れているからです。彼らは、教会が屈することを望んではいませんが、すべての証拠に反して、また60年間の失敗の後、自分を欺いているのです。つまり、彼らは、公会議が間違って解釈されただけだと考え、また、新しいミサの捧げ方はひどいものだが、典礼に一定の尊厳を取り戻すことができると考え、さらに、エキュメニズムは(東方)正教会とだけなら良いが、偶像崇拝者とはだめだと考えているのです」。

また、大司教は、2013年のコンクラーベと、根強く続いている深刻な不正の疑惑に関する最近の論評をさらに明確にしています。ベネディクト十六世が今でも教皇であるという著者アントニオ・ソッチの論文を支持する機会を与えられたものの、ヴィガノ大司教はこの立場を受け入れていません

大司教は、教皇ベネディクトの退位とそれに続くコンクラーベをめぐるこれらの根強い疑問のすべてが「広がり、信者の間に動揺や混乱、分裂を引き起こしている」と指摘するだけです。

ソッチとは異なり、ヴィガノはベネディクトが教皇であるとは宣言していません。大司教は、バチカンとコンクラーベに参加した枢機卿たちが、異常なほど沈黙していることを指摘しています。教会の秘密保持義務は、教会を守るためのものであり、不正や腐敗を隠すための道具ではないことを、関係する高位聖職者たちに思い起こさせています。この意味で、大司教は模範を示したのです。大司教は、平時に適用される守秘義務を、教会の浸透と解体に沈黙で協力する口実に使うことはできないことを理解していたのです。このため、大司教は沈黙を破り、セオドア・マカリックらの腐敗を明らかにしました。

最後に、バチカン市国の統治における腐敗を明らかにする仕事と、教皇庁の高官によって自分がその仕事から組織的に排除されたことについて、大司教はさらに詳しく説明しています。大司教の説明によれば、財務汚職の摘発と是正を阻止するために、大司教は駐米教皇大使に昇格させられたようです。しかし、大司教はこの「クーデター」を苦々しく思うどころか、むしろこの教皇大使への任命は御摂理的なものであると見ています。大司教は、米国とのつながりを非常に重視していることを明らかにしています。

このインタビューは非常に啓発的であり、教会と国家への浸透を懸念しているすべての人は、(イタリア語で)動画を見るか、文章全体を読むべきでしょう。

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2022年4月2日、テレビチャンネル「カナレ・イタリア」のために、アルマンド・マノッキア博士に対してカルロ・マリア・ヴィガノ大司教が行ったインタビューの翻訳。

【問い】第二バチカン公会議(1962―1965年)を皮切りに、カトリック教会内へのフリーメーソンの浸透はますます実体を見せてきました。進歩主義と相対主義は、聖伝への忠実さを弱めるための武器として採用されました。ですから、1988年にヨハネ・パウロ二世から"破門"されたマルセル・ルフェーブル大司教は、カトリックが奈落の底に落ちていることを感じていたのでしょうか?

【ヴィガノ大司教】間違いありません。ルフェーブル大司教は、「公会議革命」の破壊的な性質を理解し、それを糾弾しようと望んでいた数少ない、非常に数少ない高位聖職者たちの一人でした。また、私が「(糾弾しようと)望んでいた(高位聖職者たち)」と言ったのは、他にも多くの高位聖職者たちが、本当の革命が進行中であることを理解していたからです。その革命を危険だとみなす人々もいれば、「教会の春」とみなす人々もいました。しかし、危険だとみなしていた人々の中で、その革命を公然と糾弾する方法を知る人はほとんどいませんでした。今日、私たちは、ルフェーブル大司教が、公会議の「政治局」(politburo)の命じる路線に反抗し、教会が全時代の教理と聖なるミサに立ち返るための前提を作り出したという、歴史的な功績を理解しています。

【問い】「ザンクトガレン・マフィア」は、教会における「世界経済フォーラム」のようなものなのでしょうか?

