「ナパーム弾の少女」の隣の少女
この写真は誰もが一度は見たことがあるでしょう。しかし、この写真の内容まで詳しく知っている人は非常に少ないと思われます。
今回は、この写真がどこで撮影されたのかを調査し、実際にその現場を訪れてみました。
「ナパーム弾の少女」
この写真は1972年6月に南ベトナムのサイゴン郊外で9歳の少女ファン・ティ・キム・フック(Phan Thị Kim Phúc)が、南ベトナム軍の空襲で放たれたナパーム弾によって服が燃え、背中から全身にかけて深いやけどを負いながら裸で悲鳴を上げて逃げ惑う姿をとらえたものです。
この写真は「戦争の恐怖」や「ナパーム弾の少女」と呼ばれ、そのショッキングな写真から、世界中で注目を集めました。
この写真を通じてベトナム戦争の犠牲者たちの悲惨な状況が知られるようになり、アメリカのベトナム戦争への関与に対する国際的な批判が高まり、アメリカの世論を大きく変えるきっかけとなりました。この写真を撮ったニック・ウット氏は翌年にピューリッツァー賞を受賞します。
つまりこの一枚の写真がアメリカという国を変え、世界の戦争のあり方も大きく変えたのです。まさにベトナム戦争を象徴する最も有名な写真の一つといえるでしょう。
「ナパーム弾の少女」の場所
ではこの写真は一体どこで撮られたのでしょうか、具体的な場所を調べてみました。
この写真に関する記事は日本語でもベトナム語でもたくさんあり、撮影場所はすぐに特定することができました。
ナパーム弾が落とされた場所はタイニン省Trảng Bàngの国道22号線にあるカオダイ教の寺院付近です。
このカオダイ教寺院はフックさんをはじめとする村の子どもたちが空爆の避難のために逃げ込んでいた場所です。空爆直後の写真や映像にもはっきりと写っています。
そのカオダイ教寺院を背に、サイゴン方面から撮影されたものがあの写真です。
「ナパーム弾の少女」の隣の少女
こんな感じであっさり特定できてしまったので、写真だけ撮って帰ろうと思っていたところ、寺院近くの路上のカフェであの写真を飾っているおばさんを発見しました。
「なぜこの写真を飾っているのですか?」と興味本位で聞いてみると、「その白い服の子は私なのよ」という思いもよらない返答が返ってきて、とても驚きました。
なんとこのおばさんは「ナパーム弾の少女」の隣にいる白い服を着た子だったのです。あの写真の人物が今目の前にいるとは!歴史上の人物に突然会ったようで、不思議な感覚でした。
彼女の名前はホー・ティ・ボン(Hồ Thị Bổn)で、現在63歳だそうです。裸の少女、フックさんの親戚の姉にあたります。彼女の説明から、写真に映っている子供たちは全員兄弟や親戚同士であることを知って、非常に驚きました。
ボンさんはこの写真を見ると、ナパーム弾によって服と肌がベタついていたことや、あの時の恐ろしい記憶が蘇ると言っていました。
しかし、こうして自分の店に写真を飾っているということは、ボンさんなりにちゃんとあの写真に向き合い、過去を消化できているのだなと感じました。
あの写真では、裸の少女のフックさんが注目を浴び、写真を撮られた後に波乱万丈な人生を送っています。しかし一方で、その隣の少女は今も現場の近くに住み、ほとんど注目されることなく細々と暮らしているのが非常に対照的でした。
一枚の写真がその人の運命を変えることもある。ベトナム戦争の写真はそんなことも教えてくれます。
ちなみに、ボンさんからもう一度、あの写真が具体的にどこで撮られたのかを聞きました。寺院から国道を400mほどサイゴン方面に行ったところにある川のあたりから、寺院側に向かって撮られたものだとわかりました。
写真に写っている本人から聞いた情報なので、間違いありません。
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