【疎開日記2020#7】 おじさん去って、おばさん現る
疎開生活2日目続き
さて、部屋へ戻ったものの、荷物を広げたくないわたし。
キッチンの戸棚にはオーナーさんの残したものか、はたまた前ここに住んでいた人のものか、タッパーやら鍋やらゴチャゴチャ入っています。引き出しも戸棚も、開ければ何かが出てきそうな気がして…何かってアレです。Gと言えばおわかりでしょうか。わたしは「ゴキげんよう、おひさしブリ」と呼びますが。
…開ける勇気が出ません。
それに、すっかり片付けて持ってきたものを仕舞い込んでしまうと、いよいよここに長居する覚悟ができたようで、何だか嫌だったのです。あくまでも往生際の悪いままでいこうと決心します。
クローゼットにも服は入れない!風呂敷に包んで持ってきているので、そのままベッドの上に置いておき、寝るときだけ部屋の隅に置けばよし!
スーツケースに入れておけるものはそのままに。普段なら、部屋が片付いていないとそれだけでテンションが下がるわたしですが、今日は違います。片付いていないことこそが、すぐにサイゴンへ帰れる方法のような気がして、敢えて見て見ぬ振りをします。
とは言え、すでにホーチミンの社会的隔離は4月15日まで、休校措置は19日までと決まっています。少なくともあと2週間はブンタウです。
この辺りでそろそろ、お部屋の紹介をしていきましょう。
昼間でも薄暗い廊下、そこにあるのは鉄格子でガッチリ閉じられたドア。どこの家もドアは開けっぱなしで、中が見えても気にならない様子…と思っていたら、目隠しのついている鉄格子もありました。
鉄格子を開けて、蝶番が壊れているため動きの不安定な重たい木のドアを開けます。中に入ると左手に、例のツーンとくるトイレ。洗面所とシャワー。洗面台も、トイレも、15年前くらいは高級だったんだろうなっていう雰囲気を醸し出しています。シャワーは至って普通。ガラスが水垢で真っ白だけれど、仕切りがついているだけマシだと捉えましょう。
向かい側にもう一部屋あるのですが、物置になっているので使えません。
ダイニングにはよくあるガラス乗せテーブル。金色のテーブルクロス。そしてアイロン台。壁にはなんと、水槽が!
中に水牛に乗った人の置き物があるんですが、凝視したらその後、数分は脳裏に焼き付いて消えないレベルの怖さなので、写真は載せません。
あちこちが分解されているけれど、蟻さえ大量に出てこなければ許容範囲。
リビングは何を表しているかわからない落ち着かない壁紙と、微笑んでいらっしゃる観音様、そして焦げた天井。
キッチンには食器棚。誰がこんなに使うんだろうというくらいのガラスのコップ類。
バスルームやベランダの床にしゃがんで作業をすることが多いベトナム、キッチンはあまり重要ではないのかもしれません。この部屋はシンクがびっくりするほど低く、腰を曲げて洗い物をしなくてはいけません。70センチくらいしかないかもしれません。気をつけないと、上の棚に頭をぶつけそうになるレベル。コンロの後ろの壁はもちろん油汚れで黄色く光っています。
そうそう、コンロに火がつかなくてアタフタもしました。開栓したのにガスがつかず、カチカチ音もしない。そう友達にLINEで相談すると、電池切れなんじゃない?と。調べてみると、ありました、単一電池が隅っこの方にひっそりと。単一って結構売ってないんです。探して探して、やっと見つけたので、無事コンロが使えるようになりました。
キッチンからベランダに出ることができるので、換気扇はついていません。窓を開けておけばよし、そういうことなのだと解釈しています。
そう言えば、10年前に住んでいたホーチミンのマンションは、キッチンに換気扇がついているもののダクトがどこにも繋がっておらず、見せかけだったのを思い出しました。今思えば、良い思い出。
古いマンションだからでしょうか。極端にコンセントをさせるところが少ない…。ベランダにある洗濯機はキッチンまで延長コードを伸ばさなければ使えません。
そうそう、でも、給水機があるのは助かります。お湯がすぐ出るので、コーヒーがすぐに入れられます。これは会社が用意してくれたものなのかも。
エアコンは寝室に一つだけ。今、ベトナムではエアコンを使わずに窓を開けて換気する生活を推奨しているので、使うのは寝る時だけ。普段もあまりエアコンを入れない生活をしていたので、たいして問題はありません。扇風機があって、羽根があまりにも汚かったので掃除をしたのですが、使用2日でまたホコリだらけになりました。田舎とは言え、やはり空気はあまりきれいではないのかもしれません。
けれど、朝起きてカーテン開けたら外真っ白!というレベルの、テト前のホーチミン に比べたら全然ましですが。
外を見ると、ロープがなくなっている!おじさん、作業終わったのかしら?今がチャンス、と急いで洗濯をすることに。洗濯機にはホコリ除けでしょうか、バスタオルがかけられていますが、蓋は砂埃で真っ白です。海風が砂を運んでくる?ただ空気が汚いだけ?