【ヴィガノ大司教】世界経済フォーラムを、市民の意思に反してグローバリズムのアジェンダ(行動計画)を押し付けるために、自らの信奉者を国家の公的機関や国際的な公的機関の重要ポストに配置した私的なロビー団体とみなすならば、確かにザンクトガレン・マフィアと同様のものだとみなすのが適しています。

同じように、この陰謀団は、ローマ教皇庁や教会の周辺機関にも代理人を配置しましたが、それはちょうど、信者の意思に反して公会議のアジェンダを押し付けたようにです。しかし、世俗的な領域に世界経済フォーラムだけしかないわけではないように、教会の領域にもザンクトガレン・マフィアだけしかないわけではありません。

私たちは、世俗社会と教会の双方を巻き込んだ世界的なクーデターに直面しているところです。両者とも、自らの権力とその権力に由来する権威を、自らが統治している組織の目的のためではなく、その組織を破壊するために利用する人々によって浸透され、支配されています。この権威の危機を糾弾しなければなりません。なぜなら、国家と教会の両方で最高レベルの指導層に到達した人々の行動が、破壊的かつ犯罪的な行為であるからです。

【問い】アントニオ・ソッチは著書「Non è Francesco」(彼はフランシスコではない)で、教会法の観点から、フランシスコの教皇座への選出は正規の方法で行われておらず、2013年のコンクラーベは非合法である、と主張しています。これについての大司教様のお考えは、いかがでしょうか?

【ヴィガノ大司教】アントニオ・ソッチが再構成したものは、ベルゴリオに非常に近いエリザベッタ・ピケ【イタリア生まれのアルゼンチンのジャーナリスト】や、オースティン・イヴェレイ【英国人ジャーナリスト】が漏らしたことに従ったものであり、明確な証拠に裏付けられていないとしても、もっともなように思えます。しかし同時に、その再構成したものはこれまで聖座によって否定されたことがなく、そのため、ベネディクト十六世の辞任とコンクラーベにおけるザンクトガレン・マフィアの工作に関する憶測が広がり、信者の間に動揺や混乱、分裂を引き起こしています。

数え切れないほどの問題にバチカンが介入していることを思えば、このような重要な問題に対してバチカンが沈黙していることには当惑を覚えます。あのコンクラーベに参加した枢機卿たちが沈黙していることに対する困惑は、さらに大きいものです。教会の教皇に関する秘密保持義務(pontifical secret)に訴える者もいますが、使徒憲章(Universi Dominici Gregis)が規定する規範に違反して、教皇の選出が無効となる可能性があるのですから、この長期にわたる沈黙を正当化する理由は何もありません。

私が信頼できる情報源から得て知っていることは、ジョヴァンニ・バッティスタ・レ枢機卿――彼は、枢機卿会の次席枢機卿として2013年のコンクラーベの議長を務めました――が個人的に質問を受け、選挙当日の夕方、コンクラーベが3度目の投票検査に進んだ根拠は、使徒憲章「ウニヴェルシ・ドミニチ・グレジス」(Universi Dominici Gregis)のどの条項かと尋ねられた際、回答を拒否し、強い調子で怒りながら、すべてが規則に従って行われた、と主張した、ということです。

遅かれ早かれ、真実は明らかになるでしょうから、教会に対してなされた非常に深刻なダメージを糾弾して、修復しなければならなくなるでしょう。

【問い】カトリック教会は、これまでしばらくエキュメニズムに没頭してきており、グローバリストの寡頭制が認可するように提唱する論理に沿って動いてきましたが、今日では、単一の宗教、つまり、一神教の教理と、アンデスのパチャママ・カルトのような異教徒の信仰を混ぜた、一つの習合主義宗教(syncretism)の創造を目指しているように思われます。これは【教会を殺そうとする】殺人行為、というか、あるいは、これはむしろ【教会の】自殺しようとする振る舞いなのでしょうか?

【ヴィガノ大司教】両方です。一方では、位階階級の腐敗した部分――簡潔のために、私はこれをディープ・チャーチと呼んでいます――はサタンに従属しているため、キリストの神秘体としての教会を憎んでおり、教会のかしら【であるキリスト】にかつて起こったように、教会を殺そうとするのです。しかし、キリストが復活なさったように、キリストの神秘体も、受難の後に復活させられることを私たちは知っています。ですから、その通りです。悪魔に仕える者たちは殺害作戦を実行するのですが、彼らは狂気に陥っており、失敗に終わる運命にあります。

一方、位階階級の健全な部分は、大部分が司教や聖職者なのですが、それにもかかわらず、彼らは、現在の背教のイデオロギーの前提【第二バチカン公会議の新しい考え】を受け入れています。なぜなら、彼らは、公会議と、その誤謬を大衆に伝える新しい典礼を受け入れているからです。彼らは、教会が屈服することを望んではいませんが、すべての証拠に反して、また60年間の失敗の後、次のように自らを欺いているのです。つまり、彼らは、公会議が間違って解釈されただけだと考え、また、新しいミサの捧げ方はひどいものだが、典礼に一定の尊厳を取り戻すことができると考え、さらに、エキュメニズムは(東方)正教会とだけなら良いが、偶像崇拝者とはだめだと考えているのです。

