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娘たちの話

私には娘が3人います。みんな7才ずつ離れているので長女はOL、次女はJK、三女はJSです。長女は就職と同時に一人暮らしを始めました。

なぜこんなに年が離れているのかというと、私がずっとフルタイムで働いて忙しかったので、何人もいっぺんに育てるのではなくて1人ずつ仕上げていったのです。毎回子供が小学校1年生の時に次の子を産む計算です。なので1年生の間は自宅にいて子供をみることができるので、好都合なのでした。

長女を出産したときは、2ヶ月ほど里帰りをしました。初めての子育てで不安でしたが、私より1週間遅れで姉も女の子を産んだので、お互い支え合って大変な時期を乗り越えました。一度に孫が2人もできて嬉しい反面、母は大変だったろうと思います。仕事は育休をとっていたので、長女が1才になる時に保育園に入れて復帰しました。初めて保育園に連れて行ったときは「どうしてかわいい我が子を預けなくてはいけないのか」と帰りの車で号泣しましたし、保育参観でもいちいち泣いてしまいました。でもそれは最初だけで2人目3人目ともなると、もう慣れたもので涙も出なくなりました。

次女を出産したときは少し前に再婚したばかりだったので、長女は新しいおばあちゃんと一緒に病院まで会いにきてくれました。長女の学校があるので里帰りはしませんでしたが、子育ても主婦業も慣れたものだったので退院初日から普通に家事をやりました。妊娠前に仕事は辞めていたのですが、出産後間もなく登録していた派遣会社から仕事の依頼があり、まだ4ヶ月の娘を保育園に入れてフルタイムで働き始めました。それと同時期に主人が蓄膿症で入院したので毎日仕事帰りに次女を連れて病院へ通う生活で、とても大変だった記憶があります。4ヶ月で入園した保育園には6年間通うことになり、その間私は父母会の副会長を1年、会長を2年努めました。その話については、また機会をみて投稿したいと思っています。県内随一の大きな保育園だったので「こんなに大人数の中ではきめ細やかな保育ができないと、親御さんは心配されるのではないか」と園長代理が私に打ち明けてくれたことがあります。しかし私が考えていたのは全然逆で、大きな保育園でお友達がたくさんいるからこそ娘をここでお願いしたいと思って入園を決めました。6年間も通っていたので子育ての半分以上は保育園がやってくれたと言っても過言じゃありません。長女も次女もトイレトレーニングは保育園がやってくれましたから、私も仕事に集中できたわけです。先生方には本当に感謝しています。

三女を妊娠して少し経った頃、派遣の契約期間が満了になり仕事を辞めました。うちは子供を3人と決めていたので最後の子ぐらいある程度大きくなるまでは家で自分で育てようと決めていました。実を言うと三女は最初、男の子を作ろうと思って妊娠した子だったのです。次女を妊娠中に義母が男の子を熱望していました。まだ安定期に入らないうちから私のお腹をなでて「この男の子のためにお下がりをもらっておいたからね」なんて言われて思わず「男の子を産むまで何人でも産みます」と言ってしまった当時のバカな私。でもいちばんは長女のためでした。長女は私の連れ子だったのですが、ある時義父に「うちの後継は長女だ」と言われたのです。そこは私と長女に気を使ってくれての発言だと思うのですが、それでも血の繋がらない長女が後を継ぐのは違うと思いました。継ぐようなものもなく、後継に拘るような時代でもないけれど、それでも後を継ぐなら血の繋がった次女であるべきと私は思いました。ただそうなった場合に、誰もそんなつもりがなくても長女の存在が蔑ろになってしまうのは嫌だという思いがあり、だから長女のため、そして次女も将来自由に結婚できるように男の子を産もうと思いました。方法は、産み分けの本と基礎体温計を買って毎朝計り、排卵日を狙うというやりかたでした。何ヶ月か掛かって妊娠し、生まれてくるのはてっきり男の子だと思っていましたが、出産してみると女の子でした。でも私は後継のために男の子が欲しかったのであって、本当は育てるなら女の子の方がいいんです。だっておままごとや人形遊びや、女の子の遊びが大好きですから。だからこれで良かったと思っています。考えてみると私の実家は女ばかりの家系です。私は三姉妹+弟の、4人兄弟の次女です。私は娘が3人、姉も妹も弟もそれぞれ娘が1人ずついます。ここまでくると何回出産しても男の子を産める気はしません。

三女が生まれた日は冬の日曜日でした。朝から陣痛が来ていたのですが、長女は前日風呂にも入らずに寝てしまったので、そのまま留守番をしてもらいました。主人と次女が病院へ連れて行ってくれたのですが、2人ともそのまま立ち会うことになりました。小学校1年生で出産に立ち会った人なんて、なかなかいないんじゃないかと思います。分娩台の上で苦しむ私の横で一緒に呼吸の掛け声を掛けてくれていた次女は、途中で倒れてしまいました。そのまましばらく隣の部屋で休んでいましたが、生まれる頃には復活して再び元気な姿を見せてくれていました。へその緒は主人が切ってくれたのですが、本人はいたく感動したようです。

歳の離れた子供を持つとよく人から「上の子が見てくれるからいいわね」なんて言われるのですが、私はまったくそうは思いません。時々スーパーに行く時にタイミングが合えばお願いすることはありますが、基本的に上の子には上の子の生活があるので当てにするわけにはいきません。それに上の子がいるから楽でいいと思うのは大間違いで「小さくて手が掛かる」と「思春期で手が掛かる」の、違う種類の大変が複数いるわけですから大大変なんです。そして盲点となりそうなことがもうひとつ「子育ての時期が長い」んです。毎回7才で次の子を生んでいたので合計すると20年以上常に小さい子がいる計算になります。私は働きながら保育園の送迎も自分でやっていたので全く自由がありませんでした。1人になれるのは、保育園から会社へ行く間の車の中だけでした。

今三女は小学校4年生。4人目の予定はないし昨年からようやく念願の専業主婦になれたので、やっと1人の自由な時間が持てるようになったのです。さてここからが私のターン。娘たちに負けないよう、私も成長していこうと思います。もう忙しいなんて言い訳できない。あとは、やるだけです!

未来はいつも面白い!