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【気まぐれDiary】ほっといてください。でもかまってください。

ほんとうに私って面倒この上ない。。
そして更に、この上ない面倒な年代に突入している。



一人になりたいは贅沢な病?


●ボケッとしているようで・・


よくある日常の行動では、
定期的に1人になりたくて、仕事帰りの疲れている平日夜に、
わざわざカフェに行ってネットサーフィン。

はっと我に帰った時は、既に閉店の時間。

毎度のことだけど、自分をリセットするために、
1人ボケッとする時間が必要なんだよね。

でも、ただボケッとしているだけではなく、
頭の中は常に何かを考えているわけなんですけどね。
でも、明確に「何か」にありつけるわけでもないんです。

そうこうして、1人で過ごしてご機嫌かと思えば、
季節の変わり目に急に人恋しくなって、たくさんのお友達にラインしたり、
自己啓発系の予定をツメツメに入れてみたり。。

取っ替え引っ替え、友人を誘っては、
情報保存していたお店に片っ端から行って散財(笑)

常に何かを考えているか、常に何かしていないと、
通常モードを維持することが難しい。

興味の対象が広いのと、
即行動しないと気が済まない性格もあるけど、
元々は、究極の寂しがり屋なんでしょうね。きっと。

風向きが良い時は、びっくりするほど良い方向へ進むけど、
ひとたび風向きが変わると、極限状態にまで空回りしてしまい、
言いようのない疲労感に襲われる・・

毎度のことだけど、
これをいったいどれだけ繰り返してるんだろうかと思う。


本当にかまって欲しいのは、自分なのかも知れないね


●「ほっといてちゃん」と「かまってちゃん」



ある程度は性格だから仕方ないんだけど、
焦燥感を伴った、これらの私の異常な行動は、

半分は「こころ」の問題。
もう半分は「ホルモン」のせい(笑)

そういうお年頃の年代に差し掛かっているのも忘れて、
単に「自分のせい」にしてはかわいそうだということにも
最近ようやく気づき始めました。

ただ、自分の状態をよく観察してみると、
この「ほっといてちゃん」と「かまってちゃん」
交互に顔を出し始めると、必ず起こる症状があることも発見。

ホットフラッシュとプチパニックであります。

ホットフラッシュは結構頻繁にあったから、
あぁ仕方ないよねって受け止めることが出来るようにも
なって来てたんだけど、

まさか自分が「パニック」を起こしているとは・・

パニックと言っても、自傷行為や暴力的なパニックではなく、
完全に思考が停止状態になるタイプのパニックのようで、
普段取らないような行動を取っていることにも気づいたんです。

●感情のジェットコースター



昨年、体調がすぐれないのに、強行突破で参加しようとした
セミナー会場へ行く道すがら、地面の石枕に気づかず蹴躓き、
歩道横のビルの壁に顔面から激突

東京の表参道で、早朝からサイレンを鳴らして救急搬送。
救急車が来るまで、現金輸送のガードマン二人に見守られていた私は
まるで強盗に失敗して捕まっている犯人・・爆笑(いや笑えんやろ笑)

救急病院からホテルへ帰った私は、何を思ったのか、
SNSで繋がっているお友達に「かくかくしかじか・・」と、
事細かにメッセージをたくさん送り、途中で気を失うかのように爆睡

感情がジェットコースターのようになっているのに驚きながらも、
もうやめたい、やりたくないと思っていることに我慢ができなくなり、
その後、これまで時間をかけて積み上げてきたことに自ら終止符を打つ
行動に出てしまいました。

今思い出しただけでも、顔から火が出るほど恥ずかしいことをしでかし、
普段の私ではありえない、迷惑この上ない行動を取ったことにも驚き、
普通の顔して生活できない・・と思うほど落ち込みました。


心奪われる世界観を見つけたい

●愛すべきポンコツな自分に。



身体の影響以外で考えられるのは「こころ」の問題
これは結構やっかいだ。

お年頃的に「ホルモン」のバランスが崩れやすい時期にいる私は、
メンタル的にも大きく影響が出やすくなるのは想像に難くないが、
性格やこれまでの経験を振り返ると、もう一つ大きな気づきがあった。

それは今、私には「没頭するもの」がないのだと思う。
全くないのかというとそうでもなく、やりたいことが見え始めても、
それにまだ打ち込めていないという「もどかしさ」が相まっている。

経済的なこと、労力的な大きさなども考えると、
失敗したくない方へと「打算的な心理」が働いているからかも知れない。

答えがなかなか見つからないのに、
常に「心奪われるもの」を探そうとしては見つからず・・
を繰り返しているから、常に頭も身体も疲労感でいっぱいになる。

決断力の早さだけが唯一のウリだった私がこの状態。。
もう売るものも無くなってしまったのかと大きなショックは隠せないが、
それが年をとったということでもあり、丸くなって来たとも言えるのか。

ソツなくこなそうとして生きてきた私から、
愛すべきポンコツとして生きていく私も、結構面白いかもしれない。

いやいや、そんなことを認めるのか?
そこまで自分を諦めるのか?
と、心の中でどこか拒否している自分がまだ顔を出している。

ほんとうに私って面倒この上ない。。

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