しかし、もし彼らが、"危機は第二バチカン公会議で始まった"と確信していないのなら、また、"この惨事を引き起こしたのは公会議であり、それを改善するためには、公会議以前に存在していた信仰、道徳、典礼に戻る必要がある"と理解していないのなら、彼らは知らず知らずのうちに、問題の一部になっているのです。

彼らは、善意は持っているのですが、あらゆる方面からの攻撃に直面しているときに戦わないので、危機の解決の障害となってしまう穏健派の部分を代表しています。彼らが、公会議と、ディープ・チャーチの世俗化されたメンタリティーを支持していることで、彼らの振る舞いは確かに自殺しようとしているかのように見えます。

【問い】ベルゴリオは、「無原罪の聖母のフランシスコ会」(Franciscans of the Immaculate)、「福音の使者会」(Heralds of the Gospel)、「贖い主の御母マリアの小さき姉妹会」(Little Sisters of Mary Mother of the Redeemer)など、最も伝統的な修道会に対して警察のように規制しています。彼はおそらく本物の召命に対してアレルギーがあるのでしょうか、それともこれらの修道会の財産は誰かにとって魅力的なのでしょうか?

【ヴィガノ大司教】サイコ・パンデミックで起きた経済危機、教会の閉鎖、ベルゴリオと司教たちの活動に対する多くのカトリック信者の嫌悪感によって、教会が信者の献金や寄付の激減に苦しんでいる時に、少しでもお金や不動産を集めることは、悲惨なバチカンの財源を膨らませるのに便利な方法であることは明らかです。

しかし、その本当の理由、つまり、ベルゴリオの教会のあらゆる行動の動機となっている理由は、聖伝に対する執拗な憎悪なのであって、その雄弁な現れが、観想修道会と保守的な修道会なのです。これらの近代主義者の怒りを想像してみてください。最も進歩的な共同体が死に絶え、修道会が召命の危機と修道生活を放棄した多くの人々の喪失の中で消滅しつつあるのと同時に、規律、創立者の規則への忠誠、真の清貧、苦行、黙想の精神、トリエント典礼といったもののある修道会や団体では、再び繁栄しているのを目撃したのですから。

このことはすべて、彼らの失敗を明らかにするものであり、したがって、それは排除されなければならないのです。その理由は、スータンを着ない司祭、ベールをかぶらない修道女、祈らない修道者、そして空っぽの教会といった公会議後の宗教よりも、聖伝がはるかに大きな支持を得ていること(組織的に排斥されなかったなら、さらに膨大な支持を得ていたことでしょう)が分からなくなるようにするためです。

ベルゴリオの考えでは、自分が認可するのに値する召命は、近代主義的で、包括的で、実存的な、【教会の外郭】周辺に向けられており、教理上の無さや、道徳的な空虚さ、陳腐な人道的スローガンで成り立っているものだけです。ある召命が純粋にカトリック的であり、天主に栄光を帰し、霊魂を救いたいという願望によって生かされているという兆候は、それが曖昧であってもそれが示されるやいなや、それは聖職者主義、不寛容、原理主義、硬直性の表すものであるとして、…さらに【聖職者主義、不寛容、原理主義、硬直性以外の】、ベルゴリオのレパートリーである、多かれ少なかれ不快な言葉で攻撃されます。それは、敵対者を犯罪者として扱うためのテクニックの一つであって、公会議以来すでにうまくいくことが検証されている方法です。

【問い】教皇フランシスコは、多文化主義、環境保護主義、移民を賞賛し、ソロスとビル・ゲイツをバチカンに迎え、実験的な遺伝子血清の推進者の役割を演じています。彼の事業とイエズス会士として養成されたことの間に相関関係があるという仮説は成り立つでしょうか?

