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ラジオ・スパダによるインタビュー「教会をフリーメーソンに染まったNGOにしようと望む者たちがいる」(2021年5月4日)

ヴィガノ大司教「教会をフリーメーソンに染まったNGOにしようと望む者たちがいる」2021年5月4日

マルコ・トサッティ
親愛なる「Stilum Curiae」の友人および敵の皆さん、カルロ・マリア・ヴィガノ大司教がラジオ・スパダに行ったインタビュー(第二部)を発表させていただきます。第一部はここにあります。ヴィガノ大司教「ベネディクト教皇は『不適切な協力者、信頼できない協力者、さらには腐敗した協力者にまで取り巻かれていた』」

ラジオ・スパダによるカルロ・マリア・ヴィガノ大司教とのインタビュー

【ラジオ・スパダ】大司教様、3月にマルコ・トサッティの新刊本「Neo-Vatican Gallery」(ネオ・バチカン・ギャラリー)を、大司教様の序文とともに発表した際に開始したインタビューを「完結」できるのをうれしく思います(この本は英訳のほか、イタリア語とスペイン語でも出版されています)。まず第一に、あの最初の対話がわずか数週間で世界中に広まったことを確認しておきましょう。多くの言語に翻訳され、活発な議論が始まりました。広く関心と注目を集めました。あちこちで少し小さな批判がなされ、それはとりわけ「ベネディクト十六世」をテーマにしたものでしたが、その批判には神学的なレベルにおいてはあまり一貫性がありませんでした。その討論は主に、ラッツィンガーの思想における、ある種のヘーゲル的な影響に関連してあなたが提起なさったテーマに関するものでした。あの議論の中でこのような点を認識しておられましたか。もしよろしければ、このインタビューを機にお返事をいただけないでしょうか。そうでない場合は、ほかの問題に話を進めたいと思います。

今日の対話はいくつかの部に分けて行いますが、ここでは読者の理解を助けるために、読者に役立つ内容の概要を説明します。最初に、聖伝を守るための英語圏の現在の役割、そのあとで聖母マリアの問題、次に典礼の問題、そして最後にエキュメニズムについての部分です。

では、マルコ・トサッティの新刊本が取り扱っている英語圏のテーマから始めましょう。歴史的に、公会議のイデオロギーに反対する人々は「多くはフランス語を話していました」(マルセル・ルフェーブル大司教が指導的役割を果たしていたためでもあります)が、今日では、英語を話す人々の間で、特に米国で、この戦線が大きく拡大していることが分かります。また、有名な「アガサ・クリスティ特別許可」(Agatha Christie Indult)【*】は、その活動に明らかな限界があったにもかかわらず、当時(1970年代初頭)としては重要な意味を持っていたことを忘れるべきではありません。大司教様は外交官として任命されたことから、特にワシントン駐在の教皇大使としての役割から、何十年にもわたって英語圏のことをよくご存じです。では、この進化についてはどう思われますか。それは何によるものでしょうか。この意味で、大司教様はどのような見通しをお持ちでしょうか。

【*訳注:ヒーナン特別許可(Heenan Indult)ともいう。ウィキペディアなどによると、英国のヒーナン枢機卿が1971年、教皇パウロ六世に、イングランドとウェールズで聖伝のミサに愛着のある人々に、このミサを捧げる許しを求める誓願を提出した。その誓願にはトリエント典礼という芸術文化遺産を守るという意向もあったため、署名にはカトリックでない著名人の名前も多かった。教皇が署名者を見て「おお、アガサ・クリスティ」と叫んで許可に至ったとされたため、その通称がついた。ただし、このミサは1962年版ではなく、1965年版の典礼に基づいている。】

【ヴィガノ大司教】あなたの表現を使わせていただければ、公会議のイデオロギーに反対する人々が当初は主に「フランス語を話していた」理由は、そのころ、フランスには、信徒と聖職者の両方で、ある種の深みのある知識人がいたという事実のためであり、彼らが、社会的な出来事と教会的な出来事との間に非常に密接な関係があることを明らかにしていたからだと私は想像します。忘れてはならないのは、フランスは1968年の激しい社会的対立と超進歩主義の一形態に直面していたものの、イタリアでは、その超進歩主義はとりわけ大都市以外では、おそらくあまり広まっていなかったのだろうということです。フランスでは、反聖職者の政府による迫害や影響をすでに経験していたカトリックの伝統の深い国で進行中の革命について、もっと大きな認識がありました。

