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ヴィガノ大司教は、教皇フランシスコを批判して制裁を受けた司祭を擁護する。「あなたはカトリックであるとして罰せられている」(2022年7月6日)

2022年7月7日 米東部標準時夏時間午前11時24分

(LifeSiteNews)―私たちは、カルロ・マリア・ヴィガノ大司教が書いたジーザスメアリ・ミッシグベト神父への公開書簡をここに掲載し、カトリック信仰の真理を忠実に守ったこのアフリカ人司祭をたたえることができるのを光栄に思います。

ジーザスメアリ神父(ジャンヴィエ・グベヌ神父の筆名)は、教皇フランシスコが2020年10月にシビル同性「婚」を公に支持した後、教皇の一部のスキャンダラスな発言に対して公に発言するようになりました。このアフリカ人司祭は、まさに教皇に対して、愛徳にみちた親切なやり方で批判を表明したことで「オプス・デイ」から追放され、司祭として聖職を停止されましたが、今年6月には、教皇フランシスコ自身がこの厳しい制裁を支持していたのです。

ジーザスメアリ神父は司祭としての役務を実践することが認められず、さらに教皇フランシスコに対する公の批判をするのを控えるならば、私的にミサ聖祭を行うならば、それは許されるとされました。

最も謙遜で親切な司祭に対するこの処分に考慮して、ヴィガノ大司教が彼を擁護するようになったことは、私たちにとって大きな喜びであり、安心です。このイタリア人大司教は、ジーザスメアリ神父が正しいことをしたのであり、それは彼のカトリックの証しのためにたたえられるべきことだと正しく指摘しています。

ヴィガノ大司教のジーザスメアリ神父への公開書簡は以下の通り。

Amen dico vobis: tolerabilius erit terræ Sodomorum et Gomorræorum in die judicii, quam illi civitati.
[まことに私は言う。審判の日、ソドマとゴモラの方がその町よりもまだしもおだやかな扱いを受けるだろう(マテオ10章15節)]

ジャンヴィエ神父様、親愛なるジーザスメアリ・ミッシグベト神父様

私は、あなたの聖職停止(suspension a divinis)とオプス・デイからの追放のニュースについて報道(こちら)で知りました。この聖職停止は、「教皇への尊敬と従順」を示さなかったとして、司教省から教会法上の制裁としてあなたに課されたものです。

あなたにとって大きな試練の時に、私が霊的に近くにいると表明することをお許ください。洗礼を受けたカトリック信者であるあなたにとって、また天主の役務者であるあなたにとって、非難されることは苦痛であることは間違いありません。しかもあなたを非難する同じ人は、悪名高い中絶支持者、公然と同棲している者、服装倒錯者、同性愛者、反抗的な聖職者、異端者、強奪者、人々を飢えさせる者を、自分のすべての行為を他者と区別するあわれみをもって受け入れるのですから。

他の時代だったら称賛に値すること――祭壇の栄光とまではいかなくても――を非難されるのは、非常に心外なことだろうと想像します。何故なら、聖人たちは、教皇の宮廷の腐敗を、躊躇なく厳しいまでに叱責したからです。聖ペトロ・ダミアノやシエナの聖カタリナだったら、今日、善きカトリック信者を誹謗し、キリストと教会の敵どもを喜ばせる機会を決して逃さない人物の二枚舌につまずいていることでしょう。

あなたが教導権への忠誠であったために、また至聖なるペトロの座へ真の尊敬をもっていたために、あなたが直面していることは、贖いと償いの精神において、教会聖職者たちの過失とスキャンダルを償う機会です。まさにこの贖いと償いの精神が、私たちを神秘体の肢体として、神秘体のかしらである主イエズス――至聖なる三位一体に対して人間が犯した罪の償いのために十字架上でいけにえとなられたイエズス――に一致させるからです。

親愛なる敬愛するグベヌ神父様、あなたの試練は、あなたの兄弟である司祭たちの多くが長上によって受けた、しばしばさらに耐え難い他のさまざまな試練に、あなたを結びつけてくれます。小教区から追い出され、車中やその場しのぎの宿舎で寝起きすることを強いられた司祭たち、使徒継承の典礼による聖なるいけにえの挙行を放棄することを望まないため小教区から追い出された牧者たち、修道会のカリスマへの忠誠を放棄したくないために男子修道院や女子修道院から追い出された修道者たち、押し付けられる娯楽や世俗精神を受け入れないだけのために司祭養成教育を妨げられた神学生たち、のことです。

キリストによって制定された目的に反して権威を横領しながら、善き人々に対して激怒する人々がいますが、もしもあなたがそのような彼らの意向に疑いを抱いたことがあるならば、姦淫する聖職者、腐敗した高位聖職者、痴漢や泥棒である枢機卿といったはるかに重大な欠点に直面して、彼らの深刻さがいかに解消されているのか、と考えてみていただきたいのです。

敬愛する神父様、あなたの罪とは、彼らとの危険な比較となるものを作り出し、ベルゴリオの教会という激しく蛆の湧く墓を暴いてしまったことです。もしあなたが、「ゲイプライド」に参加して教会聖職者たちどころか異教徒にすら不適切なポーズの写真を公開し、他の司祭と恥ずべき性関係にふけることでスキャンダルを起こしたならば、もしあなたが、カトリックの真理を否定したり、キリスト教の道徳に異議を唱えたりしたならば、あなたは今頃、ローマ教皇庁の部署の長か、名高い教区の司教になっていたことでしょうし、またミサを捧げ、告解を聞き、説教する能力をあなたから奪った者のすぐ隣に、きれいな糸で飾った教会の美しい衣装を身に着けて立っていたことでしょう。ちょうどあなたと同じように、多くの司祭や少なからぬ司教、そして枢機卿でさえも、自分があまりにもカトリック的であるというだけで、かえって嘲笑され、怒られ、不当に罰せられているのです。

サンタマルタ館の部屋で自分を取り囲ませるほどベルゴリオを喜ばせている腐敗した聖職者たちの腐敗という恥に直面して、私は自問します。あなたは自分に課された制裁を、誇りに思う要因の一つだと考えべきではないか、と。L'esilio che m'è dato, onor mi tegno――私に与えられた追放を、私は光栄と思う(ダンテ)。天主の家が盗人の巣になったのならば、主の近くにとどまりたい者は、その足のちりを払わなければならず(マテオ10章14節)、キリストを否み、その行いによって日々主を十字架につける者たちに、嫌々であっても挨拶もしません。

親愛にして敬愛する神父様、ですから、お喜びください。なぜなら、もし天主の敵どもがあなたを迫害する理由をあなたに見いださないのなら、それはあなたが主への忠誠を証ししていないことを意味するからです。「この世があなたたちを憎むとしても、あなたたちより先に私を憎んだことを忘れてはならぬ」(ヨハネ15章18節)と、托身された知恵(イエズス・キリスト)は言われました。ですから、現在の試練は霊的慰めの原因であり、聖化の機会であり、単純な人々を聖徳に立たせる好機なのです。主は、あなたが耐えておられることに百倍報いてくださるでしょう。

親愛なる神父様、あなたに、そしてあなたのように、正義のために(propter justitiam)迫害されているすべての人(マテオ5章10節)に、私はミサの聖なるいけにえで祈るたびに、私の「memento」【生ける者のための記念】を捧げます。

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ
2022年7月6日

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