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【疎開日記2020#4】 ホーチミン脱出

ブンタウに行かずに済む方法を模索した月曜の夜。結局、何の案も浮かばないまま朝を迎え、夫はいつものように出勤。

今日(31日火曜日)に日本人学校へ教科書を取りに行く予定を入れていたので、娘を連れて学校へ。

ホーチミンの全学校は4月19日まで休校措置が取られています。テト(旧正月)休みが明けた2月3日からずっと休みなので、かれこれ2ヶ月。日本人学校も休校中ですが、新学期が始まったら先生方がYou Tubeで撮った動画で授業を進めてくれるとのこと。ブンタウに引っ越しても大丈夫。学校が始まったらホーチミンに戻れるはず!

続いて、ピアノの先生のところへ。急なブンタウ行きでレッスンができなくなることを告げ、先生が作っている納豆を購入。(これが美味しいんです!)ブンタウではきっと買うことができない納豆を最初の数日だけでも食べられたら幸せ、そう思い300g購入。

ホーチミンでは感染者が1人でも出たら、マンション丸ごと封鎖されます。(なぜかフロア隔離だけで終わっているマンションもあるようで、裏にお金の匂いがプンプンしますが…)

少し前にとあるマンションが封鎖されました。夕方突然防護服を着た人たちと公安がやって来て、マンション入り口にテープをぐるっと巻いて封鎖完了。これから、中にいた人は一歩も出られませんよと突然の通告。このマンションには外国人も多く住んでいました。英語の先生のところにレッスンに来ていた児童も、たまたま友達のうちに遊びに来ていた韓国人マダムも、そのまま出られず夜を明かすことに。働きに出ていたお父さんたちはうちに帰れず、一回入ってしまうともう出られないので、ホテルに宿泊して出勤せざるを得ない状況に。

そのニュースは一晩のうちにホーチミンの奥様たちに知れ渡り、奥様方を震え上がらせたのでした。

子供を置いて、ちょっとコンビニ行ってる間に封鎖されたらどうしよう。習い事に行って帰れなくなったらどうしよう。不安は連鎖し、奥様方を部屋から出られなくしました。ピアノに通ってくる生徒さんもだいぶ少なくなってしまったそう。


わたしは封鎖にビクビクしながらも、いつ自分のマンションが封鎖されるかわからない、このロシアンルーレットのような生活を、不謹慎ながらも楽しんでいたところがあるかもしれません。2ヶ月の引きこもり生活で飽きてしまったのではなく、逆に慣れてコツを掴んできたところでした。床の雑巾掛けで一休さんごっこをやったり、遊びながら運動にもなるゲームを考えて…毎日適度に汗をかき、脳トレアプリで頭も動かす。どこにも行かないので、楽しみは食べることだけ。エンゲル係数を気にせずにいつもより良いお肉を買っちゃったりして。

ブンタウに行くんですよーと話しながらも、心のどこかで、この納豆食べきっちゃっても、結局まだ行けなくて追加で買いに来ました!なんてことになるんじゃないかなと期待していた火曜のお昼でした。


ところが、不自由と言えば不自由だけど、たいして困ることもなかったホーチミン引きこもり生活は、突然終わりを告げたのでした。

13:30、夫からの着信。(嫌な予感がしたんです…)


「今日の夜、ホーチミンが封鎖される。荷物をまとめて。夜には出るから。」


…今夜?今夜出るの?

出来るだけ早くとは言われてたけど、まさかこんなに早いとは。


「さっき首相が発表したんだよ、今日の夜、0時にホーチミン封鎖らしい。それまでにホーチミンから出なきゃいけない!」


ああ、ついに出ちゃいましたか。出る、出ると言われ続けていた都市封鎖の噂。どうせなら、封鎖されちゃったから行けませんでした、テヘッ!という展開に期待していたのに。

今日の何時?6時には出るの?夕飯は?うちで食べるの?あ、炊飯器も鍋も持って行かなきゃ行けないから作れないじゃん。どうしよう、でも、食べなきゃいけない食材いっぱいあるよ、あああ、もう、どうしよう。


行かなくてもいい可能性に賭けていたわたし。準備をしてしまうと行かなきゃいけなくなりそうだから敢えて準備をしないという行動に出ていたわたし。ああ、わたしのお馬鹿さん。週末に用意しときゃ良かったと嘆いても時間は戻らない…


そこから怒涛の荷造りタイムが始まりました。

スーツケースに詰め込むのは服、下着、靴、タオルと洗面用具に化粧品(とは言っても、洗顔石鹸と日焼け止めと眉毛描きとマスカラのみ)。そう、着いたらすぐに寝られるようにタオルケットとシーツ、枕も必要。娘の勉強道具とおもちゃをダンボールに詰め込み(引越しの時のを一箱だけ残しておいて良かった)、食器はいくつか部屋にあるだろうからそれを使うことにして、鍋と包丁は持っていこう。水筒にお茶を詰めて、お菓子といくつかの日本の食材も大きなバッグに。すぐに掃除ができるように雑巾、ゴミ袋、スリッパ、最後に時計と裁縫道具!

パスポートとiPad、母子手帳をリュックに詰めたら、残していく鍋だけを使ってパパッと夕飯作り。ご飯は冷凍してあったものをチン。友達に卵と豆腐とオレンジをもらってもらうついでにバタバタっとお別れの挨拶。しばしのお別れ、絶対しばし、大丈夫!

少し早めに夫が帰宅。シャワーを浴びて、その日着ていたものを洗濯して、急いでご飯をかきこむともう6時前。

荷物を車に詰め込み、いろいろ考えるまもなく車はホーチミン を後にしたのでした。

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夜の高速。ホーチミンへ向かう車道は大渋滞でしたが、わたし達の進む道はガラガラ。ああ、本当にホーチミンを離れるんだなとこの時になって初めて実感しました。

離れれば離れるほど不安が大きくなっていく…

こんなタイミングでやってきた外国人をブンタウは受け入れてくれるのでしょうか。差別されなければいいのですが…

#ベトナム疎開日記

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