英国では、少数派であるカトリックが英国国教会と常に対峙していましたが、公会議の教会がプロテスタントの典礼や教理の立場を受け入れつつあることが明らかになると、信徒だけでなく、多くの非カトリック信者も固く一致した反応を起こし、彼らは、聖座が現代社会の世俗化のメンタリティーに屈することを理解できないと考えました。いわゆる「アガサ・クリスティ特別許可」は、カトリックと英国国教会を区別する要素であった聖伝の典礼を取りやめるという決定に対して、多くの知識人が失望していたことを明らかにしました。それは、宗教的迫害に直面してきたカトリックの何世紀にもわたる英雄的な抵抗を否定するかのようなものでした。

公会議前の健全なエキュメニズムは、カトリック教会の胎内に戻ってくる英国国教会信徒の絶え間ない流れを支持していましたが、70年代、特に典礼改革の後、この流れは枯渇し、「改宗」は[カトリックに向かう]代わりに東方教会に向かうようになりました。異端的な公会議のテーゼによれば、唯一の牧者の下にある唯一の囲いに再び入ることを心から望みそう希望している人々でさえも[カトリックに改宗する代わりに]、離教と異端の中にそのまま残されるべきだ、と考えられていたからです。

キリスト教民主党が政治的に主導していた教皇座のイタリアでは、おそらくカトリックが消滅するという危機にあるとは思えなかったという事実もあって、公会議革命への反応はもっとずっと緩やかなものでした。

米国での信仰の復興はもっと最近のもので、米国のカトリック信者が、信仰と典礼が日常生活の中で脅かされていることに気づくのが遅れた結果です。1950年代の米国の教会は、ピオ十二世の先見の明のある行動と、多くの優れた高位聖職者たちの使徒職のおかげで、急速に成長していました。その高位聖職者たちの中でも、フルトン・シーン大司教を忘れることはできません。比較的若い国民の熱狂、無数の改宗、米国におけるカトリックの「新鮮さ」が、おそらく危機が表にはっきり出るのを遅らせたのでしょう。しかし、この危機は、イエズス会の大学や、バイデン、ケリー、ペロシら「カトリック信者の」政治家が出てきた進歩主義者のサークルで、すでに始まっていたのです(こちら)。

生命の尊重のようなカトリックの道徳に関連するテーマは、カトリック信者ではない大統領たちも支持し、司教団や信徒の喝采を浴びました。社会的にも教会的にも、草の根の人々と上層部の間の亀裂が感じられるようになってきたのは、最近のことでした。それは一方では、ビル・クリントンに始まる熱心な中絶推進派の大統領たちによって、他方では、フランスや英国だけでなく、イタリアや、スペイン、ポルトガル、アイルランドなどのカトリックの伝統が強い国で広まっている欧州の進歩主義の要求にさらに近い立場の司教たちによってです。

この亀裂は、市民と政治家、そして信徒と司教を隔てる大きな距離を明らかにしました。政治階級と位階階級による裏切りに直面して、トランプ大統領をカトリック信者も信頼を置くことのできる米国民の伝統的価値観の擁護者とみなす良心が再び目覚めたことは正常であって、さらに私は賞賛すべきこと、御摂理的なことであるとさえ言いたいと思います。

昨年11月3日の不正選挙は、逆にディープ・ステートとディープ・チャーチの間の「邪悪の合意」(pactum sceleris)を強化し、司教、知識人、超進歩的なカトリック・メディアの断固たる支持のもと、世界統一主義者(globalist)のイデオロギーと新世界秩序(New World Order)の計画に完全に従順な自称「カトリック信者の大統領」をホワイトハウスにもたらしました。米国における疑似パンデミックの扱いは、ディープ・チャーチの本当の顔を明らかにし、多くの信徒の目を開かせ、「グレート・リセット」の提唱者たちの間に存在する共犯関係を信徒に理解させました。

大統領選挙の本当の結果が最終的に明らかになり、[アメリカで]干渉や操作に悩まされない新しい選挙が行われうる時には、バイデンはまたも米国のディープ・チャーチを自分の側に引き込むでしょう。その時には、特に、教会の信仰・道徳・典礼に改変を受け入れるつもりのないカトリック信者たちには、社会的に関わることになるような新たな刺激となるでしょう。

