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【疎開日記2021】#25 ただいま、5ヶ月ぶりの我が家

10月28日(木)

わたしは今、ホーチミンにいる。

そう、ようやく自宅に帰ることができたのだ。日曜日に戻ってきてから数日、部屋の片付けや食料の買い出しなど、バタバタしているうちに数日過ぎてしまった。

疎開中、本当にご心配をおかけしました。


ブンタウに行ったのは6月1日、疎開生活は146日、約5ヶ月、今回は長かったし、きつかった。良い思い出だと言うのには、まだまだ時間がかかりそうだ。
ようやくこの疎開日記も終わりを迎えることができる。


前回の日記を書いたのが、先週の月曜日。会社からのゴーサインを待っているところだった。

バリアブンタウとホーチミン間は移動OKになったものの、緩和されたホーチミンからやってきた人が感染者だったというケースが相次いでいたブンタウでは、ホーチミンはまだまだ危ないイメージ。

本当に戻っていいのだろうかと心配になるけれど、ホーチミンの友人たちからは、もうすっかり日常を取り戻したかのような連絡が入る。

平常運転に戻ったとは言っても、レストランの店内飲食はできないし、大型店舗ではワクチン2回接種済みのグリーンカードを提示しないと入店できない。

けれども、1ヶ月もの外出禁止、散歩はもちろん買い物にも行けず、食べるものにも困った経験をした人達にとって、自由に買い物に行けて行動制限がない生活はもう「日常を取り戻した」生活なのだ。

とにかく自宅に帰りたい、早く帰りたい。カビだらけ、虫だらけかもしれないけれど、そんなことどうでもいい。帰りたい。

そう思いながら、許可を待つこと数日。

残り数日だと信じて、冷蔵庫の中の物、食べ切り作戦を実行。もう買わなくていいとなった途端に、近所のスーパーとコンビニに大量の品物が入荷された。これが数週間早ければ…。買いたい欲を抑えて、缶詰や冷凍しておいた肉、野菜類でご飯を作る。


海水浴ができるようになったので、オンライン授業後は毎日海に行った。これがブンタウの醍醐味。

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午後4時過ぎ、日差しが柔らかくなった頃に人々がやってくる。観光客で混む前の地元民だけの特権。ビーサンを脱いで、そのまま海へドボン。水着を着ている人はほとんどいない。

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バックビーチには海水浴場がたくさんあるけれど、駐車場は閉まっているので、みんな路駐して、この鎖を跨いで海へ行く。

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砂浜には蟹を取るおじさんや網を担いだ漁師さんもいる。


そんなこんなで金曜日、ようやく正式に帰宅できることがが決まった。日曜日の朝出発だ。いつものドライバーさんも一緒に帰れるらしい。

ブンタウ最終日の土曜日、夫は出勤しているので、娘と二人でブンタウを満喫することにした。荷物の準備は午前中にほとんど済ませた。掃除も終わらせ、見忘れている映画やアニメがないか確認。

最後もやっぱり海へ行くことにした。

ブンタウでは二人の友達ができた。一人は雨宿りの奇跡のリンさん。もう一人はブンタウで日本語を教えているタムさん。

タムさんには娘と同じくらいのお嬢さんがいて、中学生のお兄ちゃんもいる。ブンタウに来てすぐの頃、娘にベトナム語を教えてくれる人を探している時に出会った。お宅でご飯をご馳走になった直後にブンタウもロックダウンになり、ほとんど会えないまま数ヶ月。ホーチミンへ戻る前に一緒に海へ行こうと誘った。

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砂遊びをする子ども達を見ながら、タムさんといろいろ話す。久々に家族以外の人と話したので、とても楽しかった。タムさんの実家はホーチミン、わたしも大好きな5区。一緒にチョロンで飲茶を食べようと約束をした。


さて、帰宅当日の朝。

緊張のせいか、全く眠れない夜を過ごしたわたし。帰宅できる喜びと、トラウマになりつつある兵糧攻めの記憶、荷造りと海で遊んだ疲れ、明日検問がちゃんと通れるかという不安、頭の中がごちゃごちゃで寝返りを打ちまくった夜だった。

