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改めてやっぱり雪山は最高だ

こんばんは。

今週もnoteを書く日がやってまいりました。

まだ火曜日なのでそんなに差し迫った感じはありませんが、なぜかnote書きたいと「やる気」がある今日のこの勢いを借りて書いてみたいと思います。

実は先週末、友人たちと山口県の雪山へ行きまして、その時の体験を日記口調ですが書いてみようと思います。

非日常の経験は面白い

自分は春夏秋冬通してアウトドアが好きな人間なのですが、冬の雪山は特段の自然を味わえる環境だなってつくづく思っております。

ま、フツーに生活してたら冬の雪山行こうなんて思わないですよね。笑

最近ではニュースで死亡事故なども報道されたりするので尚更かと。

でも、ニュースで報道されるものってのは基本的に人に見てもらうが前提にあるから「ネガティブ」なことばかりが目立ちます。

が、故に「雪山=死亡事故」みたいな考えが基本情報になっているような気がしてます。

でも、まー、確かに危険を伴うのは確かなので完全に否定はできませんが、そういう情報を知っていても行く人は後を絶たないのはなぜでしょう。

それは雪山がこの上なく素晴らしい環境と経験をくれるからだと自分は思ってます。

標高1000m未満でも十分に極寒

今回雪山として登ったのは山口県と島根県の県境に聳える「十種ヶ峰」です。

漢字で「十種ヶ峰」ですが呼び方は「とくさがみね」と呼びます。

日本百名山などの有名なリストに登場はしないのでマイナーな山ですが、その姿は端麗で別名「長門富士」と呼ばれる郷土富士です。

標高は988mで1,000m未満なのでいつも日本アルプスや甲信越あたりの山々に行っている身からすると幾分か気楽に行ける山でした。

実際に登山口から自分を含めて4人で登山開始したのですが、雪こそついているものの、そこまで危ないなと思うような箇所もなく、登山道も比較的整備されていて登りやすい山であったのは間違えないです。

片道約2時間ほどで山頂に到着できました。

自分たちはただ登って降りるだけでなく、十種ヶ峰を十分に満喫しようと思いまして、山頂でテント泊をしました。

山頂でテント泊は強風になったりしてあまり適切ではないですが、この日は天気も安定していたことと、メンバーの1人に強烈に山頂泊をこだわるメンバーがいたので総合的に判断して山頂泊を決行しました。

登山口から登山を開始した時は温度は5℃前後でしたが、山頂に到着した時はすでに-3℃まで下がってました。

ちなみに宿泊前提だったので登り始めは15時、山頂到着は日の入り1時間前の17時でした。

テントを張り終わった頃にはもう十分夕方というか、夜になりつつあり、薄暗かったですね。

と言いながら正直、天気も良かったので放射冷却こそあると思ってましたが、いつも行く山々に比べて低いので少し安心感を持っていきました。

が、実際に泊まってみて、やはり雪山。侮ってはいけなかったです。

標高988mでも厳冬期。

夜は本当に冷え込みました。

慣れは時に危険である

山頂でテントも張ったし、もう薄暗いので夜飯でも食べようと買ってきてた銀皿に入ったちゃんこ鍋を作ろうとしましたが、もうすでに指は痛いレベル。

足先もしっかり厚手の靴下2枚履きしてましたが、とても痛く常に意識せざるを得なかったですね。

この時時刻は18時少し過ぎたあたりで気温は-6℃でした。

メンバーの1人にキャンプをよくする人がいて、彼のバーナーにライターで火をつけようとしても気温が低すぎてつかなかったり、自分のバーナーも火はついたんですが火力の問題でなかなか温まらなかったり。

お湯も沸騰させてコーヒー飲んだり、白湯にしたりして飲んだりしてましたが、ちょっと放置するとすぐに凍ったり。

この時気温は-8℃。時刻は19時前後あたりでした。

標高1,000m未満だから大丈夫でしょとか思ってましたが、やはり厳冬期の雪山。

舐めてたら本気でいけませんね。

自分たちはなんとか準備してきた道具を駆使して夕飯を温めて食べることができましたが、誰かの何かが足りなかったら、もしかしたら空腹のまま寝なきゃいけないところでした。

「慣れは恐ろしい」です。

書いてて次は気をつけようと思いました。苦笑

自分は経験したことないですが、冬の北海道とかって平地でもきっとこんなレベルの気温で積雪量についてはもっと多くて大変なんだろうなと。

まだ九州・山口という日本の中では比較的暖かい地域だからこの程度でよかったんだと思いますが、北海道の山とかだと本気でアウトだったかもですね。

もちろん北海道の山だったらもっと用意周到にしてたかもですが、結局は「油断」とか「慣れ」というのは怖い存在だなーと思いました。

日常の当たり前は当たり前でなく贅沢である

過酷な環境が故にいい学びもありましたね。

普段はあまり意識しないですが、日本で生活してれば当たり前のように暖かいシャワーは浴びれるし、スイッチをつければ電気はつくし、火を使うことも簡単にできます。

でもそういうのって実はインフラがしっかりしているからできることで。

雪山の上ではそういうことも当たり前でなく、贅沢な存在になるんですよ。

特に「火と光」はなくなるとこの上なく、心細くなるなと感じました。

寒い雪山ですぐに暖かい場所へ駆け込むこともできない状況で「火と光」の存在はとても大きかったすね。

普段は「火と光」なんてありふれている存在だからそこまで意識しないですよね。

今年は電気代高騰などで節電を少し意識することもありますが、このような経験をすると確かに電気とか水、火など、自然のリソースって有限であって、そしてそれらを安定供給できるインフラ技術ってすごい存在なんだなって思いました。

正直、日本海沿岸地域で、江戸時代のような生活様式で冬を乗り越えられるのか不安です。笑

便利になったが故に人間そのものの耐久性はこうやって落ちているんだろうなと思いました。

かといって江戸時代のような生活が正しいわけでもないですが、こういうことを意識することも大事だなとは思った次第です。

単純に美しい空間がそこにはある

学びのような内容に結局なってしまいましたが、雪山は単純に見えるものそのもので美しさがありますね。

先週末なんて特段に良くて、ほぼ満月の状態である月が一晩中照らしていましたから夜なのにすごく見えるんですよ。

山のてっぺんで遮るものもないし、月光だけで遠くまでほとんど見えることができたし、雪が光に照らされて青白く輝くのがまたよかった。

これは本当に贅沢な空間だなって思いました。

満月付近の夜の雪山は幻想的です。

もし機会があれば行ってみることをお勧めします。

それに山頂でキャンプしたのでサンセットとサンライズの両方を堪能できました。

これも本当に美しい自然です。

日の入りや日の出って毎日行われているものなので、そんな特別な存在ではないんですけどね。

山の上だと格別な存在になるんすよね。

これって見える「そのもの」よりも自分が置かれている「状況や状態」の方が要素として大きくて、そして重要なんだろうなと。

こう思うと贅沢品に囲まれた生活って実は全然楽しくないんじゃないかなとか、まだ未体験ながら思ったりしました。

いや、もちろん大金持ちになったことないので、贅沢品に囲まれた暮らしをしたらどうなるのか本当のところわかりませんが。笑

でも厳しい環境であることってそういう感情が大きくなる瞬間でもあるんじゃないかなって思った次第です。

そういう意味でも雪山の過酷な環境は非常にお勧めしたいところです。

※もちろん100%の安全があるとは言えないので行くならしっかり準備してから行くことをお勧めします。

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