【ラジオ・スパダ】マリア信仰というテーマが、今の時期ほど広く語られたことはこれまで決してありませんでした。ベルゴリオがまたしても、マリアの共贖者としての役割の重要性を最小限にするような発言をしてから、聖母の称号をめぐる「討論」(そう呼びましょう)が始まりました。このマリアの特権を守るために、私たちは最近、「Libro d'Oro di Maria Santissima」(至聖なるマリアのゴールデン・ブック)という本を出版しました。私たちは、カトリックがマリアなしで存在できるとは考えていません。さらに、現在私たちが経験している反マリア的攻撃の原因が、公会議に、そして公会議後の時代の管理者にないとするのは不可能であると考えています。一方では、公の演説や「文書」を通して、直接的にも間接的にも本物のつるはしを使い、他方では、まことのマリア崇敬を否定するかのような新・出現信奉主義的な感傷的言動が浮上しています。ヨハネ・パウロ二世がペトロの座に就き、ラッツィンガーが教理省長官に就任したとき、この意味で受け入れがたい作戦が、エキュメニズムの名の下に、大きな力のある革命に典型的な交互に入れ替わるプレートを使って【押し進めたり引き下がったりして】、実行されたことを忘れてはなりません[1]。

(1)1996年、第12回国際マリア学会議がチェンストホヴァで開催された際、東方「正統」教会3人、英国国教会1人、ルター派1人を含む神学者グループが、共贖の教義に反対する宣言を発表しました。完全な対話形式の宗教的無関心主義の方式(ここが問題の本質です)で、共贖者、仲介者、代願者の称号を「曖昧」と定義し、その文章が「オッセルヴァトーレ・ロマーノ(L'Osservatore Romano)」【聖座所有の日刊紙】に掲載されました。

(2)マリア信心に対する「宗教改革」の悲惨な結果を一時的に脇に置くことによって、また、あたかもキリストの神秘体からマリアを分離してもマリアを愛することができるかのように「すべての異端に対する凱旋者」(Triumphatrix over all heresies)としてのマリアの役割を不明瞭にすることによって、ヨハネ・パウロ二世は1997年11月12日の一般謁見で次のように述べています。「ルターの著作には、例えば、あらゆる聖徳の模範として称賛されているマリアに対する愛と崇敬の念が込められています。ルターは、天主の御母の崇高な聖性を支持し、時には無原罪の御孕りの特権を肯定し、他の改革者たちとマリアの終生童貞に対する信仰を共有しています」[2]。大司教様の個人的な経験で、マリア信仰の「公会議による」衰退をどのように経験されましたか。高位聖職者として、イタリアや海外での長年の奉仕活動の中で、このテーマに関連してご覧になってきたことについて、私たちに教えていただけますか。教会の危機に関するあなたの「良心の決断」に、童貞聖マリアは役割を果たしておられましたか。

【ヴィガノ大司教】いつの時代も異端者たちを一致させているのは聖母に対する不寛容です。つまり、童貞聖マリアのための崇敬と、それが前提としているマリアの教理、そしてそれを典礼的に表現したものに対する不寛容さです。さらに言えば、これは驚くべきことではありません。サタンは、天主の御母に、その御子によっていにしえの蛇の頭を踏み砕いたお方、歴史の流れの中で教会に対する地獄の攻撃を打ち破ったお方、そして、時の終わりに反キリストとサタンに対する最終的な勝利を収めるお方を見いだしているのです。

至聖なる三位一体は、聖母とともに贖罪のみわざを行うのを喜んでおられます。聖母に対して、いかなる被造物も考えつくことができなかった特権を与えられました。その筆頭は、聖母を原罪から守り、救い主のご誕生の前も、その間も、その後も、聖母の童貞性を無傷で守ったことです。新しいエバであるマリアに、サタンは自分に勝利し、エバの誘惑と堕落の償いをする被造物を見いだしているのです。こういう訳で、マリアは、新しいアダムであるキリストと一致した共贖者なのです。

キリスト信者の中にある、聖母への子としての信心を根絶することは非常に困難です。プロテスタントの偽改革や英国国教会の離教の後でも、童貞女マリアへの信心は、それを消すために特別な努力を必要とするほど生き残っていました。天の母への愛があまりにも自発的で、自然で、適合している場合、素朴な人の心から天の母への愛を引き剥がすことは困難です。幼い子どものころに唱えるよう母親が教えてくれた1回の「めでたし」だけが理由であったとしても、至聖なるマリアへの信心のおかげで教会の胎内に戻った異端者たちのケースのことを私は思い浮かべます。この信心は、素朴で、謙虚で、甘美で、確信に満ちていて、最も純粋なものです。この信心は、神学的な教理の高邁さを知らない人々でも減ることはありません。