横にはベトナムの定番OMOの粉洗剤が。このニオイがわたしは苦手です。街を歩いていてもプーンと漂ってくる強いOMO臭。スーパーで別の洗剤は購入済み。ちゃちゃっと洗濯をすませてしまいましょう。蓋を開けると…
ううう、洗濯機の中が臭い。強烈なカビ臭。
そうだった、さっきスーパーで洗濯槽クリーナーみたいなものを探したんだけど、売ってなかったのよね。ホーチミンのスーパーにはあるんだけどな。乾燥が大事だと洗濯後は蓋を開けっぱなしにしているわたしですが、ここベトナムでは飛んでくるゴミや埃の方が気になるのでしょうか、一般家庭では蓋を閉めている場合が多い気がします。
洗濯したら洗濯槽から剥がれたカビが洗濯物につくんだろうなというマイナス思考を振り払い、えいっと洗濯物を放り込んでスイッチを押します。
水の出が悪いのか、思ったより時間がかかりましたが、無事に洗濯を終え、干せました。物干し竿は竹とラックに使うスチール材ですが。洗濯機があるだけでも幸せです。
20年前の台湾留学時代は洗濯機のない部屋に住んでいました。近くに洗濯屋さんがあり、持っていって洗ってもらうという生活。下着は手洗いで部屋干しです。
たとえ洗濯機があっても、湿気の多い台北の日の当たらない部屋で、クローゼットの中身までカビが生える環境で、洗濯するのはさぞかし大変だったことでしょう。
台北郊外の友人の実家に遊びにいった時、バケツ型の脱水だけできる簡単な機械を使っているのを見ました。手洗いに慣れていないわたしは、日本人は洗濯が下手だねと笑われたものでした。
ベトナムにも洗濯屋さんがたくさんあります。洗濯物を出しておくと、洗って畳んで持って来てくれるサービスのついたアパートもあります。それでも、洗いたい時に自分で洗って、お日様の光で乾かすことができる環境って贅沢だなと改めて思います。
そうやってやるべきことをこなしているうちに、少しずつ気持ちが落ち着いてきました。
家族3人、一緒にいられるだけで幸せじゃないかと。電気もガスもあって、食べるものもある。wi-if があれば、誰とでも電話もチャットもすぐできるし、子どもと一緒にアプリや動画で楽しむことだってできる。少しぐらい臭くたって死にゃあせん!
午後から夫は仕事に行き、娘と2人、さてどうしたものかと思っているところへ、ガチャガチャと玄関の鉄格子の鍵を開けている音がしました。
身構えるわたし。
鉄格子の向こうに、マスクをしたおばちゃんがこちらを見て立っていました。
そうだった!この部屋はもともと単身者の寮のために借りている部屋。掃除と洗濯をやってもらえると聞いていましたが、家族連れの我が家にも来てくれるのね。だけど、もう掃除も洗濯も終わっちゃったしな、何してもらおうか…。
ホーチミンでもパートで働いているわたし。学校の送り迎えがあるので、働ける時間が限られます。お手伝いさんを雇えば、いろいろ助かることはわかっているけれど、他の人がうちに入るのがダメで今まで頼んだことはありません。
誰かが掃除してくれても、きっと自分で掃除し直しちゃうタイプ。第一、日本でも働きながら家事をこなしていたので、ホーチミンでできないはずがない。あと、信用できるお手伝いさんを見つけるのって至難の技なんです。
そんなわけで、人生初お手伝いさんタイム。
まずは名前を聞いて、簡単に自己紹介。掃除は終わったことを伝え、洗濯も終わっているのを見ると、おばちゃんがモップをかけてくれました。続いて、夫の仕事着を物干しから持ってきて、アイロンをかけてくれるようです。
慣れていないので、何をしていたら良いかわからず。娘と2人でソファーに座り、モップが来るたびにひょいと足を持ち上げて、恥ずかしそうにペコっと頭を下げると、おばちゃんにムフッと笑われる。おばちゃんって言っても、実は同い年くらいなんだろうけど。とりあえずChiって呼んでおきます。
家の中に他人がいるって緊張するけど、家族以外の人と久々に喋った!これは嬉しかった。意図していなかっただけに喜びもひとしお!そっか、お手伝いさんと毎日ちょっとでも話ができる!10年前にベトナム語習っといて良かった。(だいぶ忘れてるけど)掃除はしてもらわなくても良いから、ちょっとずつブンタウのことを聞いてみよう。
2日目にして、ちょっとずつではありますが、楽しみを見つけられるまで精神状態が安定してきました。
夕方には仕事帰りの夫がスーパーで卵ゲット!入荷はしてる!大丈夫!バターもツナ缶も、そのうち入るはず!明日に期待しよう。4月2日は祝日だ!
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