【ヴィガノ大司教】私たちがこの相関関係を「仮説」にとどめるならば、少なくとも私たちが素朴(ナイーヴ)で、かつ不注意であるのを証明することになります。教会で最も重要な修道会の一つであったイエズス会は、悪魔の行動の標的となってきており、悪魔は、第二バチカン公会議のかなり前から、イエズス会のカリスマを堕落させ、徐々に方向をそらせてきました。そこで今日では、イエズス会は、言ってみれば「攻撃体」になってしまっており、これを使ってディープ・チャーチは、カトリック教会の残存物を解体しようとしています。こうすることによって、フリーメーソンと新世界秩序が望む"人類教"の「入れ物」として機能できる形を持たないNGOで置き換えようとしているのです。これは、公会議によって据えられたイデオロギー的土台と一致しています。

すべてのイエズス会士がそうですが、ベルゴリオは、まずイエズス会士であり、次にカトリック信者です。この理由で、イエズス会士が位階階級の位に登ることは今でも禁じられており、そのため、このアルゼンチン人は、ブエノスアイレス大司教に聖別されるために、教皇に特別許可を求めなければなりませんでした。もし、その許可が認められず、その代わりに聖イグナチオの規則が尊重されていたならば、私たちは2013年以降の災難を免れていたことでしょう。イエズス会士は、公会議革命の遂行だけでなく、自分たちの一人をペトロの玉座に据えるための工作においても、重要な役割を果たしたことは明らかです。

【問い】2009年、バチカン市国行政庁次官として、大司教様はバチカンの予算を見事な方法で回復させられました。800万ユーロの赤字から、3400万ユーロを超える黒字に転換したのです。この透明性の路線の追求および汚職との戦いの中で、大司教様は、誰かの足のつま先をいくつか踏んでしまわれたようです。その後、偶然にも、彼らは大司教様を駐米教皇大使に任命しました。ラテン語でいうところの「Promoveatur ut amoveatur」(排除するために昇進させよ)というケースだったのでしょうか?

【ヴィガノ大司教】私の駐米教皇大使への任命は、当時全権を握っていた国務長官ベルトーネ枢機卿の決定です。当時、私は2009年7月から行政庁次官を務めており、それ以前は国務省の教皇使節代表【現外交官人事局長】を務めていました。私の仕事は、ローマ教皇庁と教皇使節での司教昇格のプロセスの準備と検討でした。この役割のとき、私は、ふさわしくなかったり同性愛者だったりした高位聖職者の任命に反対し、またその中でも特に、マカリックの枢機卿帽を取り上げてしまうように提案しました。このような私の役割は、私の長上たち、特にベルトーネの不評を買い、ベルトーネは私を説得して、国務省から行政庁へ次官として異動することを受け入れさせ、その際、長官のジョバンニ・ラジョロ枢機卿が引退したときに、私をその代わりに任命するという約束がありました。汚職と闘い、悲惨な行政庁の財政を回復させようとする私の活動に、一部の人々は反対し、2010年からは、私に対する誹謗・中傷の記事が掲載され、まさに「モビング」(職場いじめ)が行われるようになったのです。聖なるバチカン宮殿に端を発するスキャンダラスな告発は、私を職務から外す口実をベルトーネに与えました。ですから私は、何が起きているのかを知ってもらうために、教皇に報告するしかないと感じたのです。

【参考】教皇、バチカン国務省に「外交官人事局」を新設

教皇ベネディクトはすぐに私を呼び、私がベルトーネとの出来事を話す前に、ヴェラシオ・デ・パオリス枢機卿に代わって私を聖座財務部(Pontifical Council for Economic Affairs of the Holy See)の局長に任命することを提案されたのです。そして、教皇は次のような正確な言葉をもって、それを実行に移しました。「これは、あなたが聖座に最も貢献できる仕事だと確信しています」。

教皇ベネディクトに提供された私に対する圧力、誤った情報、中傷がどのようなものであったかは想像に難くありませんが、それによって、教皇は考えを変え、私を駐米教皇大使に任命しました。私は従順の精神でその任命を受けましたが、苦痛がないわけではありませんでした。何故ならこの任命は、私が行政庁で行ってきた、教会を損害から回復させる仕事をすべて無効にしようとする、教皇庁によるクーデターであることをよく認識していたからです。

教皇は私にこう書き送ってこられました。「私は、現時点でのあなたの御摂理的な地位は、米国での教皇大使職であるという確信に至りました。一方、私は、この偉大な国に関するあなたの知識が、この仕事に要求される挑戦にあなたが取り組むのに役立つと確信しています。この仕事は、さまざまな意味で、普遍教会の将来にとって決定的だと思われますから」と。

この広大で愛すべき国での私の公式任務は終わりましたが、教皇ベネディクトがほとんど予言的に言及し、私を巻き込んだこの任務 -- この挑戦 -- は、これまで以上に知られるようになっています。

【問い】新世界秩序に対する大司教様の明晰で激しく勇気あるご介入は、大司教様に不愉快な結果、脅迫、メディアの攻撃をもたらしたのでしょうか?