なぜなら、この信心は、ほかの何よりもまさって、私たちを子どもとして、また聖母を母としてみなしており、私たちの犯したすべての欠点にもかかわらず、聖母を、私たちが常に依り頼む「救い主」(Salvatrice)、あわれみ深きお方、代願者として認識させるからです。たとえ、私たちが御怒りを招いたため天主なる御子の方へ目を上げるのが恐ろしいときであったとしても、「あなたの母を見よ」(ヨハネ19章26-27節)なのです。【つまり聖母を私たちの母としてすがって行くことができる。】

こういう訳で、サタンは「婦人」(the Lady)を嫌うのです。祓魔式の際にサタンは聖母(Our Lady)をそう呼びます。サタンは、イエズス・キリストの御力がその御母によって少しもぼかされることがないだけでなく、むしろ高められることをあまりにもよく知っているのです。なぜなら、サタンの傲慢がサタンを地獄に沈めたのに対し、御母の謙虚さは御母をすべての被造物のはるか上へと高め、御母にご托身になる天主の御子を孕らせたからです。そのご托身によって、御子は人間の肉体をお取りになりましたが、ルチフェルにはそれが許せなかったのです。

公会議後のマリア信仰の衰退は、天の元后に対するサタンの嫌悪感の最新の表現に過ぎず、最も異常でつまずきを与えるものと言えるでしょう。マリア信仰の衰退は、あの集会【第二バチカン公会議】が天主から来たものではないことを示すしるしの一つであり、至聖なる童貞の称号や功徳にあえて疑問を呈することさえする人々が天主から来たものではないのと同様です。

一方、父親の敵を喜ばせるために、自分の母親が貶められることを許す息子がいるでしょうか。ですから、天主の御母にして私たちの母の名誉が危うくなっているとき、【教会の役務者による】異端者や異教徒とのあからさまなこの共犯関係があるのは、いったいどれほど深刻なことでしょうか。三位一体の最愛のお方は、父なる天主によってその娘として、子なる天主によってその御母として、そして聖霊なる天主によってその浄配として選ばれ給うたのです。

公会議の欺瞞と現在の背教に気づくようになるという私の「回心」の賜物は、聖母に対する私の絶え間ない信心のおかげで可能になったと、私は信じています。1944年4月の連合国軍の爆撃の際、母は私をヴァレーゼの私たちの家の下の防空壕に連れて行き、御影が小さなランプで照らされた聖母のご保護を祈りながら、私を抱きしめました。聖母の祝されし「冠」(ロザリオ)は、いつも私の祈りに活力を与えてくれました。

聖なる童貞は、そのかかとで、御子の教会にはびこって冒涜する地獄の偶像を踏み砕き給うのです。ご自身の役務者によって追放された御子に王冠を回復させるお方です。この暗黒の時に良き人々を支え、保護し、罪人のために回心と悔い改めの聖寵を懇願するお方です。

【ラジオ・スパダ】典礼のテーマも関連しています。今日、最も困難な戦いの一つは、全時代のミサ【聖伝のミサ】と新近代主義者による公会議革命の結果生まれたミサとの間に存在する深遠な違いを信徒に説明することである、と私たちは考えています。それは、その根底にある神学の問題だけでなく、「パウロ六世のミサ」の歴史それ自体の問題でもあります。その改革はプロテスタントの著名な代表者が参加した委員会の助けを借りて行われ、その結果、現在のようなエキュメニカルな典礼になった、という事実を知っているカトリック信者は、ほとんどいません。残念ながら今日、典礼の問題における「実質的な宗教的無関心主義」の風潮がないわけではありませんが、これは前回の対談でも言及したように、ベネディクト十六世の自発教令「スンモールム・ポンティフィクム」(Summorum Pontificum)の矛盾した内容の所産でもあります[3]。また、ミサのテーマについても、2020年6月9日に大司教様の友人のM・グァリーニ博士のウェブサイトに掲載されたエッセーの中で、大司教様は次のように述べておられます。「歴史の流れの中で異端が広まったとき、教会は常に迅速に介入してそれらを断罪してきました。それは、ある意味で第二バチカン公会議を先取りしていた1786年のピストイアの司教会議(シノドス)のときに起こったようにです」。この考察について、さらに詳しく教えてください。大勅書「アウクトレム・フィデイ」(Auctorem Fidei)を参照して、現在の状況に関連してどのような要素を強調することができますか。この段落で示唆されている事実を、もっと多くの人々に明らかにするために、できることは何でしょうか。

