見出し画像

いきる!

自分が親になって思う、一番の親孝行は
子供に、自分の人生って幸せだなぁ。
自分に生まれてきてよかったなぁー!って生きてくれること。

自分でよかった!

って言われたら、もう、母親としては本望だなー。
そう思うのは、

自分の母親を見てきたから・・・

手塩にかけて育てた息子に対して。

母は晩年、「私より先に死んで欲しい」
といっていましたから・・・
兄は、某有名な広告代理店で仕事をしていたこともあり、かなり大きな仕事も任されていました。
かっこいいし、自慢の兄でした。

それが次第に、仕事のストレスからお酒に溺れる様になり、家族・おかね・仕事全てを失い、廃人の様になってしまいました。
人はこんな風に転落していくんだと、見せられていた感じがします。

兄が母より先に死ぬということが、現実になった時の、母の顔を私は死ぬまで忘れないと思います。

一粒の涙もなく。亡くなった兄の顔を見るのを拒み、宙を見ていた母の顔。

食道癌・弁膜症・甲状腺肥大・胆管炎と次々に手術を繰り返してきた母。
あと、2年、もたないでしょう。

と言われても、その後6年も生きたのは、きっとこの、兄がいたから。

兄を残して自分が死んだら私やもう一人の兄に迷惑がかかる。と、必死で、長兄の一生を見届け、その9ヶ月後に亡くなりました。

そんな母を支えていたのは、かつて、酒乱だった父でした。
当時は、仕事でうまくいかないことがあれば、怒鳴る、暴言を吐く、食卓をひっくり返す、母が作った料理を窓から捨てる。
こういった光景は私の幼少期からの日常の風景でした。
物音を立てると、矛先が自分に向いてきそうで、私は泣く時は、布団や枕に口を当てて声を殺して泣いたし、ドライヤーを使うことも怖くてできなかった・・・
父が酔って帰ってくれば一目散に自分の部屋に閉じこもっていました。

そんな父が・・・
母が手術を繰り返す様になってから、それまでのことを取り戻すかの様に、甲斐甲斐しく、母を病院につれていき、家事をこなし、冬には母のために湯たんぽを用意し、食べることを必死でこなしていました。

さんざん苦労をかけた母を最後はちゃんと守りたかったのだなぁーと思う。
夫婦の形も変化するんだと、教えてくれました。

母が亡くなったあとは、ビールしか口にしなくなり。
食べ物も、酸素も受け付けなくなり、自分の肉体がカラカラに干からびるまで使い果たし、母の葬儀から10ヶ月後に亡くなりました。

これが2016年〜2017年の話です。

成功することと、幸せは必ずしもイコールではない。
それを、全力で見せてもらった感じがします。
そして、一気に身内を失ったショックは、やはり少しひきづっていたな〜と今思います。

が、気持ちや体が軽くなったことも確かです。
もう、自分自身の人生を楽しんでいいよ。

と、やっと自分が自分に言える感じです。
生きていくことって結構しんどい。

でも、生きているうちにしかできないこともたくさんあるからね〜


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?