【ヴィガノ大司教】マカリック枢機卿(当時)のスキャンダルを暴露した後にはもう、私は身の安全に気を配らなければなりませんでした。2020年5月に始まったと記憶しているパンデミックの茶番劇に関する私の発言は、当時、侮辱や言葉のリンチを受け、不当な干渉や陰謀論を推進しているとの非難を浴びました。また、私の発言を書いたのは私ではない、私が精神病や「解釈の錯乱」に陥っている、あるいは悪魔に取り憑かれているなどとほのめかす者さえいました。数日前のロシア・ウクライナ危機に関する私の発言の後の非難については、言うまでもありません…。

このような度の過ぎた攻撃は、一部はカトリック保守派やいわゆる政治的右派のグループからも出ていることに驚いています。多くの場合、私が味方だと考えていた人々は、まずパンデミックの茶番劇に反対し、次に戦争の挑発に反対していましたが、彼らが敵の側にいることを示したのは、いわゆるワクチンの有効性や道徳的合法性を認めたり、ゼレンスキーをプーチンの拡張主義の目的による罪なき犠牲者として紹介したりしたことです。現実は全く異なっており、自分のテーゼを支持するため、あるいは自分の主人に従うために、現実を否定したり隠したりすることは、罪人とその共犯者に対する非難を、さらに正しく動機のあるものにすることに役立つだけでしょう。

いずれにせよ、私は天主と聖母に、私が健康であること、そしてこれまで与えてくださったご保護に感謝しています。

【問い】ドラギ政権はウクライナ問題を利用して、2022年12月31日まで緊急事態を延長しました。イタリアの政治・経済・社会の将来について、どのような予測をしておられますか。

【ヴィガノ大司教】市民保護局(Civil Protection)の緊急事態が、パンデミックの緊急事態の延長として考えられ得るのかどうかは分かりません。何故なら、パンデミックの緊急事態は、ピサ裁判所の最近の判決で違法かつ違憲と宣言されたからです。きわめてはっきりしているのは、--- もしも何らかの疑問があったとするならばですが【現実は疑問の余地はない】、 --- ドラギは、彼の政府やイタリアの最高機関の他の多くの代表者と同様に、議会のほぼすべての支持を得て、超国家的権力に応えているということです。これらのロビー団体のメンバーとして、彼は、たとえそれが国益や市民の利益に反していても、グローバリストのアジェンダを実行する使命を帯びています。実際、そのアジェンダは、まさにイタリアの社会的、経済的、宗教的、文化的構造を破壊することであり、グレート・リセットを実行することです。その創造者であり推進者であるクラウス・シュワブは、最近ドラギと会いました。

状況は極めて不透明であり、未知の部分に満ちているため、あえて予言はしません。新世界秩序の計画では、イタリアは屈服し、何百万人もの移民に侵略され、カトリックのアイデンティティーを失い、伝統は消し去され、外国の多国籍企業に売り払われるはずです。サービスや公共財は民営化され、彼らが許可すると決めた方法でしか旅行できないようになり、私たちのあらゆる行動を管理し、デジタルIDや他の魅力的な婉曲表現で呼ぶであろう永久の「グリーンパス」によって監視するといったことで、彼らは私たちを奴隷にしようと望んでいるのです。

しかし、彼らは、自分たちが永遠の敗者【悪魔】に対して従属的であること、そして、天主の御摂理は、私たちの祖国を破壊から救うように決定することができるということを考慮に入れてはいないのです。ただし、イタリア国民が、現在の悪は、私たちの罪の結果、国家やすべての国の公共の罪の結果、つまり、私たちのイタリアの魂である信仰を否定し、普遍的な王であり、したがって私たちの国の真の王でもあるキリストから王冠を奪ったことに対する罰であることを理解しさえすれば、の話ですが。

主はその恩寵で私たちを助けてくださるでしょうが、私たちに自分の役割を果たすよう求めておられます。私たちがキリストと共に戦うなら、キリストと共に勝利を祝うことができます。私たちがどちらの側にもつかず、さらに悪いことにサタンの側につくなら、サタンとともに私たちは奈落の底に落ちることになるでしょう。

【問い】私たちを抑圧する悪魔的なテクノ・ヘルス全体主義に反対するために、欧州のすべての反体制勢力の間に新しい神聖同盟のようなものを創設し、一緒に参加するおつもりはありませんか?

