【疎開日記2020#5】 止まらない涙

4月1日午前0時にホーチミン が封鎖されるらしい。

その情報を受け、慌てて荷物をまとめ、ブンタウへ向かった我が家。年末に旅行へ行った時はあんなに楽しかったブンタウへの道のりが、この日は重く暗くずっしりと長く長く続いていました。


荷造りをしながら、やだー!行きたくない!やだよー!と夫にメッセージを送ること15回。しつこいくらいにメッセージを送りつけました。わかっています、夫のせいではありません。

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私たち家族をコロナの脅威から救うために会社が下した決断。会社はわたし達を守るために動いてくれているのです。わかっています、ブンタウの方がホーチミンより安全だということも。

ホーチミンが封鎖されてしまうと、夫は省をまたいでの出勤ができなくなってしまうかもしれない。今ホーチミンを出なくてはいけないんです。わかっています、働くためにベトナムへ来たんですから。

本当は会社に感謝をすべきなんです。わかっています、わたしはずっと非正規雇用の貧乏暇なし日本語教師をしていましたから。会社に守られているということが、駐在という立場が、いかに素晴らしいことなのか、社会保険に入れるということがどんなにありがたいことなのか、ええ、わかっていますとも。

それでも、今、生活環境が変わるということが不安で仕方ないんです。大人気なく、やだー!やだー!と駄々をこねたくなるほど、不安でたまらないんです。


友達にもLINEを送りました。

王様の耳はロバの耳ー!ブンタウ行きたくないー!と。


友人からの返信は「もっと言っちゃえ、全部吐き出せ!」

だから言っちゃいます。

コロナのばかー! 〇〇のばかー!

絶対すぐにサイゴン戻ってきてやるー!


ここ10年以内に知り合った人達は思うかもしれません。あれ?そんなヘタレだったっけ?と。あなたはいつも逆境に負けず、どんなに辛くても笑いに変えてやっていけるキャラでしょう、と。

20年以上前から知っている人は思うでしょう。ああそうだね、あんたそういう人だよ。弱いのに、無理して笑って、怖いのごまかして。そんでもって、いっぱいいっぱいになって八つ当たりするんだ、誰かにって。

今のわたしのほとんどは、20年前の台湾留学で作られたもの。しんどいことや悲しいこと、えっ?と一瞬引いてしまうようなことがあった時は、これはコントだ!と思ってやり過ごすことに決めています。目の前にいる人たちは仕掛け人で、こっちがリアクションを取った後にきっと、赤いヘルメットをかぶった野呂さんが「どっきり」と書かれた看板を持って出てくるに違いない。(これがわかるかどうかで年齢が絞り込めますね)そう思うだけで、やるせないことも何とかなるんです。恐るべし、赤ヘルパワー(広島のほうではなくて)


そう思って、ベトナム生活も笑って過ごしてきました。今の快適なベトナム生活ではなく、10年以上前の初めてのベトナム生活の時のことです。スマホもイオンもgrab(Uberのような配車サービス)もない時代、日本人も今よりずっと少なくて、フォーが一杯2万ドンくらいで食べられた時代。

2区のタオディエンじゃないほうに住んでいたわたし。ある日突然、大通りを渡る横断歩道と信号が撤去されて通学に使っていたバス停まで歩いていけなくなったり、急にバスルートが変更されて家から徒歩25分の知らない道に下されたり、裏の沼が埋め立てられて道が作られたせいで洗濯物が土埃で真っ白になったり、計画停電で週3日ほど朝8時から夕方5時まで電気が使えなかった…それでも、この持ち前の赤ヘルパワー(広島ではなく)で楽しめたんです。やった!ネタ見つけた!くらいのノリで乗り切れたんです。


では、今回と何が違うのか。何故こんなにも気持ちが沈むのか。

たぶん、テト明けから続く2ヶ月の引きこもり生活で、知らず知らずの間に気力を消耗していたんでしょう。いつ自分たちが隔離されるか、マンションが封鎖されるか、毎日そのことばかりを考え、奥様情報網を駆使して最新情報を集めながら、携帯と睨めっこしてベトナム語のニュースを翻訳し、日々変わるベトナム政府の動きをチェックし…2ヶ月も飽きずによくやってたわ、わたし。

