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チェロの上野道明、ヴェルサイユ「王の菜園」音楽祭に登場

ヴェルサイユ宮殿近くにあり、かつて王の食材を供給する役割を担っていた「王の菜園」 Potager du Roi*。ここで3年前から毎年夏に行われている野外音楽祭「王の菜園 理想音楽祭」 Idéal au Potager du Roi **に、7月10日、チェロの上野道明が登場し、大喝采を浴びた。

王の菜園 全景。写真上方にヴェルサイユ宮殿が、上方左に宮殿の庭園が見える。
© ensp / Potager du roi

上野道明のリサイタルは、7月10日19時から行われた2部構成のコンサートの第1部。この日のコンサートは上野の本格的なフランスデビューだったという。
野外で開始時刻が19時といっても、まだ日も沈んでいない。夏至から日が浅いということもあって、暗くなり始めるのは夜10時以降だ。日中にかなり上がった気温が下がり始め、過ごしやすい中でリサイタルは行われた。音楽祭のコンサートは全て、菜園内の建物の庭に特設された舞台で、非常に軽い音響を施して行われる。まず音楽監督のジャン=ポール・スカルピッタ氏が、上野を「昨年のジュネーブ国際音楽コンクールのチェロ部門で第1位を獲得した期待の若手」と紹介。

バッハ 無伴奏チェロ組曲第1番


コンサートはバッハの無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調 BWV 1007で幕を開けた。最初の音がいくつか鳴っただけですぐにおおらかな自由さが感じられる演奏だ。表現が非常に豊富で、それを出し惜しみしない。内面から湧き上がるみずみずしい音楽性が随所にほとばしっている。バッハの組曲が舞曲集であると改めて納得できる、軽く、今にも踊りだしたくなるような躍動感に溢れている。しかし舞曲の形式感だけにとらわれず、音符の背後に隠れた和声や対位法がはっきりと「聴こえて」くる。曲が終わる頃にはすっかり魅了されていた。

上野道明の本格的なフランスデビューとなったリサイタル © Victoria Okada

黛敏郎 《文楽》


2曲めは黛敏郎の《文楽》。三味線の撥弦法を模した奏法や、太夫の語りにある独特のアクセントを再現した箇所など、至る所に伝統芸能の特徴が散りばめられている。それらを西洋のチェロの奏法と融合させたこの曲では、日本の音楽、西洋の音楽という枠を超えてどれだけ普遍的な表現をできるかが演奏家としての腕の見せ所であろうと思った。上野はこれをしっかりと押さえ、その上で彼だけの独自の表現を見せている。バッハで深く感じた彼の自由さが、ここでものびのびと羽を伸ばしている感を得た。

広大な菜園© Victoria Okada

コダーイ 無伴奏チェロソナタ


最後はコダーイの無伴奏チェロソナタ。奏法や微音程などに黛の曲との類似性も認められ、一つの流れに沿ったプログラム構成となっている。あらゆる奏法を突き詰めた濃厚な曲だけに、演奏は至難だ。また、必ずしもわかりやすいメロディで構成されているわけではないので、聴くにはそれなりの集中力を要求される。そんな曲の第1楽章を見事に終え、ゆったりとした第2楽章に入ってしばらくして、遠くの空からヘリコプターの音が聞こえてきた。羽の音がどんどん大きくなり、まさにコンサート会場の真上を通過。それで終わりかと思いきや、引き返して会場上空を旋回。まるで、地上で何の集会が行われているのか観察しているかのようだ。ヘリコプターがやっと遠くに去っていったのは、第2楽章のほとんど終わり頃だった。続く第3楽章に入ると、聴衆の間には、先ほどのけたたましい騒音をものともせず、何事もなかったかのような冷静さで弾ききった上野への、尊敬の念のようなものが明らかに感じられた。リズム感に溢れた終曲が終わると、客席からは大きな拍手が。バッハ、黛の後にすでに出ていたブラヴォーの掛け声も一段と大きくなり、リサイタルは成功のうちに終わった。

終了後、舞台袖には何人かの人がわざわざ「素晴らしかった」と言いに駆け寄ってきた。中には、おそらく、たまたまコンサートに来て(第2部は、コメディ・フランセーズの女優で映画でも人気のドミニク・ブランがナレーターとして出演するピアノリサイタルが控えており、彼女目当てで来た人も多かったようだ)、上野の演奏に感銘を受けてその感想を伝えに来たと思われる人もいた。

上野道明はフランスでは7月27、28日にモンペリエのラジオ・フランス音楽祭でソロとデュオの二つのコンサートで弾き、8月3日にはペリゴール・ノワール音楽祭でアパッショナート・オーケストラと共演する。指揮はエベーヌSQの元ヴィオラ奏者、マテュー・エルゾグ。
(敬称略)

リサイタルが終わって第2部を待つ人々。写真奥の垣根の向こうでは軽食を取れるようになっており、友人や家族どうしで歓談しながら和やかな時を過ごすことができる。 © Victoria Okada

* かつてはヴェルサイユ宮殿の敷地内だった場所にあり、現在は国立高等園芸学校Ecole Nationale Supérieure de Paysage として、様々な野菜・果物の種の研究が行われている。菜園は一般公開されている。

** この音楽祭は、2020年、コロナ禍による最初の都市閉鎖の後、野外での催しが条件付きで許可された際、演奏の機会を奪われた音楽家たちと、演奏会に足を運ぶ機会を失われた聴衆に、なんとかして音楽を提供しようと、モディリアニ弦楽四重奏団とジャン=ポール・スカルピッタがなんと約1ヶ月余りで立ち上げた音楽祭。秋からは第2回目の都市封鎖が実施されたため、数少ない夏の音楽祭となった。昨年からはスカルピッタが単独で音楽監督をつとめている。一部を除いてコンサートは無料(菜園への入場料が必要)。

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