【ヴィガノ大司教】キリストの神秘体が、公式で荘厳で公の行為である典礼の祈りを、二重の声で神秘体のかしら【キリスト】に向かって上げることができるということを維持するのは、少なくとも困難であるという事実について、私はあなたに同意します。この二重の性質は二枚舌を意味し得るものであり、カトリックの真理の単純性と直線性に反します。ちょうどその二重性が、そのみ言葉が永遠であり、至聖なる三位一体の第二のペルソナである天主に反しているのと同じようにです。キリストは、革新主義者たちが「特別な形式」と呼ぶ完全な声【聖伝のミサ】で御父に語りかけると同時に、「通常の形式」で天主の敵に好意を示す不完全な声【新しいミサ】で御父に語りかけることはできません。

一方、「通常の形式」という同じ不適切な表現は、一般的な言葉で言えば、特別ではないもの、当たり前のもの、価値の低いもの、レベルの低いもの、を示す「普通・平凡」という認識を、意図せずに示しています。人が「通常・普通・平凡」であると言うと、確かに褒め言葉には聞こえません。ですから、私は、この状況を一時的なものとして受け入れて、許容しなければならないと考えています。

その状況下で、伝統的な典礼は、唯一のカトリックの典礼への復帰が必要であることと、その公会議版の廃止が不可欠であることを考慮して、霊魂に多くの善を及ぼしつつ、復帰し、広まっていく道があるはずです。典礼において、教会は人間にではなく、天主の御稜威に語りかけることを忘れてはなりません。洗礼を受けて生きている教会の成員は、彼らと至聖なる三位一体との間に「橋を架ける者」(pontifex)である「聖なる役務者」によって、典礼の祈りにおいて共に一致しています。典礼をある種の人間中心的なイベントにすることは、カトリックの精神とは最も無縁なものです。

私がピストイアの司教会議に言及したのは、第二バチカン公会議の文書の中に、さらには公会議後のいわゆる「教導権」の中に、大勅書「アウクトレム・フィデイ」によって断罪された誤謬が顕著に再提示されたからです。私が顕著にと言うのは、真理が天主において[天主の他の本質と共に]本質的であるのと同じく、嘘や誤謬もサタンのしるしであって、サタンは何世紀にもわたって反逆の叫びを繰り返し、常に自分が憎む真理を、消し去ることのできない憎しみをもって攻撃しているからです。

アリウスからロワジーまで、ルターからLGBTQ支持のマーティン神父(イエズス会)まで、その叫びを起こさせる者は常に同じです。この理由により、教会は「常に」誤謬を断罪し、「常に」同じ真理を確認するのであり、この理由により、異端者は「常に」同じ誤謬を再提示するのです。金の子牛を使ったイスラエルの民の不忠実や、アッシジ、パチャママ、アスタナの忌まわしいものに関しては、新しいものは何もありません。

【ラジオ・スパダ】これまでに述べてきたことを最終的に確認する意味でも、エキュメニズムというテーマに、さらに具体的に入っていかない訳にはいきません。以前の質問でも注目したように、エキュメニズムは、私たちが証人になっているこの危機のあらゆる面と密接に結びついています。その存在は、少なくとも、パウロ六世のアテナゴラス【コンスタンティノープル総主教】との会見や「正教会」のメリトン【カルケドン府主教】の足への接吻以来、本格的な形となり、1986年(ヨハネ・パウロ二世)と2011年(ベネディクト十六世)といったさまざまなアッシジの会議で徐々に勝利を収め、アブダビ文書やアマゾン・シノドスの際に聖ペトロ大聖堂に持ち込まれた異教徒の像にまで至っています。このような宗教的無関心主義の道は、理論的にも実践的にも、数え切れないほどの教皇庁の文書(ピオ十一世の「モルタリウム・アニモス」(Mortalium Animos)、聖ピオ十世の「パッシェンディ」(Pascendi)、ピオ九世の「シラブス」(Syllabus)は誰にでも適用されます)によって直接的に断罪されています。超自然的な信仰の光に反しているだけでなく、まず第一に自然的な理性の光にも反しています。なぜなら、非論理的で、間違っており、曲解しているからです。それ(エキュメニズム)は、いわゆる「進歩派」や、残念ながら少なからぬ「保守派」の公然とした協力のおかげで、もう一度復活して繁栄しています。あなたの経験の中で、特にさまざまな大陸でなさったさまざまなミッションの中で、司教団がこの問題について認識があることに、少なくとも個人として、気づかれましたか。つまり、公の場の「慎重さ」の裏で、少なくとも録音されるマイクがないときには、この背教の重大性を認識している聖職者が存在するのでしょうか。もしそうであれば、その認識は、行われる行為がひどくなるにつれて、年々高まっているように思われますか。

