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断捨離はつづく・・・

こないだから古着や古本を断捨離している。未練なく捨ててしまうものもあれば買取サイトにお願いするものもあり。フリマサイトで売るのと比べたら二束三文だし「買い叩かれる」といえばそうなんだけど、一度に不用品が掃除できてなおかつお小遣いで返ってくるのだからまぁ十分ではないかと思う。わたしは値下げ交渉のメッセージのやりとりや商品の梱包・発送作業をしたくないので、一挙に引き取って値付けしてくれる買取サイトのほうがありがたい。そもそも高く売ろうとする根性がないのだ。ここで踏ん張ってメルカリなんかを使いこなせば倍ぐらいになるんだろうけど、がんばろうという気にまったくならない。買い叩かれて、1万円のものが800円になる。それでも、安カフェでケーキとコーヒーを頼める。誰かはわたしの古着で商売をする。もうそこからはわたしの預かり知らない世界だし、いちいち追いかけるべきではないと思う。

家のものを次々に処分し始めると、あれもこれも捨てたくなって一種の中毒症状みたいになる。大好きな本さえ「いっそのこともう全部捨ててしまおうかな・・」という気分になってくるからけっこう恐ろしいのだ。語学や歴史の勉強、介護のパート…なんでも好きでやっていることだけど、「本当にそうなのかな?」と問い始めると、「実はそんなに好きなことでもないし、頑張りたくないな」という正直な気持ちが表れてきたり。究極のところ、わたしは片付いた家で誰にも邪魔されずのんびり暮らしたいだけなのだ。仕事や趣味にチャレンジしたり、社会関係のあれこれがとっ散らかる要因でもある。何もしなければ、「いろんな自分」を持たなければ部屋は散らからないのだから。

うちは家族で住んでいるから、わたしの一存で断捨離しまくることはできない。そこがうまい具合にブレーキになっているのかもしれない。大切にしているものは夫にも息子にもあって、それはそれぞれ違っているのだ。自分以外を尊重すれば家の中は雑然とする。家中をすっからかんにリセットしたい欲が高まっているけれど、居間でくつろぐ家族を見ていると「今はまだその時じゃないのかも・・」と思い直したりもする。それでも、隙を見てやっぱり何かしらは捨てる。わたしは死ぬまでこんなことをこちゃこちゃやっているんだろうか。だとしたらなんと長い死に支度だろう。



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