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ももりゅう流、子育て論

先日より、記事を書くために度々開いてきた「仕事用ノート」。その中に私から娘たちへの想いというか、子育てのモットーのようなことが書かれていました。今日は、そのあたりに触れてみたいと思います。


●娘たちにはドラマのような素敵で楽しい青春を送ってほしいと思っている。そのために私ができる事は環境を整える事(家を整える、幸せな食卓を作る)だと思っている。

娘たちにはリア充でいてほしいと思います。何も余計な心配をすることなく今自分がやるべきこと(勉強、部活動、友達、恋愛など)を大切に青春を謳歌してほしいと考えています。その根底にあるのは自分が娘だった頃、親が私を信じて自由にさせてくれたこと。それがあるから今の自分がいるんだと、両親にはとても感謝しています。なので私も子どもたちに同じようにしてやりたい。そして余計なことで悩まなくてもいいように土台を支えてやりたいと思っています。


●私はとにかく無理強いが嫌いなので、押し付けがましいことは一切やりたくない。なので自ずと子育ても「自分で選択させる」ことが大切になってくる。食生活については段取りや準備は私が行うが、各自で食べたいものを食べたい量選んで好きに食べる。進路などについても相談にはのるけれども、自分で調べて納得して、自分で決める方針にしている。

だから私が作る料理は基本的に大皿料理のビュッフェ形式になります。元々は出したものを残されるのが嫌なので今の形になりました。おやつやアイスも決まった場所にたくさん在庫しているので、子ども達はどれでも自由に食べていいことになっています。それが当たり前なので、めちゃくちゃな食べ方はしません。三女は食べる前に私に聞いてくれるのですが、毎回私が言うのは「ご飯もちゃんと食べること。ゴミを片付けること。それができるなら食べていいよ」ということです。そうやって日々の積み重ねで子どもたちは選択することを覚えていくのだと思います。


●子どもはあながち親に影響されることが多いが、親も人間だから間違うこともある。親の言うことが全て正しいわけではないということを子どもにちゃんと伝える。子ども相手でも自分の間違いや非は認める。

まさに長女が私の影響を多大に受けていました。小さい頃から2人でいつもたくさんのことを話していたので、考え方がかなり私寄りになっていました。でも親だって人間なんだから不完全で間違うこともある。だから親に流されずに自分の意見を持って欲しいの意味を込めて、いつも長女には話していました。当時、話をするときに私がよく使っていた言葉。それが「人として〜」ということ。気づくと長女もよく使うようになっていたので、そこに危機感を持ったのです。


●私だけが家中どの部屋も(娘の部屋も、入浴中の洗面所も)自由自在に出入りしている。その際、ノックなどはしないが、誰も文句なんて言わない。むしろウェルカムされる。

これを書いたのは今から約2年前。当時住んでいた家は1階が夫婦の寝室。2階がリビング。3階が子ども達の各個室という、完全にプライベートが分けられた空間でした。おまけに洗面所と浴室の間の壁はガラス張りになっていました。何を言いたいのかというと、子ども達がいる部屋だろうと入浴中の洗面所だろうと私だけはいつでも自由に出入りしていました。と言うことは、それだけの関係性を築けていたということです。思春期の次女ですら、私が部屋に行くといつも喜んでいろいろと話し出す始末。当時は中学生だったのですが、一緒に買い物に行くとよく手をつながれました。ある意味、友達のような扱いを受けていました。


そんなこんなを書いていると、私が親としてとてもできた人間のように思われるかもしれません。実際noteの中で私の子どもになりたいと言ってくださったかたが大勢いらっしゃいます。でもやっぱり私も不完全な人間。良いことばかりではありませんでした。恥を承知で告白します。私は一度、長女の心を壊しています。そのことについて書いた過去の記事があるのでご覧ください。

長女が小学生の頃、私はまだ赤ちゃんだった次女を保育園にあずけてフルタイムで働いていました。主人がほとんど家にいなかったので、仕事と家事と育児のフルコンボで生きるのに一生懸命でした。若かったこともあり、ただただ生活を回すのに必死でした。でもそれが、小学生女子の精神状態までをも納得させられるはずもなく、長女は文句こそ言いませんでしたが寂しい思いが募っていたのだと思います。我慢することが癖になり、同い年の友達よりも早く大人になる必要があったのです。

ただ良かったのは、長女が一度も私のことを拒否しなかったこと。それがあったから何かあってもいつも話ができていました。私自身もいろいろあった人生なのですが、長女は自分で「私がいちばんのママの理解者」と思っていたようです。

私には娘が3人いますが、長女がいちばん手が掛かる子どもでした。高校の頃クラスで1番の成績をとってきたり、難しい資格試験に合格したりと良い面もいろいろあるのですが、昔から時間通りに準備をして家を出るということができない子でした。小学校でも毎日忘れ物ばかりして「いつも授業になりません!」と、いつもは菩薩のようなエミコ先生に私が叱られる始末。それは大きくなってからも変わらず長女は私のフォローなしでは生きられなかったので、何らかの理由を抱えているのだと思います。そして今、昨年春から長女は一人暮らしをしているのですが、それはべつに突き放したわけではないのです。普段お手伝いなどしてこなかった子どもたちに対して私が思っていること。

「頼むから、結婚する前に一人暮らしを経験して!」

ということ。自分ひとりで生きることのできる力をつけておかないと、将来娘の旦那様になる人に対して申し訳が立ちません。いやこれからの時代、結婚について考えるのはナンセンスなのかもしれない。それでも時代を生き抜くため、私の目の黒いうちに何とかしておかなければと思うのです。

大切なのは「子どもに遺産を残してあげる」ことではなくて「自分の力で生きていくことのできる人間に仕上げる」こと。私自身、自立した人間に育っているのかと言われたら、かなり微妙なのですが。


今日は私が思う子育てについて書いてみました。深掘りするともっといろいろあると思うのですが、今日はこのへんで。またみなさんのご意見などあれば、コメント欄でお待ちしておりますので、朝まで語り明かしましょう(^^)

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

未来はいつも面白い!