【ヴィガノ大司教】主を愛する司教たちや司祭たちは、公会議の教理と啓示された信仰の間には、どうしようもない矛盾があることをよく知っています。そして、誤謬を広め、自ら革命の推進者となっている傭い人たちも、そのことを完全によく知っています。しかし、傭い人たちが教会をフリーメーソンの原理に染まったある種のNGOに作り変えるために教会を変化させようと本気で考えている一方で、良き牧者たちは、多くの失敗が、第二バチカン公会議がほのめかした誤謬そのものの必然的な結果ではなく、ほとんど途中の事故であって遅かれ早かれ何らかの方法で正されるだろうと信じることに甘んじているのです。

この哲学的かつ心理学的な誤謬は、神学的な誤謬であるというよりはもっとそのようなものですが、彼らは、現在の危機の発生源【第二バチカン公会議】を維持するとともに、教会の不変の教導権への忠誠とを維持しているのです。これは、まさに無駄で自然に反しているがゆえに失敗を運命づけられているタイタニック号のような巨大な作業です。

たとえを言わせてください。医者が特定の病気の症状を見つけた場合、その診断は病状を特定し、症状を取り除くだけではなく、症状の原因を取り除くことを目的とした治療法を採用します。また、症状を病気と結びつけることを拒否しながら、症状を治すことはできません。公共的な問題でも同じことが言えます。統治者が、管理されていない移民によって犯罪が増加していることを発見した場合、犯罪者を逮捕することは確かにできますが、不法移民を止めなければ何の成果も得られません。さて、このことは日常生活の問題では明らかですが、なぜそれが、天主の御稜威に当然なされるべき礼拝、教会の名誉、霊魂の救いに関わる問題のような、さらに重大な問題にまで適用されることがないのでしょうか。

私の兄弟たちは、自分たちが陥った欺瞞を認識するという、危機の発端となった教理的、道徳的、典礼的な原因を特定するという、誤って踏み出した安易な道から引き返すという、謙虚さを持つべきだと私は思います。それは、自分たちが放棄し、何世紀にもわたって唯一の実行可能な道であることが証明されてきた狭くて険しい道、すなわち十字架の道、自己犠牲の道、そして真理、すなわちイエズス・キリストに対する英雄的な証しの道を再開するためです。そうなったならば、悪魔とそのしもべによる教会への攻撃は、これまで常にそうだったように増えていくことでしょう。「彼らが私を迫害したなら、あなたたちにも迫害を加えるだろう」(ヨハネ15章18-27節)が、兄弟たちは天国と勝利の手柄を得ることができます。逆に、この世とそのかしらと折り合いをつけることができると信じているなら、自分に託された霊魂と自分自身の霊魂について、天主にお答えしなければならなくなるでしょう。

このような時代精神への安住は、おそらく勇気の欠如とある種の臆病さを表しているものであり、カトリック信者、さらには天主の聖職者のあるべき姿である「天の国は暴力で攻められ、暴力の者がそれを奪う」(マテオ11章12節)とは正反対のものです。

【ラジオ・スパダ】大司教様、このような対話ができて、本当にありがとうございます。

注:[1]「革命的」な台本に従って、この時期にマリア信心に「好意的」な宣言がなされたことは驚くべきことではない。この宣言は明らかに反対の実践と交互に行われ、一般的な新近代主義の文脈に挿入され、現在明らかになっている結果をもたらした。
[2]一般謁見1997年11月12日【教皇ヨハネ・パウロ二世】
[3]特に、以下の一節に注目したい。「第一条 パウロ六世によって公布されたローマ・ミサ典書は、ラテン典礼様式に属するカトリック教会における『lex orandi(祈りの法)』の通常の表現である。一方、聖ピオ五世によって公布され福者ヨハネ二十三世によって改訂されたローマ・ミサ典書は、教会の同じ『lex orandi』の特別の表現であると見なされる。そしてその敬うべきまた古代からの使用のゆえに当然の敬意が払われなければならない。教会の『lex orandi』におけるこれら二つの表現は、決して教会の『lex credendi(信仰の法)』を分裂させるものではない。実のところ、これらは唯一のローマ典礼様式の二つの執行方法である」

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