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それはロボットではない

 「今日R階のワイヤーメッシュが7t車で搬入なんですけど鉄筋屋さん他現場がヤバくて来れなくなったんで、とんかつさん揚げてもらってもいいですか…?」
とんかつ、揚げる──小麦粉玉子に、パン粉をまぶして──ではない。
ワイヤーメッシュとは鉄の棒を100mm間隔で縦横に溶接した1畳(1820x910mm)の物体で、それをクレーン車を使って屋上にカラッと揚げてくれませんか?という某ゼネコンさんからのご依頼です。今回は7t分のワイヤーメッシュを65tラフタークレーンを用いて揚げます。オープンザプライス!5800えん。
「いいよ。」

 クレーンで資材を揚げるためにはまずワイヤーを掛ける。「玉掛け技能1t以上」という資格が必要な作業だ。わたしはビルの外にロープでぶら下がってガラスとかを綺麗にする仕事(養生・クリーニング工)だが、慢性的な人手不足の建築業界は今や誰もがなんでも屋。ペンキ屋さんが足場を組み、ボード屋さんがペンキを塗る。意味が分からないかもしれないが、できる人ができる仕事をやらないと、今日び建物はいつまでたっても完成せず結局は自分の首を締める事となる。資格、安全書類の整備、経験諸々が必要だが、人手不足を作業員の超人化(ロボット化)で補う力技が今日の業界をギリギリで支えているのだ。人手が足りないのならロボットだ。キミもロボットになれる!だそうです。

ロボット──



20年ほど前。
「自分、サラリーマンなんで。」
事あるごとにそう言う作業員がいた。工事の仕事は本職ではなく、本当は会社で数を計算したり書類をコピーしたりしているという。深くは追及しないでおいてあげよう。
そして彼は、サラリーマンを全ての失敗に対する言い訳に使っていた。遅刻をしてはサラリーマン。寸法間違えてはサラリーマン。当日欠勤サラリーマン。「会社があったので…」だそうだ。

彼はゴワゴワしていた。

なんかシルエットがゴワゴワしているのだ。朝現場に来るときも作業服、帰りも作業服、なぜかシルエットはゴワゴワ、動きはぎこちなく、その姿はまるでロボット──
「今日会社があるので、15時で帰ります。」
帰らせていただいてよろしいでしょうか?ではないのが、彼のロボットのOSのバグだ。
わたし「(どうでも)いいですよ。」
彼は作業シャツを脱ぎ始めた。すると──

彼は作業シャツの下に紺の背広を着ていた。
ワイシャツも着て、ネクタイもしていた。
作業ズボンを脱ぐと、紺のスラックスがあらわれた。
靴は、黒い革製の安全靴のままだった。
「では、サラリーマンの会社に行きますんで、お先に失礼します。」
ウィーンガシャン
そのワイシャツの襟は真っ黒だった。その背広もスラックスも超しわしわだった。ネクタイは曲がっていた。全てに汗の染みが浮かんでいた。彼は毎日ずっと、作業服の下にスーツを着て作業していたのだ!
「なるほど、だからあんなにゴワゴワしていたんだな…」
作業服の下にスーツを着ていたんなら仕方がないと、納得…でき…ます?まあ意味は分からないが、彼の言う「サラリーマン」とは「ウルトラマン」とか「バットマン」の仲間なんだろうとおもった。そしてもちろん、彼は次の日から現場に来なくなった──

──ウィーンガシャ。そして今や、わたしも工事ロボットのようなモノか。ウィーンガシャ。監督から着信が来た。
「トラック来ましたんでお願いします。」

クレーン車の運転手(オペ)さんからトランシーバーを受けとる。これでオペさんに合図を出すのだ。ワイヤーメッシュの7tトラックも停車。すると、年配の運転手さんが降りてきた。
年の頃は70歳ほどであろうか、クリント・イーストウッドのような長身で痩せた身体、黒いヘルメットと黒い作業服上下に編み上げのブーツ。桜のチップで丁寧に燻製されたかのような顔の渋い質感、刻まれた深い皺は年輪、鋭い眼光。渋いおじいさんだなと思った。
「あ、おはようございま~す今日鉄筋屋さんいないんでクリーニング屋ですけど玉掛けしますんで。」
するとおじいさんは、

