持病持ち自粛子育て生活の感想

ハイ、無理~~~ムリムリムリムリ(白目で口から泡を吹きながら)

自粛から1ヶ月半、6月から保育園に行けるようになった。とはいえ、新コロは何ら解決していない状態なので、今までの自粛生活行動圏に保育園が加わっただけ、という意識で生きている。買い物も、常に同じスーパーへ週1回。今後はここにドラッグストアを月に1~2回付け加える程度で抑えるつもりだ。どう自粛してきて、どう暮らしていくかはまた後日書きたい…書けたらな…。

とりあえず学んだ事は、ネットで自粛子育てノウハウを検索しても参考にならないという事。なぜなら、ガチな人たちはそんなもの投稿する暇などないからだYO!世界にノウハウを発信するくらいなら、とりあえず抜け殻のように部屋の隅にいたい気持ち。なぜ部屋の隅なのか…?自力で体を支えるのも億劫だから、壁にもたれるためなんだぜ。

子どもには説明や配慮はしているものの、環境の変化に不安を感じるのは仕方ない。とはいえ、自粛開始から数週間は、10分に1回「おしっこ」、30分に1回「ここがかゆい(薬を塗って)」と昼夜問わず言ってくるので、生活リズムをつかめないうちの波状攻撃に私の眼はあっさりと限界を迎え、痛みで夜中に目が覚めるようになった。筋肉痛みたいに休んだら次第に回復していく症状ではないのに、頼みのステロイドもあまり効かない。怖い。

私が知りたいのはきっと育児ノウハウではなく、疲労や持病からの失明への恐怖に対してのノウハウであり、ネットでは参考例を見つけられないでいる。もし今ここで失明してしまったら…と深夜に痛みの中で考えるとき、同年齢の子どもに比べて活発過ぎる我が子を1ミリたりとも脳内で責めない自信など私にはない。そんな思考をしてしまう事を含めて怖い。

こう書いてしまうと子どもがやっかいものだと思っているように読めるかもしれないが、それは断じて違う。目の前の事象がたまたま子どもの形をとっているだけで、あくまで己との闘いなのだ。現に私は(今の所)失明しておらず、子どもとの自粛暮らしの中で楽しみを見つけ出すことも出来ている。しかしそれらも私の努力の結果ではなく、妥協の産物に思えるのだ。ただただ、私には余裕が無さ過ぎる。

一見、完ぺき主義にも見えるが、身体的なものから、経済状態や育児環境に至るまでシビアでタイトで、失敗や遊びが許されないと感じているのだ。スーパーマリオの残機が3の人なら「ちょっと違うやり方を試してみるか」という選択肢も生まれるだろうが、残機1で、選択次第では一撃ゲームオーバーになるとわかっていたら、あえて大冒険する人はそんなにいないだろう。そうなると「限られた選択肢から努力して完ぺきなクリアをした」という達成感よりは「選ぶも何も、これしかなかった」と妥協を感じてしまうものではないだろうか。

……あ~暗い暗い~~めんどくせえ奴だな!関西人のくせによ!(超偏見)と思われても仕方ないが、今この文章を書いている私は「こ、こんなに家が静かで、自分の事だけを考えるのを許されるヘブン状態が世の中にあったなんて…!ラピュタは本当にあったんだ!ありがてえありがてえ」と3回くらい夫に言っている。

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