約束は9時。少し早めに荷物を運び出す。

ブンタウに来た日は怪訝な顔で「どこから来たんだ」と問い詰めてきたバオベー(警備員)のおじちゃん。外出することが少なかったので、挨拶するチャンスも少なく、仲良くなれなかったけれど、「今日サイゴンに帰ります」と伝えると、「ve Saigon」と呟いて、荷物の運搬を手伝ってくれた。

車に荷物を積み、管理人さんと一緒に引っ越し申請の紙に記入して、ゲートのところのバオベーさんに渡したら準備完了。ホーチミンに向けて出発!

みんないつもより口数が多い。ウキウキしているのが伝わってくる。道は空いていて、ドライバーさんはガンガンスピードを上げる。

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ブンタウを出るところにある看板。日本語にすると「またのお越しを」とでもいうのだろうか。ブンタウを訪れたお客さんに向けたメッセージだが、心に沁みる。

うん、うん、また来るよ。でも、次は旅行で

ドンナイを抜ける時もホーチミンに入る時も、検問は一つもなかった。対向車線はバリアブンタウに入る所に一つあったけれど。

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高速の料金所まで来ると、見慣れた景色が広がる。遠くに見えるランドマーク81。ホッとして涙が出そうになる。


あっという間に家に着いた。荷物を運び入れようとすると、マンションのバオベーくんがこちらをうかがっている。ドアは開けてもらえそうにない。自分で開けるか。

レセプション前に貼られたソーシャルディスタンスを守るための足マーク。入り口外に置かれたデリバリーの商品を置いておくための机。以前はなかったものが目につく。そりゃそうだ、半年近く居なかったのだから。バオベーも変わっているし、ロックダウンで変わったことも多いだろう。

ささっとワクチン2回接種の証明を見せて、そそくさとエレベーターに乗り込む。

ドアを開ける緊張の瞬間。虫はいないだろうか。どのくらいほこりが積もっているだろうか。ドアを開けて荷物を運び入れ、窓を開けて明るくなった室内を見回す。

帰ってきたー! ここがわたしの家だー!

どかっとソファーに座り込みたい所だけれど、まずは掃除。大掃除だ。
そうそう、手も洗わなければ。

洗面所に向かうと…なんと、水が出なかった。郵便受けに溜まった管理費と水道代の請求書を発見。まさかの未払い!水が止められている!

急いで大家さんに連絡をして、支払いを済ませてもらう。日曜日で対応してもらえなかったらどうしよう、水が出るまでの小一時間ドキドキしっぱなしだった。

帰宅したら、娘はほこり落とし、夫は掃除機、わたしは洗濯と役割分担しておいたのに、呆気なく計画は崩れた。できることをするしかない。掃除機が大きいのと小さいのと2台、ベッド用が1台あるので、ひたすら掃除機をかける。

心配していたカビは大丈夫だった。西日が強くて暑い部屋だったのが逆に良かったのかもしれない。虫はコオロギが数匹。一年に一回コオロギが孵化する日があるのだけれど、今年はブンタウにいる間に過ぎてしまった。(コオロギの話は別で書こうと思いながら、もう2年経ってしまった…)

ブンタウの部屋は蟻だらけで、5ヶ月で缶の殺虫剤を3本使い切った。退治しても退治しても湧き出てくる蟻。エンドレスな戦いだった。ちなみにホーチミンの今の部屋は、住み始めて今年で3年目だが、一本目の殺虫剤がまだ使える。

エアコンも動くか確認。若干ほこり臭い気はするけれど問題なし。冷蔵庫の中身は全部処分。冷凍庫の中身が一回溶けたような気配があり怖くて食べられない。トイレは蓋が閉まっているのに、中の水分が全部蒸発していて、ものすごい悪臭を放っていた。早く水を流したい。

わちゃわちゃしていると、あっという間に1時間経ち、やっと水が出た。待ちに待った水は赤茶色い。しばらく全ての水道の水を出し続ける。

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洗濯機は砂埃で真っ白だったが、きれいに洗って洗濯タイムのスタート。シーツとベッドパッド、枕カバーも全て外して洗濯機に突っ込む。