携帯を手にする時間が数倍に膨れ上がっていました。それでも、チェックせずにはいられない。情報を得ることで生まれる安心感とそれによって更に追い詰められていく自分。今ならわかります、この矛盾。でも、その時は気づかなかった…


話を戻しましょう。

ブンタウに到着したのは、いつもならちびっこが眠りについている時間。写真で見ていた例のローカルマンションに荷物を運び入れました。部屋に入るなり、わたしを襲ったのはトイレ臭、ああ、昭和の駅の便所の臭い。

はぁ、ついに来てしまったのね。

例の神棚と焦げた天井は写真と同じ、テレビの上にどっしりと備えつけられています。やはり今は笑えない…赤ヘルパワーが出てこない…(広島じゃなくって、ってしつこい?)

掃除はしてあるので汚いわけではありませんが、何となく気持ち悪い。ちょうど2週間前に友人から譲ってもらったハンディタイプの掃除機が本当に役に立ちました。ありがとう、マキタ!ありがとう、マリリン!

バオベー(守衛)がやって来て、どこから来たのかと訝しげに質問します。日本から来たのか?もしやハノイから来たのではあるまいな?(ハノイの方が感染者が増えている状況です)

お隣さんが顔を出して、露骨に嫌そうな顔をします。こんな時に外国人が越してきたわ。どこから来たのかしら。ナニジンかしら。大丈夫かしら。心の声が聞こえそうです。

廊下を走り回って遊んでいた子ども達がこちらをじっと見ています。誰だアイツ?関係ないや、遊ぼうぜ。わー、わー!


サイゴンから来たんです、ベトナムには何年も住んでます。ちゃんと登録もしてあります。大丈夫です、問題ありません。バオベーさんにお引き取りいただいて、隣のおばさんに愛想笑いで会釈し、ドアを閉めてホッと一息。部屋を改めてぐるっと見渡します。今晩からここに寝るのだなと覚悟を決めようとしますが、まだやっぱり受け入れられない、往生際が悪い自分がいます。

この日、3月31日。明日になったらいつもの赤ヘル野呂さんが「エイプリルフールの嘘でした!」って現れないかなー。こんな大掛かりな嘘、なかなか経験できないだろうなー。赤ヘルパワーを発動しようにも、どうにもこうにも、にっちもさっちもエンジンがかからない。


においに敏感な娘がわたしに訴えます。お母さん、臭い!と。

きれい好きな娘がわたしに伝えます。お母さん、この部屋モゾモゾする!と。


モゾモゾするというのは、よく娘が使う言葉。下着のシャツがうまくズボンにしまえない時とか、靴の中に砂が入った時とか、とにかく何か気持ちが悪い時に発する言葉です。わかる、わかるよ、お母さんもモゾモゾするよ。こう見えて、実は結構きれい好きなんです、わたし。

でも、ギュッと娘を抱きしめてそう言ってあげる余裕がなかった…


お母さんも我慢してるの!やめて!そういうこと言わないで!

ああ、母親失格。


夫が言います。ごめんね、こんなとこ連れてきて。少しの我慢だから。


もう2ヶ月も我慢してきたのよ、今から更にもっと我慢なんて!

ああ、妻も失格。


いつの間にか涙が溢れ出し、拭いても拭いても溢れて溢れて…


娘が心配します。どうしたの?ごめんね、大丈夫、お母さんはお腹が痛いだけ、バタバタしていたからウン○がちゃんと出なかったのよ。みえみえの嘘をついても、子どもの前で泣くなんて、本当に母親失格。

荷物の整理は明日にしよう。とにかく今日はもう休もう。明日になったら、見える景色が変わるかもしれない。今日はたまたまトイレが臭いだけかもしれない。明るくなって見たら意外ときれいな部屋なのかもしれない。


こうして、ブンタウ初日の夜は涙と共に更けていきました。眠れないわたしはグズグズと、枕を涙で濡らしながらも頭の片隅で明日の朝ごはんどうしようかと考えつつ、いつの間にか朝を迎えたのでした。

#ベトナム疎開日記



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