【ヴィガノ大司教】最近、私は、エリートのクーデターに対抗して、各国の善なる勢力を調整することができる「反グローバリズム同盟」の創設を呼びかけました。しかし、この同盟は、信者がキリスト者として、また市民として、信仰を公に証しし、政治に関与しなければならないのと同様に、信者の主導でなければならないのです。主が「チェザルのものはチェザルに、天主のものは天主に与えよ」(マテオ22章21節)と戒められたとき、主は税を払うだけでなく、祖国に対する義務を果たすように、私たちを励ましておられます。特にイエズス・キリストに対する抑えがたい憎しみによって、伝統的キリスト教社会の破壊を最終目的とする人々によって祖国が危機にさらされているときには、なおさらです。

しかし、一方で敵は、私たちに、避妊や妊娠中絶、同性愛、また疫病やワクチンによって、世界人口の削減を始めることで世界の「リセット」を実行するために、やろうとしていたことを詳しく説明したにもかかわらず、他方で、善人たちは、「進歩」にびくびくとおじけづいているように見え、これらの犯罪プロジェクトに対して、非妥協的な社会的、政治的提案をもって反対することを恥じているようでした。

一方で陰謀家たちが、ダボス会議で未来のリーダーを育て、彼らを国家や国際機関のトップに据える――マクロンからトルドーまで、メルケルからゼレンスキーまで、事実上今日権力を握っているすべての人々――その間に、他方で、国家の主権、生命と伝統的家族の保護、そして宗教と道徳の擁護をについて配慮する人々は、いったい何をしていたのでしょうか?

彼らは何もしなかったのです。育てることもせず、将来の支配階級への投資もせず、譲れない原理に従ったカトリック指導者の学問的教育もしなかったのです。確かに、よく調べてみると、この分野での聖職者の裏切りが明らかになってきました。なぜなら、ディープ・チャーチは、世俗的な分野でのディープ・ステートの仕事に沿って、実際には、ほとんどディープ・ステートのイデオロギー的、社会的基盤を作るために、左派の要求に身を売ってきたからです。

つまり、説教や霊魂の回心よりもエキュメニカルな対話を好み、世界人権宣言の革命的原理を受け入れ、率先してキリストから王冠を奪い取り、国家の世俗性の使徒となったのです。今日、ベルゴリオをもって、グローバリズムのイデオロギー、移民主義、新マルサス主義、新世界秩序、人類教を支持して、裏切りは背教として完成したのです。ディープ・チャーチは、パンデミック詐欺と大規模ワクチン接種にさえ加担してきました。血清中に中絶による細胞株が存在し、ワクチンが引き起こす免疫システムの不可逆的な弱体化があるにもかかわらずです。今日、教会は偽善的にシステムの側に立ち、グローバル化とそれに力を与える犯罪原理に反対する唯一の国家の長であるプーチン大統領に反対して、シュワブの傀儡であるウクライナのゼレンスキーを支持しているのです。

イタリアに話を戻すと、私の考えでは、この危機を脱するためには、二つのことが必要です。

第一にして最も重要なことは、社会的な領域で福音を適用して、良い統治をしようと決意した支配階級や真の政治指導者を育成することです。これが前提とするのは、明らかなことですが、妥協することなく、勇気ある証しをする大胆さを持った、まじめに信仰と道徳に立ち戻ろうとするカトリック信者がいることです。

第二は、反グローバリズム同盟のプログラムを共有する政党や運動を一つにして、また中道右派政党が近年否定してきた主権主義、連邦主義、穏健なリベラル派の使命を再発見する連合の形成です。要するに、これまでの経験(過ちを繰り返さないよう注意する)と新しく生まれつつある運動を組み合わせることです。この考え方は、他の国々にも適用でき、グローバリストのリヴァイアサンに対して共同戦線を張ることができるようになると私は考えています。

Viganò a Canale Italia. La Verità Emergerà, e il Danno alla Chiesa Sarà Grande.

L’archevêque Viganò sur Canale Italia. Le texte français de l’interview.

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