ブンタウの洗濯機はドラム型。泡が残りまくりで洗濯物がガビガビだった。白い衣類は全てグレーに染まり、毛玉だらけ、ブンタウでほとんど処分してきた。やはり縦型洗濯機が我が家には合っている。

掃除機が終わり、部屋中を水拭き。モップをかけ終わると、ようやく一息つくことができた。

バタバタしているうちにお昼を過ぎてしまった。急いでお昼を食べる。ブンタウでは滅多に手に入らなかったので、もったいなくて食べられなかったカップヌードルシーフード味。結局持って帰ってきてしまった。

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カップヌードルをすすりながら、ようやく「本当に帰ってきたんだ」と実感できるようになった。今、自分のうちでご飯を食べているんだと思ったら、我慢できずに声を上げて泣いてしまった。つられて夫も娘も涙を流す。


座っても腰が痛くならないソファー、ペタペタしない床、安心して抱きついていられるクッション…自分の家が心底心地いい。

本当によく頑張ったわたし達!

自分のうちにいる、そう思うたびにジワジワ涙が出てくる。娘も事あるごとに泣いている。

夕飯はデリバリー。選択肢の多いことよ。デリバリーの充実ぶりに目を見張る。すっかり浦島太郎状態。

久々の熱いシャワーを浴びて、さっぱりすっきり。ブンタウの部屋はシャワーがぬるかった。ベトナムローカルあるある。カビとぬめりで気持ち悪く、排水溝が詰まっているけれど開けるとGが出てくるトラップもあり、ドアが閉まり切らないので隙間風で寒かったブンタウのシャワールーム。出来るだけ早く出たかったので、体も頭も隅まで洗えなかった。

今夜はゆっくり眠れるはずだ。そう思ったのに、身も心も疲れ切っているはずなのに、妙な興奮からか全く寝付けなかった。


翌日からは買い出し。空になった冷蔵庫にあれもこれもと詰めていく。ホーチミンのスーパーは品数豊富でなんでも揃っていた。5ヶ月の間、買えたり買えなかったりで一喜一憂した牛乳もずらっと並んでいた。

食料が手に入らなかった後遺症とでも言うべきか、はたまたいつまた起きるともわからないロックダウンに向けての買い溜めか、みりんやカレーのルー、乾麺にインスタントラーメン、いつもの倍買い込む。普段は自分で作るので買わない麺つゆやポン酢まで買い込んだ。ブンタウでは買えなかった日本の調味料や食品、近所で買えるなんて本当にありがたい。

他の食材も、例えば骨なし鶏もも肉やら生で食べられる卵やら、1区まで出なくてもデリバリーで買える。納豆だって山盛りに買えた。

いない間にマンションの1階にコンビニができていて、しかも食材から日用品まで品揃え豊富な店舗で、娘が大好きなたらみのゼリーまで売っていた。

あぁ、ここは天国か。

そんなこんなで、ホーチミン生活の勘を取り戻すのに数日。自分のうちなのに、何をどうやって使っていたか、どこにしまってあったか、思い出せなかったりした数日。

今日は朝からお気に入りのマグカップでコーヒーを飲む余裕が出てきた。

何が食べたい?と聞いて献立を考えて、夫や娘の食べたかった物を作る日々。二人ともよっぽど我慢していたのだろう。あれやこれや、毎日食べたい物をいくつも挙げてくれるので考える手間が省けて助かる。

当たり前だけど、これが当たり前だと思わなくなった。今は最高に幸せな日々。日常の些細なことに感謝できる自分がいる。それもこれも、疎開生活での経験があったから。

辛いことは思い出したくないし、あの経験が楽しく語れるようになるまでは時間がかかりそうだけれど、前向きに考えていこう。

散歩できる幸せ、ご飯が食べられる喜びに気づけて良かった。

これで2回目の疎開日記は終わり。
読んでいただき、ありがとうございました。

次回がないように祈っていてください。

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ブンタウ大好き。

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