無視。 

「よろしくお願いしま~す。」

無視。

…まあいいか。
渋いおじいさんにとってクリーニング屋なんてちっちゃいだんご虫ぐらいの存在なのだろう。こういう扱いをされるのは初めてではない。現場の職人には明確なヒエラルキーがある。さっさとトラックの荷台に上がって、クレーン車のオペさんに無線で合図をする。

「お願いしまーす。ハイ親スラー、親スラー、親スラー、ハーイストから子スラー、子スラー、子スラハーイスト。ワイヤー外します。ハイチョイ子ゴー(以上、合図のかけごえ)。」

トラックの荷台の上でワイヤーメッシュを玉掛けする。渋いおじいさんは荷台の下でわたしを見ている。くっそこれ1人だと意外と疲れるんだよな…ワイヤー下通して…よっこいせ…ワイヤーメッシュ曲がりそうだから大回し(ググって下さい)で行くか…できた。ハイ子スラー。クレーンのフックをワイヤーにガチャンと架けて、いよいよ屋上に向かって吊り上げる。「ハイゆっくりゴーヘイハーイスト、3・3・3運動(ググって下さい)行きま~す。ハイOK GO」
その時!

渋いおじいさんがボストン・ダイナミクス社のロボットのような、ピョコピョコした動きで懸命にトラックの荷台をよじのぼってきた!

動かす度に痛むのか、手足、腰などをかばっているような様子を見せながらも懸命に登ってくる。
クレーン車での揚重中は吊り荷直下半径3メートル以内立ち入り禁止を知らない建築系トラックドライバーはいないはずだが…?
「ちょちょ、オペさんチョイスト!チョイスト!どうしたんですか?!」

おじいさんは荷台の上で、肩で息をしてわたしを見据えながら、黒い作業シャツのボタンを上から外した。
1つ。2つ。3つ。

おじいさんの胸元があらわになった。
そこには、肉体に直接、2cmほどの丸い銀色のボタンが付いていた。
おじいさんは銀色のボタンを押した。すると、

「シボッタホウガイイヨ。」


──電気的に増幅されスピーカーで鳴らしたような音声が、おじいさんの胸ポケットのあたりから聞こえてきた。

「シボッタホウガイイヨ。」

ボタンを押して音声を出す度、おじいさんは辛そうな表情になる。絞ったほうがいいよ──つまり、
わたしは資材が痛まないようにワイヤーを大回しで掛けたが、ワイヤーのヘビ口をもう一方のヘビ口に通す「絞り」という方法で玉掛けしたほうが資材落下の危険が少ないよ、と、おじいさんは言っているのだ。とわたしは理解した。
「了解です!すいませんオペさんもっかい子スラお願いします!」
「シボッタホウガイイヨ。」


──わたしは医療のことは何も知らないので想像でしかないが、おじいさんは何か大病を患って声帯を失い、懸命のリハビリで食道を使って発声することができるようになったのだろう。胸の医療機器は声の音量を増幅するものなのだろう。しかし、発声には体力も集中力も必要なのだろう。70代、身体はボロボロだ。それなのに、わたしなんかの安全のために、懸命に荷台に登り、絞ったほうがいいよ、と教えてくれたのだ。

そんなおじいさんに、一瞬でも、無視されたと思ったり、おじいさんの声を聞いた時

「(ロボット・ボイス…!)」

とちょっと思ってしまったわたしはまさに人間失格のロボットなのかもしれない──


「ありがとうございました!」
揚重が終わり、トラックで去りゆく時無言でわたしに軽く手を挙げたおじいさんは微笑んでいた。

あの声はロボット・ボイスではない。
あの声はまさしく人間の声だ。
わたしにもそんな声を出せるだろうか?

ぶっ壊れる寸前でも自分以外の誰かを守るロボット、それはロボットではない。

おわり








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